第32話 太田ゲートへ
「………」
「………」
「………」
痛いくらいの沈黙でした。
なにが原因って、数時間前の、アレです。
私は鏡花さんと入浴を楽しみました。鏡花さんは私より大きく───違います。そうじゃありません。
久々のお湯で心も温まり、張り詰め、凝り固まった筋肉さえとろけていくような快感のなかで、ふいに横の間仕切りに視線を移すと、息を呑む光景が。
逆光の影響で人間の影の輪郭が見えたのです。
鏡花さんが怒号とともに誰何を問います。途端にその人間らしきものは跳びあがり、逃亡しました。
で、ここからが問題です。鏡花さんは怯える私を抱えてバスタブから出ました。固定していないので乳濁色のそれは転がり、もったいないことにお湯を全部ひっくり返してしまいました。
慌ててバスタオルを巻き、まず最初に同行をさせてもらっている京一さんを覗きの犯人と疑ったのですが、後に撮影していたカメラを確認したとおり、ずっと玄関で座って待っていてくれたのです。本当に申し訳なかったです。
その京一さんはカメラを気にして、更衣室から出ようとした私たちを阻止してくれました。インモラルブロック機能を使わずに済みました。AIの判定とはいえ、一瞬だけ見えてしまっていたでしょうから。
偉業を達成した私たちの配信は、全国でも注目度が高く、ただ景色を配信しているだけでも視聴者数は先週の百倍に届いていました。とても恥ずかしい思いをするところでした。
そしてこの気まずい空気。
京一さんは女性の裸に対して見慣れていて、余裕のある方と思いきや、そうではありませんでした。
耳だけでなく顔も赤くして、ずっと私たちを見ようとしません。
そういえば私たちは入浴できましたが、京一さんだけは入りそびれてしまいました。
入浴に使用したバスタブや間仕切りは回収しましたし、お湯はまだあるので入れることをお伝えしたのですが、「先に進もう」と言われて断られました。
本当に申し訳ない気持ちでいっぱいで………でも、なぜでしょう。
私は先程から、羞恥とは別の、自分でもわからない感情を抱きつつあるのです。
その正体は自己分析を続けても、きっとすぐにはわからないでしょう。
だから今は、気まずくとも同行を許してくれる京一さんと、上野村を目指すだけです。
「………運がいいわね。あったわよ」
カメラを回す私とは違って、全方位を警戒、観察するおふたり。山道を進んでいると、鏡花さんがそれを示しました。
「まるで洞穴みてぇだな。なるほど。自然物じゃないのは確かだ」
山の斜面にできた二メートルほどの穴を観察する京一さんが首肯します。
この地上の旅で私も色々学びました。
ダンジョンモンスターの習性や、行動を。
特に地上で人間と戦い、縄張りであることを証明する証拠を。
「マーキング、ってことですか? 酷い臭い」
「犬なんかがそうだろ。電柱に小便ひっかけるのと同じだ。ま、このルートを支配してた奴は、もういないみたいだけどな」
洞穴の入口から強いアンモニア臭がしました。なんていうか、人間の排泄と、下水を混ぜたような、少しでも吸引すれば吐き気を催すほどの。
京一さんの分析どおりなら、この臭いはモンスターのおしっこ。最悪です。
「だろ………ッ!?」
「ええ………ッ!?」
振り返った京一さんの近くに鏡花さんの顔があり、パッと距離が開きます。無理もありません。私だって京一さんとあれだけ近くにいたら、同じ反応をすると思います。
でも、なぜでしょう。京一さんと鏡花さんがそんな反応をすると、胸が締め付けられるような。
《こいつら、本当に風呂でなにもなかったのか?》
《なにもなかったわけねぇだろ! 言わせんな!》
《ふざけんなよ伝説的なレジェンド!》
《羨ましすぎるぞ!》
今日も元気にコメントをくださる視聴者のみなさんが、ヘイトを飛ばします。京一さんは一貫して無視していました。
さて、ここから先はまたダンジョンのなかに戻ることになります。
もう鏡花さんの先導は終わっていて、元のフォーメーションに戻りました。京一さんが前に出ます。
すべて手探りでした。
正午過ぎにダンジョンに潜り、上野原ゲートを目指しながら、マップを開いてどの辺りかを照らし合わせながら。
なんと、三時間後には、運がよかったのか上野原ゲートと呼ばれる、埼玉ダンジョンへの入口に到着したのです。
ですが───
▼ ▼ ▼ ▼ ▼
「………クソ。噂は本当だったのかよ」
群馬の小腸を地上から脱するという強引な裏技でクリアし、また潜ったダンジョンは、風の流れやモンスター、冒険者などが壁につけた傷を分析した結果、いくつもの分岐を抜けた先に上野原ゲートを発見するまでに至った。
そこは見渡す限りすべてが岩のような、小腸と呼ばれる区域とは違った外見となっていた。
とにかく広い。大型車が三台ほど並べる通路。ゲートのある空間まで続くそこは鍾乳洞に似ている。
だが、鏡花とマリアと会った日に聞いた噂が真実だと知り、愕然とした。
ゲートの崩落だ。
ダンジョンは生きている。分岐と分岐が繋がることもある。
そして穿たれた穴が塞がれることもある。
人間が擦り傷を負った際、数日で塞がるのと同じだ。
岩の崩落がかさぶただとすれば、それに沿うような形で出入り口そのものが塞がれた。きっと岩を退かしても、今頃はもうすでに無いものとなっている。
「どうする? ブチ抜いてみる?」
強硬手段に出ようとする鏡花。
確かに壁を穿てば、その先は埼玉ダンジョンだ。が、
「この岩を退かすのも時間がかかる。………迂回して、どこかのゲートを探すしかない。なあ、手ごろなのどこか知ってるか?」
労力は惜しむべきだ。こんなところで余力を裂いている場合ではない。
「そうね。最近じゃあ………太田ゲートかしら」
「太田か………遠いが、それが最短か」
「そうみたいね。………悔しいけど、諦めましょ」
「ああ。そうだな」
驚いたことがあった。
少し前なら、この結果に「噂に振り回されて損してやんの。バーカ」と言いそうな鏡花が、この結果に俺と同じくらい悔しがっていることだ。
なんだか変な感じだ。
仲間意識、とでもいうのかな。それに似たようなものでも芽生えたというのか。
なにを考えているのやら。俺と鏡花たちは一時的に手を組んだだけだ。互いに見極める時間を設けた、お試し期間なんだろうが。
まだ俺は鏡花もマリアも見極めていない。それなのに、なにを早くも絆されているのやら。
しっかりしなければ。
「………行きましょう。京一さん。鏡花さん。太田へ」
「ああ。そうだな」
「と言っても、途中でこの関係も終わりそうだけどね」
「鏡花さぁん………それを言わないでくださいよぅ」
「ごめんって」
今日で三日目が終わる。あと四日。
まだ半分にも差し掛かっていないにも関わらず、俺はこのふたりとやっと離れられることに安堵───していなかった。
惜しんでいるのか? この俺が?
一方は好き勝手に煽り散らかしてくる女。一方はレベルが低いにも関わらず配信するために命をかけた女。
俺にとってはどちらも厄介だ。鏡花のレベルは高い。もしかすると俺よりも高いかもしれない。最初は性格などの相性の不一致で、マリアを請け負ってくれたことを契機に突き放すように離れたのに、またしても訪れる別れに、俺は謎でしかない胸の痛みを覚えた。
これはなんだ? なんていう感情なんだ? どう形容すればいい?
わからない。なにもわからない。
楓先生………違う。奏先輩に聞けば、わかるだろうか?
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