赤い空を望むもの
平和そのもの。
居住コロニーの街中にいると、特にそれを感じる。
コロニーの天井は太陽を映し出し、青空が広がっている。もっとも、居住区画外の世界は曇天という情報は入っている。
雑踏には人があふれ、多くの人々がこの世界を享受している。
暢気なものだ。
どこかその景色を、マーク・バルバロイは車の後部座席の窓越しから冷めた目で見ていた。
今や世界はワイズで回っている。
発見経緯については記録がロストしており、現在でも調査中のままの、謎の何か。だが、莫大なエネルギーを持つことから、少なくとも使われてから八百年は経過している。
マークを乗せた車がビルの地下駐車場に入る。
ガーフィールドという会社を、この世界で知らない人間はいない。その本社ビルがここである。
マークもここに所属している。
日用品の販売からワイズの運搬及び管理、はてはMAの研究、開発まですべて担う超巨大組織。ある意味ですべてを牛耳っていると言ってもいい組織だ。
地下駐車場の一角で降りると、目の前の扉にいた警備兵が敬礼をした。
自分も敬礼を返し、そのまま奥へと入っていく。
どちらにせよ、まずは通常の業務だ。銀行システム開発部署の専務、それが自分の表向きの肩書だ。
フロアに着くと、既に複数人の社員が出社していた。
「マーク専務、おはようございます」
「おう、夜勤の連中は帰ったか?」
「みんな欠伸しながら帰りましたよ。夜間のシステムトラブルは面倒だって、みんな言ってました」
「そりゃそうだ。俺だってヒラだったころは嫌だったからな」
そう言った後、モニターを見ると会長『ザウエル・ヴァンベルト』が昨日出ていたニュースのインタビュー映像が映っていた。
『では、ザウエル会長、今度の中長期的な目標としては、インフラ整備事業により注力する、という形ですか?』
『もちろんです。皆さんの生活を支えるにはインフラがより便利になってなんぼですからね。もちろん、それを支えるためにも、ワイズの採掘は欠かせません。採掘現場に視察に行った時に、私はまだ現場の快適性が足りていないなと感じました。現場の皆さんがいて初めて我々の生活が成り立ちますから、もっと快適性を考えたい。そう思ったからよりインフラに、というのが私の考えです』
『現場のことを考えて、というのは驚きました。もっと雲の上のことを考えていらっしゃるのかと』
『まさか。足元をしっかり見ていかないと、生活は成り立ちませんから。インフラ整備を中長期計画として上げているのは、いずれ採掘現場すらも快適に、という考えがあったからです』
『なるほど。あと会長ご自身も、慈善事業に対する費用を拡充されたと伺いましたが』
『やはり戦争が続いていますから、どうしても戦災孤児は増えていきます。こうして私たちが平和な生活を享受しているのも、多くの犠牲のもとに成り立っていることを忘れてはならないと、私は考えています。そのためならば戦災孤児の育成のための費用など、いくら出してもいいくらいです』
少し涙ながらに、会長が答えていた。
「本当に人情味ありますね」
「まぁな。だからこそ人気なんだ。それに、お前だって新年会の時に声かけてもらっただろ?」
「もうあの時は緊張しましたよ。でも、話していくうちに不思議と打ち解けられたというか、素敵な人だなって思いました」
実にいいことだと思う。
社員に愛社精神を芽生えさせているのは、この会長の影響力が非常に大きい。
もう少しインタビュー見ておこうかと思ったタイミングで、チャイムが鳴る。
仕事の時間だ。
専務の専用部屋に入り、秘書から予定を聞いた後、業務をこなす。
そして夜になった。社員はほとんどいない。
招集の暗号文が自分の端末に来たのは、まさにそのタイミングだった。
荷物をまとめて、帰る振りをし、エレベーターに乗る。
「あれ? おかしいな?」
エレベーターで社員と鉢合わせになった。
「どうした? 帰りか?」
「ええ、帰りなんですが、エレベーターが動かないんですよ。上のフロアに忘れ物しちゃって」
「何忘れたんだ?」
