第206話 マリアチャンネルによるブラフ
利達も俺のような意地の悪い笑みを浮かべ、まるで絵を描くように、スイスイと指を宙で踊らせる。
彼女がなにをしているのかといえば、スキルを使っているのだ。
手元にはもちろん彼女の装備たるカットソーがあるが、利達のスキル「回転」の応用性は、実は鏡花と同格だったのだ。それを研鑽の先駆者たる奏さんに監修してもらい、今ではより冴えがあった。もうカットソーだけに頼って、強引に切断しに行かずとも、そこにあるなにかを使えば、人間のみならずモンスターでさえ昏倒させることができる。
今、利達が回転を加えているのは、女たちの足元に広がる水溜りだ。
靴底を浸し、靴のなかに侵入することのないほどの、大したことのない水量。しかしそこに回転を加えればどうか。人間の体重など動かせないほどの質量であったとしても、膨大な運動エネルギーの移動によって、三人を転ばせることができる。
案の定、龍弐さん監修によって研究し尽くされた「より他人を焦らせる奇襲方法」が猛威を振るい、油断したところに抜群のタイミングで脱力した一瞬を見逃さなかった利達が、三人が考えもしなかった方法で反撃の号砲を鳴らしたのだ。
「くそ………まさか、こちらの分断作戦が仇になるなんて!」
女は立ち上がろうとする度、水に手足を突くと転ばされる。踠きながらなんとか水溜りの外に脱出しようとするが、利達はそれを許さない。どちらかといえば、奏さんの授業は彼女が怖かったから受けていただけで、龍弐さんの授業は楽しくて仕方なかったので自分から質問に行っていたくらいだ。吸収力が違う。
「そうだよぉ。あひゃひゃ。昨日よりもっと低いとこに落としてくれたお陰で、高山病なんて克服しちゃったもんねぇ。無駄な努力お疲れ様ぁってとこかなぁ」
「しかもレベリングシステムもあって、初めての高山病を体験したから、高山病の免疫も高くなったみたいだしな。一石二鳥ってやつだ」
利達の奴め。奏さんが近くにいなくて、配信もしてないからって笑い方まで龍弐さんに似せていやがる。こりゃ相当テンション高いな。
「ほら、どうしたどうしたぁ! 私が、いつ、戦えなくなったってぇ!?」
クルクルと女たちを水の上で踊らせて、得意気になっていた。
「思えば、お前たちの奇襲もタイミングが良かったな。いや、良すぎたんだ。それはなぜか。お前ら、マリアの配信見てたんだろ。だから利達が高山病になったのが好機となった」
「ハァ、ハァ………」
「けど残念だったな。それ、俺たちの罠だったんだ。いや、利達の高山病は想定外だったんだけどさ。丁度いい時間と場所だった。な、奏?」
「ニャンちゃん! ちょ、やめ………動かないでぇ! あ、ふは、だめ………あ、そのホックに爪を立ててはいけませんよ!? ちょっと、あなた迅くんがテイムしたモンスターなら、こちらの言語はある程度理解できるんでしょう!? これ以上暴れるなら、この事件が終わったらご主人様である迅くんをわからせに行きますからね!?」
「………ごめんな。こっちはまだちょっと取り込み中なんだ。できるなら、見ないでやってくれな?」
「は、くっ………ぬはっ………」
「ああ、お前はもうそんな余裕も無さそうだけどな」
甲冑の男が傅く前で、アルマは煙草の代わりに棒付きキャンディを舐め始めた。これでいくらかは口寂しさが解消されるという。
アルマの背後では、迅が離散させたモンスターの幼獣である猫が、奏のインナーのなかに現れるという不慮の事故により、男衆には見せられない悲惨な姿になっていた。できるだけ遮蔽するべく、アルマが背に庇う。アルマも小僧と呼べる歳ではない。ホックがなにを意味しているかくらい知っている。
「とりあえず、地割れのスキルを持つお仲間………でもないんだっけ? ま、いいや。もしそいつに後で会ったらお礼言っておいてくれよ」
「礼、だと………?」
「そ。その反応からするに、お前たちずっと気付かなかったんだろ? ある程度の分析力くらいあれば、俺のことを警戒できたはずなのにな」
「なにを………言って………」
