第66話 水の上を走りたい?
「マリアちゃん。今、配信してるんだっけ?」
「あ、ごめんなさい。今はちょっとお休みしてます。実はこれから、昼食にするつもりだったので」
「そっか。ごめんね。お邪魔しちゃって。じゃあこれからザリガニをご馳走してあげようね」
「え、ザリガニを、ですか?」
マリアは日本人とアメリカ人のハーフだが、国籍は日本で、生まれてから西京都でずっと生活していたようで、アメリカの食文化は知らない。
アメリカには郷土料理としてアメリカザリガニを食する文化があるらしいが、日本ではザリガニを食用に養殖していないこともあり、普段滅多に口にしない生物のひとつといえる。
俺は数年前、本当に腹が減った時に近所の川で釣って茹でて食べたことがあるが、泥臭くて最悪な風味だったことを覚えている。
「配信してないなら丁度いいや。これ、あまりひとには教えるなって言われてるからさ。もし配信してるようだったらやめようかなって思ってたんだ」
「そうなんですか。………それにしても、ザリガニを釣るだけなのに………えっと、川じゃなくて湖の底にいるのって、本当なんですか?」
「そうらしいね。俺も実際見たことがなくてさ。あ、じゃあマリアちゃんは離れててね。危ないから」
龍弐さんは長すぎる釣り糸を適当な長さで手に垂らし、釣り人ならあまりやらない方法で湖に放り投げた。
手で回したのだ。そりゃあ、専用のルアーではないから釣り糸を適切な長さに調節して、振って投げ入れることはできない。ブンブンと回転させ、遠心力をつけてポーンと放る。
その飛距離には目を疑った。疑似餌が見えなくなった。湖の中央に落ちた。百メートル以上は飛んでいる。
「ふんふんふふーん」
適当なハミングをしながら、釣り竿に見立てた日本刀を細かく振る。
馬鹿みたいに長い釣り糸が、今では目的のポイントに到達したようで、水面と日本刀とでピンと張っていた。
「ね、ねぇ。このひと、本当に何者なの?」
「なんて説明するのが正解なのか、わからねぇんだよ」
日本刀でザリガニ釣りをするという、普通では試みない実験を平然とやる龍弐さんを不審がる鏡花。気持ちはわかる。俺だってそうだ。数年の付き合いだけど、今こそ龍弐さんがなにを考えているのかわからない。
開けた洞窟の湖で、魚釣りのようなザリガニ釣りを興じる龍弐さんは、時折悩む仕草をしながら手首のスナップを変えたりして、三分ほど悪戦苦闘し───
「お………お、おお?」
なにか手応えがあったのか、日本刀を引き始めた。
巻き取り機が無いので釣り糸を日本刀に巻いて距離を縮める。しかし手応えが強くなったのか、いよいよ水面で釣り糸が暴れ始めた。
「キタキタキタァ! でかいよぉ、こりゃ」
勝手にひとりで盛り上がる。両足を踏ん張って、両腕で日本刀を引く。まるで棒きれを湖で振る不審者の図の完成。
が、日本刀の鞘尻が、まるで綿あめのような変貌ぶりになった途端、湖でも異変が現れた。
「なに、あれ………」
想像とは異なる現象。
到達した疑似餌にかかった獲物が、龍弐さんに牽引されて接近している。
しかし水面に浮かぶ泡の量が違う。あんなの、ザリガニ一匹を釣った時に出るものじゃない。
地震でもあったのかと疑うほど揺れる水面。つまり、ただのザリガニではない。もっと別のなにか。
「りゅ、龍弐さん? いったいなにを釣ろうとしてるんですか!? これ、どう見てもザリガニの規模じゃないんですけど!?」
「あー、そうだねぇ。みんな、依頼でリビングメタル採取を受けてたんでしょ? でもあれって、湖の底まで潜らなきゃ取れないしさぁ。だから持ってきてもらおうと思ってね。ま、見てな。もうすぐだよっ」
より強く日本刀を引く。
