悪役令嬢、目覚めると断罪前夜
過労死した私が目覚めたのは、自作ゲームの悪役令嬢リリアナの中だった。しかも明日は破滅フラグの立つ入学式!? 前世の知識を総動員し、破滅の運命に抗う私の戦いが今、始まる!
意識が浮上する感覚は、まるで深い水の底からゆっくりと水面へ引き上げられるようだった。最後に記憶しているのは、鳴り響くエナジードリンクの空き缶の音、モニターの明かり、そして自らの胸を突き刺すような鋭い痛み。ゲームプランナー、相川みく。享年28歳。死因は、おそらく過労死。我ながら、なんて現代的な最期だろうか。
しかし、次に私の瞼をこじ開けたのは、柔らかな天蓋からこぼれる朝の光だった。
「……どこ?」
思わず漏れた声は、自分のものではない、鈴を転がすような可憐なソプラノ。体を起こそうとすると、シルクのように滑らかな寝間着が肌を滑り、視界の端でプラチナブロンドの美しい髪がさらりと流れた。状況が理解できない。私が知る無機質なワンルームとは似ても似つかぬ、ロココ調の過剰なまでに華美な装飾が施された豪奢な部屋。薔薇の彫刻が施されたクローゼット、猫脚のドレッサー、窓の外には手入れの行き届いた広大な庭園が見える。
混乱の極みにある私の目に、姿見が映った。そこに立っていたのは、見慣れた隈のある自分の顔ではない。透き通るような白い肌、大きく潤んだアメジストの瞳、そして完璧な黄金比で配置された目鼻立ち。それは、私が心血を注いで創り上げた乙女ゲーム『アステリアの輝石』に登場する、嫉妬深く傲慢な悪役令嬢、「リリアナ・フォン・アルトハイム」そのものの姿だった。
「嘘でしょ……」
全身から血の気が引いていく。リリアナ! よりにもよって、ヒロインをいじめ抜き、最終的には婚約者である王太子から断罪され、国外追放か、良くて修道院送りの破滅エンドを迎えるキャラクターに転生するなんて!
ドアがノックされ、侍女らしき女性が入ってきた。
「お嬢様、お目覚めでいらっしゃいますか。本日は魔法学園の入学式ですので、準備を始めませんと」
入学式。その言葉が、私の頭に冷水を浴びせた。そうだ、ゲームの物語は、この入学式から始まる。ここで平民出身のヒロイン「エマ」と出会い、彼女を見下すことで、最初の破滅フラグが成立するのだ。
「冗談じゃない……! 誰がそんな運命、受け入れてやるものですか!」
侍女が驚きに目を見開いている。いけない、今のは悪役令嬢リリアナの口調そのものだ。私は咳払い一つで冷静さを取り繕う。
「……ええ、わかっているわ。準備をお願いするわね。いつもありがとう」
「もったいのうございます、お嬢様!」
侍女は感激したように顔を輝かせた。どうやら原作のリリアナは、侍女に礼など言ったことがなかったらしい。小さな一歩だが、これは良い変化だ。私は決意を固めた。このゲームの世界の創造主の一人は、私だ。誰よりもこの世界の法則とイベントを知っている。ならば、その知識を総動員すればいい。
破滅フラグは、全てへし折る。原作で不幸になるキャラクターがいるなら、それも回避する。私はただ生き延びるんじゃない。この第二の人生で、最高のハッピーエンドを自らの手で掴み取ってみせるのだ。
鏡の中の悪役令嬢が、不敵に微笑んだ。その瞳の奥に、ゲームプランナー相川みくの、粘り強くて諦めの悪い魂を宿して。私の戦いは、今、この瞬間から始まった。