「卓上の空気清浄機です。壊れたから家で修理しようと思ったんですが」
エレベーターが閉まる。
「いいな、卓上空気清浄機。もしかして、これか?」
そう言って、マークはバッグから空気清浄機を出した。
正確に言えば、この社員が置いていた空気清浄機に似せた盗聴兼通信用のユニットだ。
「な、なぜそれを?!」
「俺の情報力を侮るな。お前は、知ろうとした。それだけで十分だ」
社員の顔が青ざめる。
「お前は、何者なん」
相手が言い終わるより前に、社員の眉間をマークは撃ち抜いた。
鮮血がエレベーターの中を染める。
「死ぬ覚悟のない奴に、知る権利はない。そして、知ったら死ね」
それと、マークの始末対象はもうひとりいる。こいつの仲間が会社に一人いるのだ。
さらに裏にアーノルドという企業がいることも知っている。
恐らく死んだと分かったら動くだろう。
だから通信を入れる。
このビルの屋上にいる、光学迷彩を施した最新鋭のMA『ヴィジランテ』のパイロットに。
「ヴィジランテ01、社員コード2902A-480935の乗っている車を撃ち抜け。もし車でないなら狙撃班に通達しろ。確実に始末しろ」
『了解』
「それと、ヴィジランテ五号機から八号機をD装備(デストロイ装備、殲滅戦仕様)でアーノルドに行かせろ。一人たりとも生かすな」
『承知しました』
それだけ言って通信を切った直後、エレベーターが身体全体のスキャンを行った。
スキャンが完了すると同時に、エレベーターの行き先ボタンの下部が開き、静脈認証システムが展開された。
それに触れた後、行き先階を押す。
地上六〇階、それが自分の目指すところだ。
近づいてきたもの、秘密を知ろうとしたものはすべて始末する。そうした事例が起きれば『事故』で処理するように、警察も買収済みだ。そうした事情を知っているのも自分を含めたごく一部の幹部のみ。
ちょうど六〇階に辿り着いた頃、地上で爆発が起きた。
『処理、完了しました』
「ご苦労」
それだけ言った後、エレベーターの扉が開いた。
『構成員』が、エレベーターを降りたマークに敬礼した後、エレベーターにいた死体を見た。
「『これ』は例の方法で処理でいいですか?」
例の処理とは簡単な話だ。
MAで死体を潰した後で清掃する。それだけでもう一片たりとも肉片は残らない。
「構わん。ヴィジランテ04にやらせるように言っておけ」
「了解いたしました」
そう言ってから、構成員は処理を頼んでいた。
奥にある会議室に辿り着くと、そこには『裏で自分の所属している組織』の幹部が揃っている。全員表向きはガーフィールドの社員だが、実態はこの組織の『評議員』だ。
会議室には月明かりが照り付けているが、そこに窓はなく、あくまでも壁面のパネルが外の様子を映し出しているにすぎない。
まるで今の街に築かれている偽りの平和のようだと、マークは反吐が出る思いでいた。
「遅くなったな」
マークはそう言ってから席に着いた。
「マーク『評議員』、お前の研究、今どこまで進んでいる?」
幹部の一人が聞いてくる。
ここでは自分は専務ではなく評議員と呼ばれている。
ただの呼称の変更にすぎないが、自分にとってはこの呼ばれ方の方がしっくりくる。
「二割が関の山だ。謎が多すぎるんだ、ワイズは」
マークの主たる任務はワイズの研究だ。
囚人兵を使ったワイズの争奪戦。各所で行われているこの戦争も、半分はワイズというエネルギー源を得るため、半分は研究目的で行われている。
ワイズはどこから来たのか、人間に及ぼす影響は、そして、世界は変革できるのか。
それがワイズを巡る自分たちの組織の研究課題だ。
「やはりワイズは人の手に余るのではないか? あれはそもそも制御可能な存在なのか?」
幹部の一人が口を開く。
あれは人間の手に余るか。
それは何度も問いかけられた話だ。
今世の中で動く機械や、電力、ガス供給網、水道を動かす能力、その他様々なインフラはワイズなしには成り立たない。
ワイズ自身が膨大なエネルギーを持っているからだ。
