第226話 かなでおねえちゃん!
音だけではわかりません。私はスクリーンを開いて、編集画面に切り替えます。チーム全員もその画面を開きます。
「暗転してる? ねぇ、これってインモラルブロック機能っていうんだっけ? 起動してね?」
龍弐さんが言います。
「いえ、私の画面には起動した形跡はありません。でも、なんで暗転してるんでしょう」
「ねぇ。なんか暗くなってるっちゃなってるけど、動いてないかなぁ?」
六衣さんの分析に、暗転した画面を注意深く観察します。確かに上下左右、ランダムに動いているようにも見えました。
「ま、待って! マリア、コメントを見て!」
「え、コメント………?」
私の配信は何百万人が同時接続し、リアルタイムで視聴している状況です。コメントなんて読めたものではないくらいの速度で流れていきます。
最早残像みたくなっていますが、その多くに共通して『キョウちゃん』とありました。笑っていたり、驚いていたりと。
「え、どういうことだ? 京一?」
アルマさんが恐る恐る京一さんに注目します。すぐに全員の視線が集中しました。
「………えっと、なんか………モゴモゴしてないっすか?」
迅くんの言うように、赤ちゃんになった京一さんは、口を動かしてはご満悦の様子でした。
「もしかして………」
「え、ぇえっ!?」
「京一先輩、フェアリー食べてる!?」
全員の予想が一致します。慌てて京一さんに駆け寄ると、ちっちゃな唇の端から、ひょこりとエリクシル粒子の微細な羽が飛び出ていました。
「ヤバいヤバいヤバい!」
「きょ、キョウちゃんダメです! ペッ、してください! ペッ!」
龍弐さんが狼狽し、奏さんがフェアリーを吐き出すよう懇願するのですが、京一さんはなにが面白いのかニコニコしていました。
そして、フェアリーの微細な羽さえも口腔に収まり、やがて───
『ゴキュン』
おしゃぶりにされたフェアリーが嚥下され、京一さんの体内に収納されました。
「キョウちゃぁぁあああああああああんっ」
赤ちゃんの誤飲に、どう対応するのが正解なのか知らない奏さんは、狼狽した末に悲鳴を上げました。いえ、私たちも「うわぁあああ」と叫んでいました。
ところが、
『心配はいらないわ、マリア。本来、赤ちゃんの誤飲に対応はしていないのだけど………フェアリーはダンジョンモンスターに捕食されることも想定してあるの。フェアリーはほぼエリクシル粒子でできているわ。見ていなさい』
インカムから雨宮さんが落ち着くよう指示を受けます。
すると、京一さんの鼻や「ぷぅ」と息を吐いた口から、湯気のようにピンク色のなにかがヒュルヒュルと伸びて、結合するとフェアリーとして復活したのです。配信の映像も元に戻りました。
「ぁうー」
京一さんは食べたはずのフェアリーがまた現れてご満悦な様子。再び捕獲しておしゃぶりにするため手を伸ばすのですが、奏さんが遠けます。
「だ、ダメですよぉ。キョウちゃん。あれは食べ物ではありませんよぉ」
「んあー」
「はいはい。お腹が空いてしまいましたよね。ミルクならここにありますからねぇ」
アルマさんが持たせてくれた哺乳瓶を差し出し、フェアリーを欲しがる京一さんの関心を移すことに成功しました。ひとまずこっちは安心できます。
ですが、新たな議題がもうひとつ追加されました。
「今後、誤飲を防止するために注意深く見ていなきゃね。今回フェアリーだったのは不幸中の幸いだったわ」
まだ心臓がバクついていたのでしょう。鏡花さんは胸を撫で下ろします。
「女の子たちには悪いけど、アクセサリーは禁止だね。率先してキョーちゃんを抱っこしてた奏はもう覚悟してたし、元々ヘアピンくらいしかしてなかったけど、シュシュで一括りにしてたし」
龍弐さんは奏さんの身だしなみをよく見ていました。赤ちゃんの教育について心得のある意見に、私たちは首肯します。あの可愛い京一さんが苦しみ悶える姿など絶対に見たくはありません。すぐに行動し、誤飲防止のため細かなものを外し、ビジュアルを損なおうと大きめなものに変更していきます。
