Shoot-her
「これが津島の夢の話です。」
樹季は何と答えればよいのかわからない。
心理学の「夢」のことなのか…
人間の心には「エス」という
無意識の世界がある。
そこには性的欲求などの
本能的なエネルギーが潜在しているという。
それらの欲求は満たされることを求めて
無意識の世界から、意識の世界に
這い上がろうとしている。
その時通らなければならない関門がある。
それが道徳や良心や理想と呼ばれるものだ。
フロイトは「超自我」と名付けている。
その関門で拒まれた欲求はどうなるのか?
道徳や良心のふるいにかけられて
その網の目を通れなかった欲求は
無意識の世界に潜んで
そこで眠っているのだという。
いつ眠りを覚ますのだろう…
それは夜だ。
人は夢を見る。
夢の中では「超自我」の検閲は弱まるのだ。
だから、人は心の底に隠し持った自分の願望と
夢の中で出会う。
碧の夢は碧の隠された願いなのだろうか…
樹季が答えをためらっている様子を見て
佐古は微笑した。
「僕にも、夢の解釈はできませんよ。」
「ただ、津島が誰かに何かを伝えたいと
思っているのは確かです。」
彼は樹季の目を初めて真っ直ぐに見つめて
優しく言った。
樹季の見る夢は
樹季の隠された願いなのだろうか…
彼女は自問してみる。
碧も樹季も自分の中の彼女を
撃つことはできるのだろうか…
佐古から津島の話を聞いた日の放課後
樹季は一人理科室にいた。
部活動も終わり、グラウンドに面した
大きなガラス窓からは
西日の弱々しい残光が射し込んでいる。
佐古は以前、樹季に
ある虫の話をしたことがある。
「斑猫」と書いて「ハンミョウ」と読む。
背中に斑紋があり、仕草が猫に似ているから
この名前がついたという。
斑猫は狩りの名人で毛虫やバッタなどを狩る。
幼虫も獰猛な狩人であるらしい。
佐古は斑猫の画像も見せてくれた。
鮮やかな色合いの虫だった。
メタリックな緑色の頭
青緑色をした胴体にくっきりと目立つのは
輝くような朱色の帯模様だ。
不定形の白い斑もある。
芳香のあるものも毒のあるものもいるようだ。
樹季が斑猫に惹かれのは
もう一つの名前の由来だった。
「斑猫は人が近づくと飛んで逃げ、
飛んですぐに着地し、度々後ろを振り返る。
これが繰り返されるので、
その様子を、道案内に見立てて
(ミチオシエ)という別名がある。」
樹季は津島や長内や倉崎を斑猫になぞらえていた。
樹季が近づこうとすると、
彼らは拒むように遠ざかる。
しかし、色鮮やかな斑猫たちは
何かを教えようと幾度も幾度も
振り返っているのかもしれない。