第73話 コノ子タベタイ!
一通りの入浴を済ませて、タオルで髪を拭きながら部屋に戻る。龍弐さんはまだ戻っていなかった。
温水が詰まった袋は六つあり、半分を使ったので、残りは龍弐さんの入浴のためにスクリーンのなかに入れておく。
スクリーンを開いたついでに、リトルトゥルーから受けられるサービスをひとつ使った。
無料で洗濯を受けられるものだ。すでに前回の衣類は洗われていて、俺のところに送信されている。で、溜まった汚れものを一気に専属の業者へと送った。
洗い立て同然の仕上がりの下着やズボン、シャツに着替えて外に出る。まだ体の放熱が済んでおらず、冷却できていなかったので、ジャケットは右肩にかけた。
ジャスト十分で入浴を済ませて、部屋の外に。
「うわ、あんた………十分で済ませて平気なわけ? ゆっくりして疲れを取ろうとか思わないの?」
同室のふたりを待っていた鏡花が廊下に立っていて、ジャストで出てきた俺を見て引き気味になる。
酷い言われ様だ。別になにも悪いことなどしていないはずなのに。
「別に。男の入浴なんて、こんなもんだろ。ああ、あとこれ。ありがとな。置いてってくれたから、使わせてもらったんだが………」
「いいわよ。変なシャンプー使って、嫌な臭いされても困るし」
シャンプー類が入った籠を返却すると、なんのこともなさそうな顔でスクリーンに収納する鏡花。
するとやっと支度が終えたのか、一階の死地というか地獄というか魔窟というか、とにかく形容し難い空間に居座る覚悟でもしてきたのか、奏さんとマリアが部屋から出た。
「………マリア、なんで泣いてるんですか?」
「色々あったんです。苦労してきた子ですからね」
奏さんに頭を撫でられながら付き添われるマリアは、嗚咽を混ぜながら涙を流して俺に訴えた。
「ぎょういぢざぁぁん………」
「ど、どうした?」
「飾り気のない部屋で心配でしたけどぉ………安全が確保された部屋でぇ、温かいベッドと清潔なシャワーがあるのって、本っ当に恵まれてるって思いますよねぇ………うぁぁぁぁああん!」
「お、おう………そうだな。色々あったもんな。ゴーストタウンで入浴したこともあったし」
一々大袈裟だな───と率直な感想が浮かぶも、まともな入浴ができたのは下仁田のゴーストタウン以来だし、なにより御影との事件後は張り詰めたものがあったため、気が抜ける状況でもなかった。
しかしここには鏡花や奏さんがいる。同室に絶対的強者が君臨するだけで安心できる度合いも違う。心からリラックスして入浴を楽しめるのは今くらいだ。俺だって二週間以上はゆっくり入浴できなかった。ずっと濡らしたタオルで体を拭いたり、水の要らないシャンプーを使って洗ってきた。紛い物で誤魔化すだけでも違ったが、やはり本物は別格だった。疲れが取れた。………今からさらに疲れるとしても。
「夜にはまたお湯が届くから、寝る前にもう一回入れるわよ。ストロングショットは、ダンジョンのなかで唯一、本物の清潔を得られる場所なの。チャナママに気に入られないといけないけどね」
「鏡花。あのゴリマッチョは………」
「口の利き方には気をつけなさい。目の前でそんな呼び方されたら、狙われるわよ?」
「………それだけは死んでも嫌だ」
多分、そういうことなのだろう。
俺の頭のなかには、ずっと現実になってほしくない映像がループしてる。チャナママなるゴリラに夜這いされた事後など。
ここに来た時、巨漢が尻を両手で押さえて泣いていたが、あれは報復された事後。
………俺、ずっと黙ってた方がいいのかもしれない。
覚悟して一階の死地へ赴く。絶対に失言はしない。失言しないためには黙っているしかない。食前、食事中、食後、黙していれば俺の安全は確保されたも同然。
………の、はずだった。
「おっ、キョーちゃんやっと来たねぃ? おーい、チャナママァ。俺の愛人が降りてきたぜぃ!」
