事件のこと その1
1年4組で
その事件が起きたのは
2学期が始まって
間もなくの頃だった。
樹季が廊下を歩いていると、
4組の女の子が数人駆け寄って来る。
「どうしたの?」
「先生、大変です。すぐに来てください。」
少女たちは
樹季の手をとって、
自分たちの教室へと導いた。
3時間目は体育の授業だ。
体育は男女が別に授業を受ける。
着替えも別にすることになる。
4組の教室は、
女の子の更衣にあてられていた。
生徒たちはもう着替えを終えていて
誰の姿も見えなかった。
教室の後ろには個人用のボックスが並んでいる。
生徒たちは、自分の荷物を
ここに入れて置く。
ボックスには一つ一つに
出席番号がシールされている。
「先生、ほらこれ見て。」
彼女たちは、その一つを指差す。
そこには、手提げかばんと
布袋が入れられていた。
布袋の口が開いていて、中から
体操服がのぞいている。
「これがどうかしたの?」
「先生、よく見て、切られているよ。」
樹季はその体操服を手に取って見た。
白いコットンの体操服には
左胸に学年カラーの緑色で
名前の刺繍がしてある。
その名前のあたりが
ハサミで鋭く切り込まれていた。
体操服は
津島碧のものだった。
「津島さんは、どこにいるの?」
樹季は自分の顔が一瞬で蒼褪めるのを感じた。
(碧を探さなければ…)
職員室に戻り、必要な連絡をすませて
樹季は、佐古と一緒に
碧を探すことにした。
「靴はありましたか?」
「大丈夫、まだ校内にいるはずです。」
樹季も佐古もいつしか走り出していた。
昇降口から、2階の階段を上ろうとした所で
養護教諭の天野が走り寄って来る。
「佐古先生、
津島さんは無事でいます。」
天野は事情を聞いて知らせに来てくれたのだ。
佐古はその言葉を聞くと、
すぐに保健室へ向かった。
事件の真相を樹季が知ったのは
その日の午後のことだ。
津島の体操服を傷つけたのは
樹季に事件を知らせた
あの3人の少女たちだという。
彼女たちの行動が
知られることになった糸口は
別のクラスの男の子の言葉だった。
その日の2時間目は3組が音楽
4組は技術の授業だ。
彼は自分の教室の戸締まりをした後
音楽室に行くために足早に4組の教室の側を
通り過ぎようとしていた。
4組は技術の授業を受けるために
コンピューター室に移動しているはずだ。
ところが、その無人のはずの教室で
後ろのドアが少し開いていて
中から低く笑うような声が聞こえる。
彼は不審に思い、のぞいて見たらしい。
そのとき、一人の女の子の手に
ハサミが握られているのを
見たのだという。
放課後、少女たちに事情を聞くことになった。
長内里莉はその中の一人だ。
長内は、これまで一度も
問題行動はなかった。
彼女には、兄がいる。
里莉が入学したばかりの頃、
その兄のことをよく尋ねられたようだ。
兄は生徒会長を務めた秀才だった。
「君は長内君の妹か。兄さんは元気か?」
そんな教師の言葉にとまどっているのか
いつも曖昧な表情を見せていた。
樹季は、彼女の作文を覚えている。
(私の兄は、生徒会長だった長内亮です。
兄は少なくともこの学校では有名人です。
私は何度も兄のことをきかれました。
何だかちょっと兄が鬱陶しい気がします。
私は私です…)
里莉の精一杯の抗議に思えた。
長内は何を尋ねても答えない。
頑なに黙って下を向いている。
彼女は肩にかかる位の髪を校則通り
黒色のゴムで結んでいた。
その髪の分け目が今樹季の眼の前にある。
それは真っ直ぐな細い道のようだ。
白い境界線のようなその分け目は
少女の潔癖さを表すように見えて
樹季の眼には痛々しかった。