ー2ー
魔王が斃されて五年、世界は平和を享受していた。ひと月後には改めての魔王討伐記念と併せ、新王の戴冠パレードが行われる。
凶暴な魔獣や高位魔族もあらかた片付き、復興も進むなか満を持しての王位継承。
我らの英雄が、「勇者」が王となる。
それは人々に歓喜をもって迎えられた。
そんな王都の喧騒も届かぬ辺境の小さな小屋を、ひとりの旅人が訪っていた。
「……何の用だ」
フードで顔を隠す相手に、住人は警戒しながら迷惑そうに問いただす。
「ここに知り合いがいると聞いた」
「俺たちには知人も肉親もいない。帰ってくれ」
素っ気なく扉を閉めかけた時、深く被ったフードが外され、銀髪がさらりと溢れた。
「久しぶり、エクレシオ」
目の前の男──元王国騎士エクレシオが小さく息を飲んだ。
旅人の左足は義足だった。片眼は眼帯に覆われており、それもまた失ったのだろうと推察できる。二階だが、と渋い顔でエクレシオが言う。家には招き入れたがまだ決心はつかないようだ。
「問題ない」
気にした様子もなく、旅人は空間収納から杖を出し段を登る。
窓際の椅子に、人形のように生気の感じられない女性がいた。
くるくると表情を変える、かつての愛らしい少女はそこにはいない。ぼんやりと窓の外に向けられた彼女の眼は何も映していなかった。
「アリシア様」
エクレシオの呼びかけに返事はない。聖女のこんな姿を、昔の仲間といえど見せたくはなかったのに。
「……この一年と半年、ずっとこうだ。時々叫び声をあげて暴れるけど」
「………」
「あなたがどこでどうしていたかは知らない、そのなりを見れば大変だったのは分かる。だがもっと早く来れなかったのか? アリシア様は何年も地獄の中にいたよ、見張り役の俺が裏切り助け出すまで───まだ話せた頃のアリシア様に全てを聞いて、奴らの彼女への仕打ちを見続けて、……仕えていられなくなった」
苦渋に満ちた告白に耳を傾けつつ、紫の隻眼は真っ直ぐにアリシアに向けられている。
旅立つ前の彼を覚えている。
眩しいものを見るような眼で聖女を追っていた、見習い騎士の少年。
状況は厳しくても、希望を胸に前を向いていられた頃のこと。
「教会からの問い合わせにも、聖女は療養中だと突っぱねていた。それどころか奴らは、ライリー様が生きていると大嘘をついて彼女を好き勝手にしていたんだ。アリシア様が大人しく従っていれば殺さず、いつかは会わせてやると───」
過酷な日々を耐え、ライリーと仲間を案じ祈りを捧げるアリシアに苛立ち、彼らは笑いながら真実を告げたという。
最後の希望を砕かれたアリシアは壊れた。皮肉にもそれで彼女への興味が薄れたため、逃げ出すことが叶ったのだが。
「っ、──────」
かさつく唇がちいさく震え、音を吐き出す。異変の気配にエクレシオは素早くアリシアに駆け寄った。
「あ、あー、あああ!!!」
「アリシア様!」
「いや、どうして、なんで? ライリーさま、みんな!! いまわたしが、たすけ、……いやああああーーー!!!」
「だめだアリシア様、また怪我を」
エクレシオが抱きかかえながら宥めても、がむしゃらに暴れる細い体を抑え切れない。
その時、何かが閉ざされた彼女の心に触れた。何年も焦がれた「声」が耳に届き、アリシアは動きを止めた。
『……─── ───』
複数人の会話が流れ、室内には立体的な映像が映し出されていた。
「……これは」
呆然と眺めるエクレシオに青年が告げた。
「召喚されたいにしえの勇者が、私の里で様々な記録魔法を創った。これはホログラムという」
「───あなたの先祖の……、」
映像を追うアリシアの瞳の縁、盛り上がっていた粒がやがて、ほろりほろり、と零れ始める。
「アリシア」
名を呼ばれぴくりと肩を震わせ、アリシアはそちらを向き直る。
「……セ、いき、て……?」
「アリシア、これを。みんなの記憶をきみに預ける。長い間助け出せず、本当にすまなかった」
「──────」
長い指がアリシアの掌を優しく包むと、ひんやりとした塊を載せてきた。覚えのある、ちいさな結晶たちが生えた水晶だ。