「はーい、坊や。いらっしゃいませぇ!」
「………冗談じゃねぇ」
任務失敗。早速発言。
帰りたい。軽井沢の、平和な大地に帰りたい。
龍弐さんはホールの一角にあるテーブルにすでに着席していて、ジョッキを片手に、鰻重にショートケーキを乗せたような着飾ったゴリラたちと酒盛りしていた。
「へぇい! みんな、こっちこっち! 席は確保しといたよぉ!」
「………龍弐。いったいいつからそこにいたんですか?」
「んー、四時間前くらいから?」
「休憩時間すべてを飲酒で潰すなんて、あなた馬鹿ですか?」
「いいじゃなーい。普段飲めないんだしさ。今日はもうどこにも行かないしぃ。昼間から飲んでても文句言うひといないよぉ」
奏さんも呆れる始末。
俺も呆れる。部屋にいないと思ったら、ずっとここで飲んでたなんて。
それにしたって、四時間飲み続けて倒れないなんて、龍弐さんも店員のゴリラどもも化け物かよ。
龍弐さんと奏さんはすでに成人している。確か、今年で二十一歳になる。俺と四歳差があった。だから弟のように可愛がってくれた。
「りゅーちゃん、もしかしてこの俺様系のワイルドそうな坊やがぁ?」
チャナママが蠱惑的な視線を向ける。その瞬間、耳の穴から侵入したぬめりのある触手が、耳道と鼓膜を舐め回すような不快感が襲う。
こんな睨みより、アサルトライフルの銃口を向けられた方がよっぽどマシだ。
「そうでーす! このキョーちゃんこと、折畳京一くんが、あの有名な、伝説的なレジェンドくんでぇぇっす!!」
「イェェエェェエエエェェエエエイッ!!」
「かんわぃぃいいいいいいいいい!!」
「タベタイ!! 私、コノ子タベタイ!!」
「ねぇ、お姉さんと仲良くしましょおおおおおお!」
龍弐さんの発言は、まるで号砲だった。
チャナママなるゴリラが奇声を上げた途端に、店員のカツレツクリームだか鰻重ショートケーキだが、不協和音を物理的に形状化させた連中がこぞって押し寄せる。
「いぎぃぃぃいいいいいいいい!?」
俺はかつて、こんな恐怖を覚えたことなどなかった。どんな敵、どんなモンスターだろうと臆さず戦った。楓先生と奏さんは別として。
このふたりを柔とするなら、ゴリラどもは剛。それも圧倒的な剛。意味不明な熱量を湛え、破壊の象徴として大挙する。
逃げられない。死ぬかも。
混乱の末に、戦闘を選択。殺される前に殺すしかねェッ───!
「だからそれをやめろって言ってんでしょーが。もっと頭使え」
「あだぁ!?」
反撃に転じようとして、また鏡花の奇襲を受ける。ゴリラどもに飽和されそうになったが、鏡花のスキルが発動し、ゴリラどもはどこかに消え、代わりに石ころが床にぶち撒けられる。
数秒後にドタドタと足音が聞こえると、外に転がっていた砂利と入れ替わったゴリラどもが、極上のタフネスと粘り強さを発揮する。
流石にこれは看過できないと、鏡花がさらに凶悪な方法を使おうとするが、チャナママとかいうボスゴリラが俺を背に庇った。
「はいはい。お嬢さんたち。おいたはダーメ。坊やが怖がってるわ」
ふざけんな。お前が一番怖いわ。
ボスの停止命令を受けた色欲ゴリラたちは、「えー」と非難の目を向けブーイングを飛ばすも、「ネ゛?」とボスゴリラの強まった睥睨を受けて渋々解散。
「ごっめーんね。怖かったわねぇ、坊や。でももう心配ないわ。手を出させないから」
「いや、そりゃお前がムゴッ」
「チャナママがそう言ってるんだし、安全は確保されたわ。いいから座りなさいって」
鏡花が背後から俺の口を塞ぎ、龍弐さんのいるテーブルの壁側にあるソファの一番奥へと押し込んだ。抵抗は許さんと、俺の隣に座って自由意志を奪って。
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