それを当たり前のように自分たちは使っているが、それ自体が何なのか、まったく解明されていない。
つまり、自分たちの生活すべてを、未知の存在に依存している。
非常に危うい環境下に自分たちはいるということを、マークは常に考えている。
だが。
「制御自体は可能だ。現にそれが出来なければ、MAは存在していないし、俺達のこの社会インフラは出来てもいない」
これが現実だ。
約六百年前に、戦車、戦闘機、大型の艦船その他ありとあらゆる兵器が使われた、大規模な戦争があった。
領土問題に端を発した戦争だが、実態はワイズの埋蔵権利を巡っての戦争だと判明したのは情報が公開された戦後だった。
三年間続き、死者総計四億人を超える大戦のあと、各国上層部は既存兵器の限界性を感じた。
敵より有利な兵器を、敵より素晴らしい兵器を。
そう考えるのは至極当たり前のことだった。
だから自分たちの組織はMAを作った。
だが、その時はまだ実験的な存在にすぎず、大した性能を発揮できなかったから、失敗かと思った。
偶然が訪れるまでは。
あるワイズ中毒患者を実験で乗せた。
すると、MAは尋常ではない力を発揮した。
戦闘訓練において戦闘機以上の機動力を発揮し、戦車を一瞬で蹂躙した。
その時に観測されたその患者の心拍数は三〇〇に到達していた。
そこから急速にMAの研究が加速し、そして数百年の果てに、MAは既存の兵器をすべて凌駕する汎用性を持った究極の兵器として今存在している。
「確かに、それはある。だが、MAは管理できても、問題はそれを操るパイロットだ。選定は?」
別の幹部が口を開いた。
「いくつか済んでる。次の実験体はいくつか目途が立った。少なくとも、この間のベリアルの件みたいな頭おかしい奴にMA乗せるのは危険だってことは、重々承知してるよ」
若手の幹部が言った。
MAの主任研究者、ジャン・ミラーだ。
「だが、そのベリアルを開発したのはお前だぞ、ジャン。ライルのやつは、メガデスで上手く行ってただろうが」
マークが言った。
「あれだって僕から言わせりゃ半分失敗作だよ。だいたいなんで手足切らないとまともに起動出来ないの? その処置面倒じゃん。ていうかさぁ、ことごとく思うけど、なんで人間の方が先に限界迎えちゃうかなぁ。MAの性能フルに発揮できないじゃん」
「お前達が無理のある設計にしたからだろう。リミッターを付けるという案も、却下したのはお前だし、ライルも乗り気だった」
「ああ、そうだよ。だってさぁ、見たいじゃん。究極たるMAの存在ってやつ。僕もライルも、そこだけは一致してるんだよねぇ」
この男の倫理観は飛んでいる。だからマークは正直嫌っていた。
MAのためならば人の命がいくつ犠牲になろうが知ったことではない。それがジャンの根幹にある考えだ。
マークは逆に、多少の犠牲は仕方ないにせよ、実験体は生かしておいた方がいいという考えにある。
継続的なデータの確保、それでワイズの能力研究は進む。
上手くすればワイズをもう少し負荷量少ない状態でMAを動かすことも出来るかもしれない。
独善であることは重々承知しているが、ジャンのやり方ではいつまでも研究が進まない、というのがマークの考えだった。
「まぁまぁ。二人とも喧嘩するな。で、マーク、お前の今の研究段階の発表、今日だろ?」
また別の幹部が言う。
言われると同時に、席の前に出てきた透明なコンソールパネルをいじってマークは研究資料を全員の席上にあるパネルに出した。
「俺の研究では、ワイズ自体の埋蔵量はまだ余裕がある。というより、あれに関してはどうも引っかかる点がある」
「なんだ?」
「変だと思わないか。これだけインフラやMAを筆頭にした兵器に投入されているにも関わらず、ワイズの埋蔵量が『増えている』ということが」
「採掘場所が発見されたから増えたんじゃないのか? 統計的なミスでは?」
「俺も最初はそうかと思った。しかし、これは採掘現場C-271の成分分析データだ」
そのデータを見せた瞬間、幹部一同がざわついた。
「同じ採掘場でいくら掘っても『減らない』んだ。むしろワイズそのものが『増えている』」
