第88話 ゴブリン
「これ………どうなってるんですか?」
マリアは奏さんに補助してもらいながら、足場となる岩場を跳躍する。
彼女は陸上部に所属しており、走るのは得意だが跳躍は練習しておらず、ジャンプスキルのレベルが低かったため、どうしても誰かの助けを借りなければならない。
そこで頼ったのが、耳かきですっかり洗脳───ではなく魅了され、姉と認識した奏さんに擦り寄った。腕の袖を引っ張られた奏さんはまんざらでもなく、嬉々としてマリアを受け入れ、デレデレとしながら、なんだったたらマリアを抱えて跳ぶつもりでいた。そこはレベリングの関係もあるので龍弐さんに止められた。
俺たちエリクシル粒子適合者は、スクリーンの恩恵によって能力値を数値化したステータスを閲覧することができる。
能力値は自分の成長の度合いを数字に換算したもので、得手不得手も含めて、わかりやすいグラフと数字を羅列していた。
マリアの場合は先述した陸上部関係───体力と敏捷力が飛躍的に伸びていた。
エリクシル粒子適合者は能力の開花や成長速度が非適合者と比較して断然異なる。グラフの下には経験値バーがあり、微細化した派生図も閲覧が可能。走る、戦う、勉強するなどといった日常生活から訓練時まで、すべてを経験値に換算して配分される。極論、呼吸だって経験値に入る。途中からヨガなどの特殊な呼吸法でなければ経験値が入りにくくなるが。
よって、そのレベリング機能を存分に使うべく、マリアは俺たちと同行することで日々飛躍的な成長を遂げていた。最初に会った頃など、総合レベルは10くらいだったが、今では21まで爆上がりしている。
「岩が浮いてる………そんなことあり得るんですか?」
「結論から言えば、浮力があるってことか………それとも水より軽い岩なのか。まぁでも後者だった場合、中身がスッカスカの雑魚岩だから、踏んだ途端に粉砕とかもありえるよねぃ」
「でも砕けてないし、私たちが乗っても動かない。じゃあ、この水の底から生えた岩ってことでしょうか?」
「うん。今のとこ、その線が有効説だねぇ」
岩場の縁に立って水の底を見下ろすマリアの質問に、いつもの調子で答える龍弐さん。自堕落で享楽的で怠惰をこよなく愛する男を自称するも、知識と実力を兼ね備える強者の推論だ。どれかひとつが正しいに違いない。
そのまま跳躍を繰り返し、ついに桐生跡地に侵入した通路が見えなくなるまで進んだ頃。
マリアが配信者としての魂が疼き、カメラを向けたくなるのを我慢させながら、奥の空間を隔てる遮蔽物となった岩場を登った。右手はまだ使えないので、左手と両足を使って。
「なにか見えるかーい?」
「誰もいませんね。………うん?」
俺は声をかけてきた龍弐さんにハンドシグナルを送る。「待機」と「静かに」の両方を。
耳に確かに響いた。微かだが、カポーンカポーンと、まるで馬の蹄が鳴るような音を。
遠くはない。だが近くもない。
不運にも、今俺がいる岩場のようなポイントが多いため、音の発生源を隠す遮蔽物が多数存在する。
この広場はどうにも薄暗いため、影も見えやしない。
「………」
次のハンドシグナルを送る。奏さんの合流を。すると俺のいるポイントまで一気に跳躍して合流してくれた。
「この音の正体ですね?」
「お願いします」
さすが。話が早い。
奏さんは装備でわかるとおりオールレンジ攻撃を得意としている。それを可能とするのが類い稀なる空間認識能力と、秀でた視力と聴覚だ。俺の視力では捉えられない遠くの微細なものも可視化してしまう。
共に沈黙を保って感覚をフルに使い、死角を無くして周囲を探る。
しかし、その頃にはもうすでに馬蹄のような足音は消えていた。奏さんも振り返る。
「今の、なんだったんでしょうか」
「モンスターでしょう。………ただ」
「ただ?」
「なんていうんでしょうね。あの蹄の音を聞いた時、ゾクッとしたんです」