巨大魚どころではない反応。アーカイブにあった、巨大鮫を釣るシーンを彷彿とさせる。
グググ………と水面が持ち上がった。湖の底に隠れていた巨大ななにかが、ついに現れようとしている。
「それじゃあみんな、ご注目! これがリビングメタルの配達員さんでーす!」
にこやかに叫ぶ龍弐さんは、背後にターンすると双腕を思い切り振り降ろす。なにかを袈裟斬りにでもするように。
代わりに水面を突破して現れたのは、体長十メートルほどの巨大なザリガニ。赤黒い色をイメージしていたが、随分とメタリックグレーで統一されていた。
「ま、さか………」
「金属のザリガニ………あれがリビングメタル!?」
「せいかーい。百点満点だよぉ」
マリアと鏡花が驚嘆する。龍弐さんはまだ笑っていた。
「あれはメタルイーター種のザリガニタイプってところだね。スライムなんかは金属に擬態するけど、擬態しているだけで金属そのものになったわけじゃない。でもメタルイーター種は金属を主食とするから、外殻が金属そのものになってるんだ。グレードは別としてね」
ダンジョンは不思議な場所だ。まだ俺が知らないものが出てきた。龍弐さんたちからも教わったことはない。今こうして事実を晒すまで秘匿されていた。
「あのでっかいザリガニが主食とするのがリビングメタル。メタルイーターにとっては鎧にもなり、毒にもなる妙薬。リビングメタルの特性は死なずに成長し続けること。鎧とは食事と生きた年数によって厚みを増し、毒とは接種と成長を促し続けることで、肥大化する装甲を支えられなくなり、いずれ体内も金属化してしまう。でもあのザリガニは特別優秀だね。水中にいれば自重で潰れることはない。ちょっと重くなるだけ。うん。ジープ四台分ってところかな」
説明しながら龍弐さんは釣り糸だらけの鞘から刀を抜刀する。
というよりも、ジープ四台分の重量を背負い投げのように持ち上げるとか、龍弐さんのストレングスは昔より磨きがかかっていると思えた。イカれている。
「マリアちゃん。悪いけど、ここからも公開しないでね? 乱獲される可能性があるから。そしたら親父の商売上がったりだ」
「ひゃ、ひゃい………」
腰を抜かしそうになるマリアは、何度も頷く。白刃を晒した龍弐さんが纏う空気が一変したからだ。
優しげな笑みのまま、空気だけが先鋭化するような。手を伸ばせば指先が切断されるのではないかと錯覚するほどに。
「じゃ、行くよー」
龍弐さんは跳躍した。予備動作も無しに、初速からトップスピードを叩き出す。
「っぁ………!?」
鏡花が目を剥いた。その表情は驚嘆に染まり、変な声さえ出ていた。
龍弐さんのステータスを数年前に一度見たことがある。
先週見た鏡花のステータスと比較しても、敏捷力は数年前の龍弐さんの方がわずかに優っていた。
ステータス値はレベルアップすればするほど上がりにくくなる。だが龍弐さんは未知数なところがある。
予備動作もなく初速からトップスピード。それを可能とする頭のおかしいスピードマン。もしかすると、数年前に見た数値の倍になっているかもしれない。
身を翻した龍弐さんは───水面を走る。あたかも地上と変わらない足取り。
数年前に言っていた。『水の上を走りたい? 簡単だよぉ。踏み込んだ足が沈む前に次の足を出せばいいの。小幅じゃダメだよぉ? 普段歩くみたいな歩幅で踏み出せばいいんだからねー』だとか。
あの時は風呂で試して、危うくバスタブの底をぶち抜くところだった。鉄条にこっ酷く叱られた。
絶対無理だと思っていたが、まさか、本当に可能にしていたなんて。イカレてる。
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