第24話 冨岡跡地の上から
時刻は午後五時を過ぎた頃。
曇り空の下、俺は数日振りに地上に出た。
数ヶ月は太陽の光を見ることはないと覚悟はしていたが、こうも早期にお目にかかれるとは思ってもいなかった。
「これが………地上」
『なにしてるのマリア! しっかりして! 周囲を撮影しなさい! これは確実に………歴史に名を刻む瞬間だわ!』
「は、はい!」
呆然としていたマリアはマネージャーの叱咤により正気を取り戻すと、しっかりと脇を締めてカメラを固定する。
視界の片隅で、配信動画のコメント覧が今まで以上に滝登りをする。どれも感嘆を現す言葉にならない叫びだった。きっと誰しもが画面の向こうで興奮している。同時視聴者の数も跳ね上がった。
マネージャーの雨宮とかいう女の言うことは間違っていない。
確かにこれは歴史的快挙の瞬間だ。衝撃の度合いとしては、日本で、いや世界で初めてダンジョン化した関東地方を一枚の写真に収めたとされる、富士山の頂上にいた写真家のそれが世間の度肝を抜き、今でも語り継がれる伝説となっている。
だが、それよりも俺たちは鋭角的に全世界に配信した。
ダンジョンの外からではない。ダンジョンの内部からの映像。二百年という時間を、ひとの手が届かなかった町のひとつに立っている。
おそらくこれは、明日の朝のニュースにも載るだろう。
───目立ってはいけないと言われていた俺の誓いを破る形で。
「それにしてもまぁ………奇遇よね。あの出口の目の前にこれがあるなんて」
「そ、そうですよね」
鏡花は目の前にあった建造物を見上げる。マリアも倣ってカメラを向けた。
「世界遺産になった富岡製糸場が、こんな姿になっているなんてね」
俺もそれを見た。アーカイブにもあった歴史的建造物。
二百年前。日本でエリクシル粒子が湧出し、日本人の約半数を死に至らしめた。同時に関東地方が隆起し、このダンジョンが形成された。
関東地方は超立体的構造物となり、日本があの大病の禍ことで手が届かず、関東地方は見放されたも同然となる。こうして地表に立つとわかる。当時の面影が若干残っていた。
人間や動物の死骸だ。二百年も経過すれば白骨化するが、今はそれもほとんど残っていない。
「………いるな」
「ええ。そうね」
「なにがですか?」
観察を続けることで判明した事実。マリアだけは察知できていない。
「この地上も、そこまで安全じゃないってわけだ」
「どうしてです?」
「富岡製糸場を見てわからない? そりゃ、二百年も経てば経年劣化するし、当然手入れも整備もできないのはそうだけど………壊れ方が変じゃない?」
「………あ!」
マリアはやっと察知して、ブルリと身を震わせる。
「まさか、ここにもモンスターがいるってことですか!?」
「ま、安心しろよ。近くに気配はない」
「なんで………こんなところに」
「ダンジョンの外にモンスターが逃げ出すこともあるでしょ。ゲートだって歴史を見ればわかるとおり、人工のものがあれば、経年劣化や、モンスターが暴れて開いたものだってある。そうやってダンジョンの天井が開いて、モンスターが地表に現れたのかもね。しかも地上には動かない餌がたくさん」
「うっ………」
鏡花もなかなかシビアな現実を突き付ける。コメント覧が騒然としている。
モンスターの気配がしないからとしても、ここで呆然としているわけにもいかない。俺たちは町の観察をするため、モンスターが暴れた影響で半壊した建物の上に移動することにした。
俺と鏡花は難なく跳躍するが、マリアだけはどうも警戒深く、えっちらおっちらとしているので、鏡花がヘルプに入る。
「晴れてきたわね」
マリアを建物の屋上に引っ張り上げた鏡花が、空を見上げて言った。
「なんだか寒いです」
マリアは片手でカメラを持つ腕を摩る。