「奏さんが?」
以前、奏さんの評価を師匠である楓先生に聞いたことがある。群馬、栃木、茨城のどのゲートを潜ったとしても攻略を可能とする実力を身につけてくれたと言っていた。
その奏さんが悪寒がしたとなると、あの蹄の音を響かせたモンスターは普通ではないということだ。
「降りましょう。………ただし、警戒レベルは厳に。ここからは龍弐を先行させます。私は殿を務めますが、最悪………全滅の危険も覚悟しておかなければ、ならないかもしれないですね」
なんだかきな臭くなってきやがった。
群馬ダンジョンにそんな化物がいるなんて聞いてない。ソニックピューマのように、埼玉ダンジョンから流れてきた上位のレベルのモンスターかもしれない。
あるいは、東京ダンジョンから出現───有り得るか。
そういえばチャナママも気になることを言っていた。呪物精霊だったか。ヤバい奴が桐生に出現したとか聞いたな。もしかして、あれがそうなのか。
俺は奏さんと岩場から降りると、プランどおり龍弐さんが先行し、安全を確保して進むという、また進捗が遅れる行動に出た。だがそれしか安全を確保できる保証がない。
俺としては是非とも呪物精霊とやらを見てみたい気もするのだが、奏さんに右手を潰されたのでは満足に動けるはずがない。今回はお預けだ。
「龍弐。ここらは遮蔽物が少ないため発見される確率が高いので………気を付けて」
「あいあいさー」
奏さんの忠告に適当な生返事をする龍弐さん。だがその表情はいつになく引き締まり、普段なら絶対にやらないはずの抜刀術の構えで移動する。
いつ現れるかわからないモンスターに怯えつつ進む。マリアは青ざめ、鏡花も口数が減った。
と、三十個目の岩場に飛び乗った時。追従しようとした俺たちを、龍弐さんがハンドシグナルで止めた。「待機」と「静かに」を同時に出す。俺の耳にはまだあの蹄の音は聞こえていないし、奏さんも聞いていない。
龍弐さんは前方斜め左を凝視して、いよいよ神速の抜刀術の体勢に入る。左手で携えた日本刀の柄を親指でギリッと押し上げはばきを晒す。この抜刀術は先手も後手も対応する万能の剣術だ。龍弐さんなら十分に戦える。
が───
「え、あれって………」
「なんだ。ゴブリンじゃない」
いくつもある岩場の陰から顔を覗かせたのは、ゴブリン───通称、毒小人である。
ファンタジーなストーリーには必ず登場するあのゴブリンだ。
成獣であっても人間の子供のような体格。だが握力は成人男性の何倍。繁殖力が高く、ネズミにも匹敵する。異種族であっても孕ませようとする食わず嫌いと縁遠い精神をする雄どもは、同種や異種族の雌を執拗に狙う。
毒小人の由来は、死骸となると有毒ガスを放つことにある。よって食用には向かない。過去、ふざけて討伐して食した屈強な馬鹿な配信者がいたが、食後数秒で死ぬという放送事故をやらかした例がある。
さて、そんなゴブリンは決まって群れ単位で襲撃をするという。獲物を発見すれば大声で仲間を呼ぶ。男は殺し、女は嬲る。冒険者にとっては少々面倒な敵だ。
しかしここにいるのはスキル持ちだ。ゴブリン程度が襲い掛かろうと、接近させずに群れを討伐できる。
「………なにか変ですね」
「ええ。私たちをじっと見たままなにもしないなんて。叫べば仲間が来るのに」
岩場からひょこりを顔を出したまま動かないゴブリンを訝しむ。マリアの言うとおり、その後、なんのアクションもしないことに不審を覚えた。
「みんなはそこを動かないでね。奏、周囲を警戒。見てくる」
「了解」
龍弐さんから軽口が消えた。チャナママのように語尾を伸ばしていない。少し本気を出した、あるいは真剣になった証拠だ。
ついに出ました。定番のゴブリン。ファンタジーから切り離せないモンスター。
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