第214話 悪魔と悪魔
その全貌は、草原を悠々と駆け抜ける姿でも、レースで勝つために鍛えた姿でもありませんでした。
戦って殺し、食べるための姿。
筋骨隆々たる黒馬は、通常の馬よりも一回りか二回りほど体格が大きく、なにより異常なのがその顔です。人間と馬を融合させたような。それが邪悪な笑みを作るのです。
特徴といえば、音速を確信するほどの俊敏力。人間の反射神経では到底追い付けません。そして自在に伸縮する首と舌。かつて群馬ダンジョンでは、京一さんと龍弐さんのタッグを苦しめたほどでした。
そんな破壊の化身が目の前にいる。総毛立つどころではありません。全細胞が「逃げろ」ととにかく訴えるのです。
しかし、残念なことに、人間が大好物たるディーノフレスターが、私を逃すことなどないでしょう。
ディーノフレスターは呪物精霊と呼ばれているらしく、そこらのダンジョンモンスターとは別格な存在です。
とにかく知能が高く、狩りを楽しむような傾向にあると言えるでしょう。
会敵時、初撃で私を殺さなかったのがなによりの証拠です。どれだけ離れていようとも一瞬で距離を詰められる駿馬ならば、私がその姿を視認するよりも早く殺されています。
この体格から信じられない速度で走ることのできる悪魔は、まず私が視認するよりも早く背後に移動し、振り返った私の反応を見て楽しんでいたように思えました。
いつでも殺せるはずが、そこに娯楽を求めてしまう嗜虐性。恐怖せずにいられる人類が、どれほどいるのでしょうか。
横目でコメントを一瞬だけ確認しました。
すごいことになっていました。阿鼻叫喚とはこのことです。誰もがディーノフレスターを初めて見たのでしょう。これがテレビなどで中継されているとすれば、お茶の間を凍り付かせるどころか、子供たちのトラウマになりかねません。
「イビィ!」
「バウッ!」
ディーノフレスターとワン郎ちゃんが衝突しました。
西坂さんで遊んでいる時は辛うじてお尻が見える疾走だったのが、今度は全力で挑んだのか、姿さえ見えませんでした。頭突きから始まる噛み付き合い。しかしワン郎ちゃんは小柄ゆえ爪先を牙が掠めただけで済み、ディーノフレスターの耳に噛み付くとすぐに首に飛び乗り、長い髪の上から牙を突き立てます。
「ジャ、マ」
「ギャン!」
ディーノフレスターは首を長くして、柔軟性に富んだ関節から、首全体を鞭のようにしならせて壁に叩きつけます。
寸でのところでワン郎ちゃんは脱出しますが、着地を狙われてディーノフレスターの連続スタンプ攻撃が待っていました。細かく刻むようなステップでの神回避。小柄な幼獣ゆえ、ディーノフレスターの大きな足であろうと簡単には触れられません。
そして、いつまでもやられたままでいないのがワン郎ちゃんです。三匹の幼獣のなかでも、特に攻撃特化した個体です。眼前に振り下ろされた右前足が持ち上がる前に足を駆け上がり、ディーノフレスターの眼球を狙います。
「ンバァ!」
「ギャッ」
「ワン郎ちゃん!?」
ディーノフレスターはワン郎ちゃんの攻撃を読んでいました。あえて跳躍させた無防備な瞬間に、首以上に伸びる舌を発射。ワン郎ちゃんは体を捻ることで肩を掠める程度のダメージで済みますが、返ってくる舌の次撃までは避けられません。
私は咄嗟に駆け出しました。怖くて怖くてたまらないのに、私を守るために駆けつけてくれたワン郎ちゃんを見殺しにはできなかったのです。
急ぎワン郎ちゃんを抱えると、全力で防壁を展開。槍のような舌の刺突は防げます。ですが、舌を収納したディーノフレスターは、大きな口を開いて、連続で噛み付きます。
デスキッスとは、まさにこのことかもしれません。
いったい、一秒間に何回噛み付いたのでしょうか。ドガガガガガッと防壁が鳴ります。
「い………ひぎっ………」
歪み始める防壁。
壁の内側から見たディーノフレスターは、まさに悪魔そのものでした。
残像さえ残すほどの熾烈なキス。ガッポリと開いた口腔から垂れ流れる涎が、雨の雫のように防壁を滴り落ちます。その勢いたるや、キツツキが樹木をノックする方が遅く感じるほどでした。