俺たちは元々薄手ではない。本格的な戦闘に備えて、防護性を高めるためリトルトゥルーが支給するジャケットを着用していた。それがうまく体温を保っているのだが、マリアが言うように、俺もどうも肌寒くなってくる。
「当然じゃない。ここはダンジョンの上よ。標高四千メートル。もう富士山より高いところにいるんだから」
「富士山………ひぇ」
平然と言う鏡花に、マリアは顔を青くさせる。ここが碓氷近くの断崖絶壁でなくてよかったと思う。下を見下ろしたくない高さだ。
「おかしなものよね。ほら見て。富士山より高い場所にいるっていうのに、まだ山がある」
「元々、関東地方全体が持ち上がったからな。二百年前なら富士山の半分以下しかなかった山も、今では日本最高標の山になっちまったのか。それもいくつも」
「東京なんか行ったら、もっと高い山になるかもね。研究では、東京は一万メートルとか言われてるわ。エベレストより高くなっちゃったじゃない」
言われてみれば恐ろしいものだ。日本のみならず、世界最強標が悠々と塗り替えられた。それもたった一日で。
ただ、日本の歴史に名を刻む瞬間で得た快感を、より超越する光景を目にすることもできた。
「………うわぁ」
マリアは感情豊かで、なにか思えばすぐ声に出る。配信者としては相応しい感性だろう。俺や鏡花は声にすらならなかった。
ダンジョンの上から見る夕陽は、とても素晴らしかった。晴れた空を染める茜のグラデーションは、故郷の軽井沢から見るそれと変わりないのだろうが、高い場所から見上げる夕陽は格別だと思える。
混じり気のない赤とでも言うべきか。太陽から発する天然の赤。それが見渡す限りどこまでも続きそうな大空を包む。
二百年前のとある映画で、こんなフレーズを耳にしたことがある。
───夕陽はいつもひとを振り返らせる。
確か、こんな感じだった。そのとおりだと思えた。例え夕陽に背を向けていても振り返る。
で、振り返ってみれば───案の定というか、ダンジョン攻略を決意した人間の心を折るような絶景が待っていた。
「………あれが埼玉ダンジョンか」
冨岡跡地から見てもすぐわかった。
日本最高票を記録した富士山は、東京からも見えたという。なんなら都庁の展望室からでも。
各県がブロックのように分けられるタワーに似たダンジョンは、奥へ進めば進むほど高くなる。埼玉、神奈川、千葉は八千メートルを超えている。東京に隣接している山梨県はその土地面積の半分が群馬、埼玉レベルまで隆起して、俺たち冒険者という名の侵入者の行手を阻んだ。
「………私たち、これからあそこに行くんですね………」
生唾を呑み喉を鳴らすマリアが呟く。
「県境のゲートを越えられれば、だけどね」
現実主義者の鏡花は嘆息する。
「で、地上に出たはいいけど、これからどうするって?」
プランニングを決めた鏡花に尋ねた。
「ま、歩いて冨岡を出るとしましょ。安心していいわ。ダンジョンモンスターも酸素がなければ生きていけないのは、すでに判明してる。ダンジョンそのものが呼吸するように、一方通行ではあるけど吸気口と排気口は存在するの。………無ければ作るしかないのだけど」
「作った先がモンスターハウスとか、やめろよな?」
「それは運次第」
さらっと危険なことを言う鏡花。
その知識量は、ダンジョン攻略のため無い頭を最大限に回し、伝説の冒険者に師事した俺の数倍はある。だが、あまりにもリスキーだ。鏡花はマリアと組む前から、こんなことを当たり前のようにしてきたんだろうか。
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明日はいつもより多く更新しますので是非ともチェックしてみてくださいね!
私は夕陽が大好きです。
雲があってもいいんです。燃えるような赤い色や、オレンジや、最近では黄色なんかも心が動くようになりました。