「まさかとは思うが、お前、ワイズが自己修復能力でも持っているとでも言いたいのか?」
「その可能性も正直否定できない。同時に自己増殖能力も持っている可能性がある」
「どういうことだ? あれはただの資源ではないのか?」
「生命体」
上座にいる男が、一言言った瞬間、幹部の目線が一斉にそちらを向いた。
表も裏も、この男の言葉ですべてが動く。
ザウエル・ヴァンベルト。全てはこの男のために存在しているのだ。
「ワイズそのものが生命体であり、自己増殖と自己修復を遂げ続けている。そう言いたいわけだな、マーク」
「はい、『議長』。あれはエネルギー源ではない可能性が高いです」
「生命体というのは、飛躍しすぎでは?」
幹部が言うが、ザウエルはため息混じりに答えた。
「ただのエネルギー源なら、打ち込んだだけで心拍数が三〇〇を超えるか? そして何より、赤い空が見えると思うか?」
ザウエルの言うことはもっともだ。
麻薬ですらそこまでの心拍数はいかないし、だいたい何故打ち込んだ人間は、皆青空が血のように赤く染まって見えるのか、正確には何も分かっていない。
「これは私の仮説に過ぎん。だが、マーク、お前も私と同じく、薄々は考えているんだろう? あの赤い空が、何か」
ザウエルの視線が、自分に向いた。
思わず、息を呑んだ。
朝のインタビュー映像で見た人物と同一と、全く思えない底の知れなさに。
まるで深淵のような、眼そのものに。
「はい。恐らく、空中にあるワイズが見えている可能性があるかと」
言った瞬間、ザウエル以外の全員が固まった。
「議長のおっしゃるように、あくまで可能性の話に過ぎません。しかし、ワイズが見えているのだとすれば、それによって視覚にエラーが生じ、その結果赤く見えるのではないかと」
「視覚エラー? そんな単純なものじゃないだろう、あれは」
そう言って、ザウエルが席を立って、後ろを向いた。
全員が、固唾をのんで見ていた。
「乗っ取ろうとしているのだ。ワイズが、人間を」
「まさか、同化、ですか」
「お前のレポートを見て、ふと思ったがな。あれは寄生生物みたいなものだと私は考えている。宿主、それこそ有機物だろうが無機物だろうが、莫大なエネルギーを与える代わりに、視野のジャックに始まり、徐々に変えていく。それがワイズなのではないか、とね。そして、それによって人間は変革できる。より大きな一歩に進化出来る。そう私は考えている」
おお、と、全員から声が上がっていた。
ザウエルがこちらを向いた。
そこに深淵のような眼はない。
それが隠れた。そんな気がした。
「では諸君、人類の変革のために、ワイズを解き明かそう。これは、私達に与えられた使命だ。そうだな」
全員が立ち上がり、直立不動になった。
自分もまた、同じ姿勢になった。
「「「人類の変革のために」」」
全員が口を揃える。
「すべては、我らが『ヴァルハラ』のために」
ヴァルハラ。それが、ガーフィールドの裏に存在する、秘密組織。
そして、本当の自分の居場所。そうマークは感じている。
そして会議が終わり、各々が帰っていく。
表向きの顔になって。
会議室には、議長だけが、一人残っていた。
あなたは、どこまでワイズを知っているのですか、『会長』。
マークはそう思いながら、エレベーターに乗った。
撃ち抜いた死体はなく、血も、全くなくなっている。
翌朝、何食わぬ顔で出社すると、部下がモニターのニュースに釘付けになっていた。
「どうした? 何かあったかー?」
「何かあったかー、なんて呑気なこと言ってる場合じゃないですよ、専務! うちの取引先だったアーノルドの本社がガス爆発で吹っ飛んで、社員全員死んだって!」
「マジかよ?! こりゃ取引先考えなきゃいけねぇってことか……。また営業の連中が胃潰瘍とかになりそうだな……。あー、あったまいてぇ問題だぜ」
上手く始末できた。
知りすぎたものは死を。それは、自分もまた同義だ。
そう思うと同時に、表と裏の顔を使い分けるのも大変だと、マークは思った。
(了)