第82話 些細な犠牲は付き物
そう───あれは一週間と少し前のことです。
私たちを欺いた絶対に許せない敵たる、御影にとどめを刺すべく先行した京一さんが、アサルトライフルで反撃する御影に言った言葉を思い出しました。
あの時京一さんは、アサルトライフルの弾丸は曲がらないし増えないから怖くはない。と叫びました。
コメントにも《こいつはなにを言っているんだ?》とあったように、私もなんのことかわかりませんでした。
アサルトライフルに限らず、銃器の弾道は曲がりません。曲がったとしても失速や重力の関係で放物線を描くのみ。なんの不思議でもない、当然の理です。
ですが、奏さんの矢は異なりました。同時に、京一さんは表情でわかるとおり、奏さんの弓矢に最大の恐怖をしていたのだと理解しました。
私だって、京一さんのようにあの強弓で放たれた分散する矢の前に立てば、切腹と介錯の同時セットに晒されたのだと、気が遠くなるどころか失神していたかもしれません。
「ふぅ………スティンガーブルの三枚おろし、完成です」
お魚を三枚におろすのならわかります。私も挑戦しましたが、とても難しくて、必ずぐちゃぐちゃになります。
が、奏さんは弓矢で牛を三枚におろしました。矢ですよ、矢。
本当にもう、意味がわかりません。
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依頼を達成しようがしまいが、俺たちはストロングショットに戻らなければならない。いつもに増して重くなる足取りで通路を歩く。
途中、幾度も呼び止められるというアクシデントに巻き込まれた。なにやら、マリアのファンらしい。
配信者のファンになる冒険者というのも珍しいことではない。ファンあっての配信者だ。呼び止められれば、急用でない限り立ち止まってファンの応援に応える必要がある。
だがそれは義務ではなく、配信者の自由だ。煩わしく思うのなら、無理をして立ち止まる必要はないのだが、マリアという配信者はファンを大切にしている。新参者ながら早くもバズり、波乱万丈の旅のなかで中堅以上の人気を会得したといっても、初心をいつまでも忘れない。
誰であっても声がかかれば立ち止まり、握手に応じ、記念撮影をせがまれれば共にフレームに入る。応援をもらえば丁寧に頭を下げる。上位者になろうと、彼女のスタンスは変わらないだろう。
ところがだ。そう、ところが。ファンのなかには困った奴もいる。
無論、マリアの人気が急上昇したことに嫉妬した同業者が妨害目的の嫌がらせや、加害のために接近するというのもある。画面の向こうで愛想を振りまく彼女の笑顔が、自分だけに向けられていると勘違いしたストーカーもいる。そういう場合は、俺と鏡花が事前に阻止してきた。
そんなことを続けている内に、すっかりボディガードとして認知され、近くにいるとマリアへ向けられる危害が低減した。それは嬉しい。厄介なものを持ち込む馬鹿野郎が減った。俺の仕事も減る。
が、最近になって俺たちも困ったことが発生した。
今がまさにそうだ。
「ふ、ふふ」
「ククク」
「おい。あれ見ろよ」
「伝説的なレジェンドじゃん」
「伝説的なレジェンドって、自分でつけたんだっけ?」
「そうそう。やべぇよな」
「マジか。超笑える」
クスクスと、俺へ向けられる嘲笑が増えた。
俺はもうマリアとセットとなって行動する身。マリアがいるところに俺もいる。いなければならない。これは義務だ。
しかしそれをいいことに、あの神経を疑うような切り抜き動画や、俺の発言だけでなく声や顔まで魔改造された動画が急激に人気を博したこともあり、俺もマリアと同様に、別ベクトルではあるが注目されるようになった。
そろそろ誰かひとり、見せしめに半殺しにしてもいいかなぁ。なんて考えていると、ギュッと右手を握られる。
「これはお仕事なのでしょう? ダメですよ京一くん。粗相は許しません。めっ、です」
「………ぅす」
可愛く注意を促す奏さん。
しかし、「めっ」と言った途端に握った五指が潰れる寸前まで圧力を込められた。もう可愛くない。怒りが痛みで消し飛ぶ。泣きそう。
が、
「おい。あれも見ろよ。最近話題のマジキチ奸策姐さ───」
「だぁぁれがマジキチだぁぁぁああああああああああああッ!!」
「ぴょぎゅっ!?」
マリアのファンのひとりが、嘲笑の的を俺から奏さんに変えた。
粗相は許しません。その教えを秒で破る。で、同時に握られた指すべてがボキボキボキィッと異音を奏でた。
粉砕骨折。
笑えない。泣くに泣けない。痛い。痛すぎる。折れてもまだ握ってくる。
自分では否定しているけど、マジキチだろこのひと。
「誰ですか!? 今、私をマジキチと貶した愚か者はぁあああああああッ!!」
「か、奏さ………やめ、手、手が………」
「あのボンクラ野郎めっ。こんな仕打ちを受けるなら、先にあのボンクラを蜂の巣にしておくべきだった!!」
「あぎゅっ………」
ベキベキベキィッ。と潰れた手でまた異音。
酷い。俺がなにをした。というか、まだなにもしてないだろうに。
奏さんは俺の手を握ったまま闊歩する。俺は手を解放してもらうべく、呼気を荒げて奏さんに続く。そうでもしなければ、手首から先がちぎられていたかもしれない。
「か、かか、なで、さっ………ダメです! 止まってぇ! 京一さんの手が大変なことになってます!」
「大いなる野望の前に、些細な犠牲は付き物」
なにが野望だ。嘲笑する連中を粉々に粉砕したいだけだろうに。そのための犠牲が俺の手? ハハッ、笑える。………いや全然笑えねぇぞ。
「かな、奏、さ………これ以上はぁ………手が取れるぅぅううう!」
「我慢なさ………あ」
やっと振り返ると、俺の手が無惨な姿に成り果てていることと、周囲の視線にも気付く。
「───てへっ」
誤魔化せると思ったのか、可愛く笑ってみせたが、そんなもので誤魔化せるものなら、俺の右手は今すぐにでも動くのだろう。手首から先がぷらーんとぶら下がっているそれを掲げ、あえて奏さんに見せてみた。
「奏さん。問題です。俺のスキルにもっとも必要な部位は、どこでしょう?」
「………ごめんなさい」
もう誤魔化しきれないぞ。という意味を兼ねて、俺は初めて奏さんのマウントを取れた気がした。
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群馬ダンジョンの最上部にて。
それは熱い呼気を吐きながら唇の端を吊り上げる。
見方にもよるが笑っているのかもしれない。だが、それが果たして、喜悦の感情を抱いた現れを自覚しているのかは不明だった。
熱い呼吸の原因は、体内に餌を充填し、それが瞬時にエネルギーへと変換されたゆえに。
笑みを浮かべながら、それは長い首を持ち上げた。暗がりから出現し、カポーン、カポーンと蹄を鳴らす。
気配が動いたのを察知した。誘われるかのように歩き出す。
そこに残った食事の残骸───人間の手足を放置して。
ブクマありがとうございます!
ダンジョンであるからにはこういう不気味な演出もしてみたかったのです。
前半は、またどうにも公式が病気みたいな展開となっておりますが、空気を変えてみました。
そろそろ後半に差し掛かります。約一ヶ月を毎日休まず書いた影響でなかなか刺激のある日々を送れました。応援してくださる皆様には感謝しかありません。
今後も一日二回更新をどうにか維持していくためにも、今一度、ブクマ、評価、感想などの応援を送ってくださると助かります。よろしくお願いします!




