事件のこと その3
あの事件の後
4組は少しずつ
傾いていった。
校則や決まりは
自分を守る盾にはならない。
守ろうとする者を
束縛するだけなのかもしれない。
教室の壁に貼られた掲示物が
剥がれていても
画鋲のついたまま
いつまでも揺れていた。
棚から崩れ落ちた私物が
床に散乱していても
片付ける様子もない。
津島碧の机は
「所有者不明」のラベルを貼られたように
小さな存在になっていった。
「あの金魚なのですね。」
樹季は記憶をたどるようにつぶやいていた。
金魚はあるとき突然
4組の教室へやって来る。
クラスの誰かが夜店で買ってきた一匹の金魚。
佐古は理科室の空いていた水槽を
綺麗に掃除して金魚を住まわせた。
小さなオレンジ色の生き物は
すぐにクラスになじみ
飼育当番が決まり
いつのまにか可憐な愛称で呼ばれていた。
水槽の周りには笑顔が集う。
騒がしかった教室が水槽のエアポンプの音を
聞き取れる程に平穏を取り戻していったのだ。
しかし、そんな教室になっても
そこに津島が戻ることはなかった。
「元気にしていたのですね。」
「この金魚は、僕にとって
とても大切なものですからね。」
佐古はまた口角を上げて、いつもの表情で笑う。
「ところで、佐古先生お話って何ですか?」
「ああそうですね、大事な話です。」
佐古はストーブを樹季の方へ向けながら
目線を上げた。
「津島のことです。」
樹季は学年主任の秋庭の言葉を思い起こし
表情がこわばっていくのを感じた。
佐古はきっとあのことを話す。
「津島は僕に話してくれました。」
彼は樹季の気持ちを察したように視線を落とし
話し始めた。
「秋庭先生が言ったことは事実です。彼女は
母親の交際相手とつき合っています。」
そう言うと、彼はまた目を上げて
樹季の表情を気遣うように見て再び語り始める。
「津島はね、自分の夢の話をしたのですよ。」
それは子どもの頃のことだ。
碧は母親にある病院に連れて行かれる。
そこは高い壁に囲まれた建物で
門柱には「Y研究所」と書いてあった。
碧は診察室で母親と一緒に
白衣の男と向き合っている。
男は碧の胸の辺りに触れて
母親に何か言っている。
男は母の話に頷いている。
やがて母は別室に去り、
碧一人が残された。
白衣の男は碧に上衣を脱ぐように指示する。
彼女が言う通りにすると
男は再び碧の胸に指先を触れた。
その時に自分の胸に何かが確かに
「埋め込まれた」と
碧は感じたのだ。