「マリアの配信見てたくせに勘が鈍いなぁ。俺たちが分散する前のこと、もう忘れたか? ………そう。その前日のことだ。俺のだけじゃなくて、龍弐のライターも壊れたよな。その後、俺の調理器具だって火が付かなくなった。摩訶不思議のダンジョンのなかだから、酸素が薄くなってたしな。………でも今はどうだ? ほら、マッチもちゃんと火がつく。お前たちがわざわざ、俺のスキルが使いやすくなる高度まで落としてくれたからだよ。サービス精神旺盛だなぁ」
「………くそっ」
アルマの解説に苛立ちを隠せなくなる刺客たち。
ところが、苛立ちを覚えても、どうにも体が言うことを聞かない。甲冑の男は特にそうだ。
アルマがマッチすべてを使い切る勢いで連続発生させた爆発により、驚異的な燃焼が繰り返された結果、男たちの周囲の酸素まで燃焼。著しい酸欠状態に陥っていた。
「だが………それだけで、こうもあしらわれるとは………思えない」
「ああ。その違和感も重要だな。うん。サービスで教えてやるよ。俺は店やってた頃は二回目以降の来店客は常連も同然でな。お連れさんは昨日も来てくれたみたいだし、サービスしないと悪いしな。お前たちの違和感は当然だ。なにもかもが俺たちに傾いている。ま、そうなるように、あえて運んだんだけどな」
「なに、を………」
「さっきも言っただろ? マリアの配信さ。お前たちのお友達の西坂って奴が、うちの女子たちのおっかない接待を受けて───ああ、ごめんな奏。そんなつもりじゃないんだ。怖い目で睨まないでくれよ。まぁ、なんていうか………連日行われる歓迎会で愉快になった終盤で、あいつを抜きにした会議をしたな。お前たちは当然、情報収集のためにそれも見たはず。フェアリーから俺たちを俯瞰したような視点の動画だ。そうだろ?」
「………」
「あの時、奏はパーティ用のクラウドに二百年前のマップを表示した。そうすることで俺たちの進路を決めようとした。でも………お前たちだけじゃなく、視聴者も見えなかったんだろうな。実は俺たち、そんなマップなんか開いちゃいなかったってさ」
「………なん、だと!?」
「俺たちが開いてたのはチャットだよ。いやぁ、こんなうまくいくとはね。大したもんだよ奏と龍弐は………っと、失礼。まだ猫が服のなかにいたのか」
アルマの説明に、甲冑の男のみならず、刺客たち全員が愕然とする。
なにもかもがアルマの言うとおりだったからだ。配信者がいることが幸いして、諜報活動には困らない。西坂という素性の知れない斥候がいたから居場所も特定しやすい。
極め付けに、馬鹿正直に自分たちの進路を公開する始末。それが配信者の仕事とはいえ、自分たちの命が狙われているとは思えない楽観的な愚行だと、その時は嘲笑したのを覚えている。
が、そのすべてはマリアチャンネルによるブラフだった。あれを見た全員が踊らされていたのだから。
「奏は龍弐に夢中………あ、ごめん。失言だったな。えっと、お仕置きに忙しかったから参加してないけど、代わりに俺がやったんだ。予想されるすべてに対し、対抗策を練って開示するのをさ」
「馬鹿な………予想できるはずが、ない!」
「できるんだよ。外界の常識が通用しない超常的空間で、魔法みたいな能力を持つ連中が襲いかかってくるんだ。地割れなんてすぐに思い浮かんだよ。分断なんてもっと前だ。そうでもなけりゃ、戦えないマリアなんて今頃狼狽しまくって下手に動き回ってるだろ。それが………すごいよな。強くなったよ。怪我してるとはいえ、非戦闘員が誰も踏み行ったことのない領域で、たったひとりで一日以上大人しく待ってるんだ。で、こうして分断してくれたお前たちは、戦闘力のある俺たちに集中してくれたってわけ。お陰でマリアをある程度気にせず暴れられるよ。………でもそれももう終わりだ。腹を空かせて待ってるマリアを迎えに行って、うまいもんたらふく食わせてやりたいからな」
感想、ブクマありがとうございます。リアクションの方もたくさん入っていて、驚く毎日です。
この度、そんな皆様の応援に応えるべく更新速度を早めてみました。前は毎日更新していたのですが、色々浮気しまくっているせいで遅れがちになっている現況、打破すべく筆を加速させてみました。
皆様からの応援によってダイレクトで変化していきますので、より苛烈にぶち込んでいただけると作者は狂喜しながらキーボードを叩き続けることでしょう!