「ワン!」
「きゃっ!?」
壁が崩壊する寸前で、ワン郎ちゃんが私を跳ね飛ばします。思い切りポイントを割り振ったのに、数秒で破られるなんて計算外です。数秒のインターバルで呼吸を整え、真っ白だった毛並みに血痕を作ったワン郎ちゃんは果敢にディーノフレスターに挑むのですが───無謀でした。
「ギャッ!?」
「あ………ぁあ………!」
ディーノフレスターの強烈な蹴りがワン郎ちゃんをボールのように撥ね、何回も壁に叩きつけられました。
急いで回収して、まだ息があることに安堵できたのですが、これで万策尽きたことになります。
私は早々に、手札をゼロに等しい状態にされてしまったのです。
「イヒィ………!」
「や、やめて………やめてぇぇえええ!!」
ワン郎ちゃんを抱えたまま、接近するディーノフレスターから後退りするのですが、ついにあの伸びる舌が射出されました。
これを防壁で防ぐのですが、周囲に球体状に展開した壁が、巻きついた舌の圧力で軋み始め、絶望がより色濃くなります。
焦った末に、私は防壁に振るべきスキルポイント配分をミスしてしまったのか、あるいはすでに私のポイント残量が少なくて薄い壁しか張れなかったのか。
ついにバキッと音を立て、舌が壁を圧砕し、私に巻き付きます。
「あ………がぁ………」
これまで受けたダメージと比較できないほどの苦痛で、思考もままならなくなり、呼吸さえできません。
「コォス………ニフ、ァヘウ………」
「っぁ、あ………」
全身に巻き付く舌が、ゆっくりと動き始めました。舌の先端が首に纏わりつきながらも絞め付け、三重になっても顎にまで迫ります。
絞め殺されるのが先か、食い殺されるのが先か。
せっかくスキル持ちに覚醒したのに。みんなに褒めてもらえると思ったのに。
こんな結末は誰も望んでなんかいないのに。
ディーノフレスターは無情にも、私を終わらせるべく、そのまま持ち上げて舌を回収します。
私の意識はすでに朦朧としていて、走馬灯まで見え始めました。
うっすらと───展開したまま閉じ忘れたスクリーンがあって、そのスクリーンの奥に異形と化した肉食馬のモンスター。
ところが、そんなディーノフレスターの眼球の近くに、オレンジ色の光が灯ったのです。
「あ、お馬ちゃんだぁ」
聞き覚えのある声がしたような気がしました。が、その刹那に私の視界は一面が赤く染まり、爆音とともに全身を揺さぶる衝撃が襲い、気付いたら地面に投げ出されていました。
なにが起きたのか理解できませんでした。
少しずつ鮮明になっていく視界で、私はワン郎ちゃんを抱えたまま身を起こします。それでやっと拘束が解かれ、放り出されたのだと判明したのです。
ディーノフレスターとはまだ距離があります。いつでも詰められる距離です。けど、いつまで経っても仕掛けてくる様子はありません。
なぜ? と、気味の悪い笑みが向かう先を視線で追い───私はさらなる絶望と、若干の希望を確信しました。
「あ………誰かと思ったら、やっぱり………マリアちゃんだぁ」
「鉄火………六衣、さん………っ!?」
信じられませんでした。色々な意味で。
これは本当に希望なのか。それともやはり絶望なのか。
この窮地で現れたのは、埼玉のバスターコールの異名を持ち、数多のモンスターと会敵すれば一匹も逃すことなく絶滅させた、人間の破壊の象徴。
そして私が知るなかでも唯一、ディーノフレスターと交戦して、無傷で生還したという、正真正銘の化け物………いいえ、悪魔でした。
私を挟む形で、悪魔と悪魔が対立してしまったのです。
ブクマありがとうございます。
約束でしたので更新します!
カオスとは六衣のことでした。悪魔には悪魔をぶつけるしかないのです。地味に埼玉のバスターコールのコードが気に入っています。埼玉県はいいところですよね。
次回の更新は日曜日になります。
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