刻まれた温かな思い出が胸に甦る。愛しい人、大切な仲間。
焦点の戻った瞳に映る懐かしい顔。幼さが抜けた、端正な顔立ちに合わない黒い眼帯にアリシアが触れた。
「セレ、ス───?あなた、眼が、───あし、も……、」
先程までと違う涙がアリシアの頬を伝う。
支えるエクレシオの腕を解き、様々な感情でセレスの体を抱きしめた。神への信仰を保てず、聖女の資格を失った自分の無力さが情けない。聖女であれば、不可能と言われるエルフの欠損すら戻せるというのに。
「……、にも、でき、くて、ごめ……なさ、」
あの時だって───、聖女なのに、みんなを救えなかった。自分の身を襲ったおぞましい出来事よりも、その事実がアリシアを苛む。
止まらない涙がセレスの内側にじんわりと染み込んでいく。
───アリシア、きみは変わらない。その優しさに、みんながどれだけ救われたことだろう。
それを利用し踏み躙った奴らを、必ず。
気づけばエクレシオは部屋を出ており、再生を終えたホログラムは残像を漂わせるのみ。
「……セレス、あなたは、これから何を」
話したいことはいくらでもあったが、今はまだ言葉にならない。その隻眼になんらかの強い意志を感じ取り、アリシアは絞り出すように尋ねた。
「わたしは───、成すべきを成すよ」
──────***───────
「兄ちゃんもあの時期にやっちまったのか」
パレードを待つ時間潰しに、男は自分の片目を指差しながら青年に話しかけた。
長いローブにフードを深く被る、眼帯の青年。杖をついているので、足にも障害を抱えていそうだ。
「足は、五年前の今日」
「よりによって魔王が討伐された日にか、そりゃ残念だったなあ。その目も、せっかくきれいな顔なのに勿体ない──おや、ここで見ないのかい」
「もう少し先に」
人混みに紛れていく青年を、男はそれ以上気にかけなかった。待ちわびたパレード開始の祝砲が打ち上げられたからだ。
「勇者ヴィシャス王のお出ましだ!」
「陛下ばんざーい!」
「ああ! 英雄たちだ、なんて立派な」
晴れ渡る空のもと歓声が響く。国の誇り、魔王を討伐した勇者と仲間の晴々しい姿が民衆を惹きつけてやまない。
生活はいまだ苦しくとも、この先は希望が満ちている。素晴らしい王が築く、輝かしい未来図が。
パレードの折り返し地点、中央広場の噴水脇に五体の像がある。
真ん中の像の足元の碑に彼らの名前が刻まれていた。
『高潔にして最強の騎士ネファリアス。
神技の魔法騎士、麗しのスウィンドル。
魔術神の寵児、至高の魔塔主ベイルフル。
パーティーを彩る一輪の花、聖女アリシア。
そして、神より遣わされし唯一無二、
光の勇者ヴィシャス。
偉大なる魔王討伐パーティーに
心よりの敬意と称賛を込めて』
笑えよセレス。
「……フェリクス?」
こいつら、自分で考えたんだぜ。笑えないけど笑えるだろ。
アリシアだけ能力関係ないし!バッカじゃない。一番優秀でしょうが!
……魔術神を騙るのは良くないな。
クレア、ライリー。
それが真に彼らの魂の声なのか、はたまた幻聴か、闇の存在による誘惑なのか。
セレスはもう、どれでも構わない。ただ声が聴けて嬉しかった。
凉をとるかのごとく噴水に手を浸すと、空間収納から直接、何かを水中に沈める。
近くにいた精霊が次々と集まりセレスに話しかけてきた。
『──ああ、そう。いや、それは違う。悪戯はだめ』
精霊語を操る者も、彼らが見える者も今ではごく僅かだ。周りからすると意味不明な独り言にしか思えないだろう。
あとは待つだけだった。
ヴィシャスはとても上機嫌だった。全てが思いのまま、兄を押しやり玉座も手に入れた。勇者に惹かれて各国の美姫が群れを成し、後宮入りを熱望する。目前の民は盲目的にヴィシャスを崇拝していた。
「来賓の帝国皇女、私に気があるな」
気の強そうな眼差し、あれはコレクションにない女だ。是非とも手に入れよう。
「どうでしょう。だがあれは躾ける甲斐がありますね」
側近のひとり、ネファリアスが答えた。馬上の会話は歓声に紛れ誰に聞かれる心配もない。