「………うわ。なんかすごいコメントが殺到してる」
まだ配信は継続しているため、アクセサリー類が少なめだったこともあり、すぐに作業を終わらせた利達ちゃんがパーティ共通の編集画面に注目し、渋面します。
「お耳のお友達の会? なにそれ………怖」
「ああ、なんかそういうコアな連中は初期からいたらしいねぇ。マリアちゃんが駆け出しだった頃からだっけ。マリアちゃんがモンスターに追いかけられてた時の悲鳴を楽しんでたんだってさ」
「サイコパスじゃん………え、でもなんでそんな連中が騒ぐの?」
「えっと、なになに? ………キョウちゃんのおしゃぶり音が我々の耳を喜ばせた………マジか」
コアな客層が、よりコアな領域へと突入していきます。好色なんてものではありません。これでまた変な犯罪でも増えたら、一端を担ってしまったとして私まで罪に問われないか心配になってきます。
「うわぁ、もうトレンド入りしてるよぉ。おしゃぶりASMRだってさぁ」
あの六衣さんでさえドン引きする始末。
また新たな扉を開いてしまったのかもしれません。
ところが、事態はこれで収束することはありませんでした。次の瞬間、ミルクをあげていた奏さんが叫びます。
「ちょ、えっ!?」
「奏!?」
この声音は本気で驚愕しているものです。龍弐さんが弾かれたように奏さんを振り返ります。
そして、全員が硬直するのです。
「お姉ちゃん、だれー?」
「きょ………キョウ、ちゃん!?」
「キョウちゃんって、だれー?」
生後一年未満ほどだった京一さんが、いきなり一歳以上と思われる姿になるまで急成長を遂げていたのです。
あの笑顔には面影があります。短くとも会話ができるなら、一歳から二歳の中間、あるいは後半といったところでしょうか。相変わらず可愛い。
生後三ヶ月ほどとは思えない成長を遂げた途端にこれです。
「あはは………これって、西坂のスキルが本格的に解けてきたってこと、だよな?」
「そう、っすよね? じゃあこれ、喜べること………なんすよね?」
アルマさんの見解に、迅くんも同意を示します。少なくともプラスの方向に向かっているのだと。
でも………なんなのでしょうか。ふたりの言うように、本来なら喜べる事案なはずなのに、込み上げる寂しさは。
原因は多分、赤ちゃんだった京一さんをまだまともに抱っこできなかった後悔だと思います。夜泣きを引き継いでお世話をしたとしても、四人でローテーションしていましたから。
「キョウちゃんは、あなたのお名前です。あなたのお名前は折畳京一といいます。だから、キョウちゃんです」
「せつじょー、きょーいち?」
「そうです。そして私は、あなたのおかあ、いえお姉さん───」
「おっと、そこまでだぜ奏さんやぃ。なにちゃっかりと摺り込みしようとしてんだぃ。させねぇよ」
「くっ………思わぬ邪魔が入りましたか」
まだ幼い京一さんだからこそできる教育があるわけで。奏さんは自分こそ本当の姉であると洗脳しようとしますが、龍弐さんによってカットされます。
しかし、赤ちゃんではなくなったにせよ、本当の戦いはこれからだったのです。
奏さんが洗礼を受け、号砲を鳴らすことになります。
「かなでおねえちゃん!」
「………ごふっ」
「わぁ!?」
パァと花が咲くような笑顔で「お姉ちゃん」と呼ばれる破壊力。
あの奏さんでも平常心が保てなかったのでしょう。辛うじて叫ばなかったものの、内面の色々なものが崩壊し、吐血し膝を突きました。倒れそうになるのを、龍弐さんが受け止めたまではいいのですが、自己紹介ののちに「りゅうじおにいちゃん!」と呼ばれ、吐血する二の舞になりました。
作者からのお願いです。
この作品は皆様の応援によって作られているも同然です。皆様の温かい応援が頼りです。ブクマ、評価、感想、いいねなど、ガソリンのごとく注入していただければ、作者は尻尾があれば全力でぶん回しつつ筆を加速させることでしょう。何卒よろしくお願いします!