順風満帆な彼らの人生、遮る存在は既に亡い。異を唱える邪魔者はことごとく排除し、周囲には追従者しか残っていない。うるさい教会からは権力を剥ぎ取り圧力をかけている。
まさに幸福の絶頂に彼らはいた。
「───? 空のあれはなんだ」
誰かの呟きに、群衆が次々と上を見上げ始める。
空に大きく投影されたのはどこかの城内、戦闘の様子だった。おどろおどろしい様子に人々はすぐさま思い当たる。
民衆に応えて手を振っていたヴィシャスは驚愕に包まれ、その顔はやがて恐怖に歪み始めた。
「な、んだ───あれは!!」
「え、これってまさか魔王城?」
「あれは魔王じゃないのか!? すごい、記録があったのか!」
「これは……魔法なの? あの闘いが見られるの!?」
「戦勝記念日に粋な計らいをなさる!」
喜び騒ぐ民衆とは裏腹に、ヴィシャス王と側近─勇者の仲間の英雄たちは、焦りと混乱で狂ったように叫ぶ。
「誰かあれを止めろ! あれは違う、まやかしだ!! 違うんだーー!!」
「中止しろ、おい誰か、パレードを中断してこいつらを家に閉じ込め───、」
ぎっしり埋まる人波、飾り立てた馬に騎乗する彼らは身動きできず立ち往生するしかない。
「あら?けどあの顔……殿下、いや陛下から名声を奪っていたって話の、偽勇者じゃないのかしら」
「真の勇者仲間のスウィンドル卿や騎士ネファリアス様、魔術卿ベイルフル様もいない」
「アリシア様はいるよ、でもなんで」
「すごい魔法。見て、魔王があんなに傷を」
「攻撃を通す補助魔法が効いているんだ。凄腕だぞ」
「魔王の部下を抑えている騎士はかなりの達人だ。確か聖騎士の───」
「あれだけの輝きで魔王に傷をつけられるのは聖剣だよな……、勇者、なのか?」
「あれはエルフだ……逃げ出したはずの偽英雄どもが何故」
音声までくっきりと再現された映像は、ひとりずつの声も明確に拾う。どうやって撮ったのか、様々な角度からの臨場感溢れる戦闘は彼らの困惑をも押し流していく。
本物の戦いの迫力に圧倒され、人々はただ見入っていた。
城のバルコニーから一羽の鳥が飛び立っていく。魔法で造られた伝令鳥は、まっすぐに西を目指している。
見守る少女──皇国第三皇女エカチェリーナは、振り返りもせず背後に声をかける。
「準備は」
「はっ、全て手筈通りに」
「じきに奴らが逃げてくる。逃さず捕らえよ、殺すな。ただの死は奴らには贅沢だ」
皇女が命令を終えても留まる騎士。無駄に律儀なことだと内心舌打ちをする。
「恐れながら申し上げます。あのお方の確保は如何しますか」
「手出しは無用。いかに陛下といえど、かの方の道を塞ぐなら妾が斬る」
「──御意に」
ひゅっと息を呑んだ騎士が、足早に去っていく。
──欲しければ自分で来ればいいのよ。あの方を手に入れようなんて厚かましい。だいたい歳の差! 三十よ三十!
本当に斬った方がいいかも、とひとりごち再び皇女の威厳を纏い直す。
皇国中で畏怖を集め、年少ながら皇帝の座に最も近いとされる冷酷にして剛毅の皇女エカチェリーナ。わざわざ彼女が来た理由を、王国はもっと考えるべきだった。
「さて、愚か者どもを製造した雌雄の馬鹿面を拝みに行くか」
あれらは先に少しくらい可愛がっても許されるだろう。
映像のその先を知る彼女は、あえて観るのをやめた。
そこをどけ、と喚く勇者たちを誰も取り合わずその場を動こうとはしない。これでは移動できないと察した彼らは、馬を降り人を突き飛ばし、時には殴りながら人混みをかき分けた。まるで何かから逃げるかのように。
フードを被り直し、映像の最後を待たずにセレスは不自由な足を動かした。噴水に設置した水晶は回収の必要もない。 情報量も映像のサイズもこれほど大掛かりなのは、どうしたって使い切りとなる。
エルフの秘宝、いにしえの勇者の遺物にはもう何の力も残ってはいない。
ただ美しい貴重な水晶は、見つけた誰かの手に委ねよう。
セレスには先祖である勇者由来の、特殊な個別魔法があった。精霊たちの見た光景を映像として水晶に刻む魔法は、戦闘向きではなく旅に必要でもなかったため、今までに二度しか使ったことがない。
その一度が、決戦前夜だった。