第199話 京一と利達
「参っちゃうなぁ、もうさぁ………」
「そう言うなって。ほら、湯が沸いた」
「あんがと、先輩。ハァ………ねぇ、先輩」
「なんだ? ほら、タイマーかけたぞ」
ずっとこんな感じだ。
俺の傍らに座る利達は、しきりにネガティブなため息を吐き、俺にダル絡みする。
理由といえば、先程からなにも進展がないからだ。俺たちを追尾していた三人は、ある程度距離を取り、反転して奇襲をした結果、顔面を蹴られたひとりが倒れた途端にふたりが回収。すぐに去ってしまった。
それから俺たちは薄暗い洞窟のなかで飯にした。俺だって、アルマに会う前や、なんならマリアチャンネルの一員になる前はソロで活動しようと決心し、それなりの装備を持っている。湯を沸かし、インスタント麺をふたり分用意し、利達に手渡す。
「なにもできなかったぁ」
「病み上がりがなに一丁前のこと言ってんだ。ほら、そろそろ………お、できた」
湯を注いで三分前に蓋を除去。少し硬めが好きだ。利達も倣う。
共にインスタント麺を啜る。利達も食欲が戻ったのか、すぐに食べられるようにふたつ目に湯を注いでおいた。
「ねぇ先輩」
「うん?」
「先輩ってさ、なんか将来の夢とかある?」
「なんだ藪から棒に。随分と雑なタイミングじゃねぇか」
二個目も半ば食した辺りで、利達から定番といえばドが付きそうな質問を受けた。
個人の自由ではあれど、とてもではないが食事中に受け付ける質問ではないような気がする。
俺はしばらく黙食し、麺をすべて啜ってから答えた。
「手に職つけるって意味なら………軽井沢に帰る、かな」
「えー、意外だね。ずっと冒険者やるんだって思ってた」
「それもいいだろうよ。稼ぎだって冒険者やり始めてから何倍………いや、何十倍にも膨れたしな」
「それは………うん。お疲れ様」
すでに利達たちには俺の生い立ちは教えてある。軽井沢の僻地で育ったことも。鉄条が養親であることも。そんな養父から虐待なんて生温いと思える仕事を与えられたことも。
西京都出身の利達や迅にとっては、義務教育が当然で、誰しも当然受けているものだと考えていたゆえに、俺や龍弐さんと奏さんの出場を聞いた時はとても驚いていた。
中学どころか小学校でさえも通わず、通信制で単位を取っていた俺は、奏さんたちとの接点があったから学習する意欲があったものの、すべてが適当で放置気味だった鉄条の教育指針では、多分自分の置かれた環境に疑問を持ちもせず、冒険者への夢も馳せず、ただただ使われるだけの将来を待つばかりだったはずだ。
だからといって、地頭の悪さが災いして、見聞を広めようにも限定的になっていた俺にとっては、教育機関にちゃんと通い、自分と同い年の子供と接した利達たちの眩しさを羨んだ。そして戸惑った。
例えば、今の利達の質問がそうだ。
将来の夢なんていう、茫漠な未来など、俺には描けない。
多分俺は、仮に鉄条でさえも踏破できなかった東京都を制覇したとして───そこから先の目標を、すぐに見出せない。いや、数日かかってもまだ良い方だ。数週間、数ヶ月、数年、数十年………それだけの月日を要しても、俺は目標なんてものを持てないだろう。
元々、冒険者なんていう職業は職業とは呼べなかった。認知されもしない。
社会のはみ出し者が集う烏合の衆。あるいは極端にコミュニケーション能力が欠如した、社会人になることを拒否した者たちが、漫画やアニメに影響されて広まったボランティアのようなものだった。
今でこそスポンサーがいたり、大手製薬会社が冒険者専用の回復薬を開発したり、冒険者専用の市場が開くなど、様々な分野で経済発展を見せているが、そうなる前が冒険者は蔑まれるような行為だったという。
取り分け、楓先生や鉄条らは、政府に選ばれた後ろ盾があるエリクシル粒子適合者だが、同じくエリクシル粒子適合者のなかでも政府が発表した水準に見合わなかった者もいる。しかし、だからといって指を咥えて見ているなんてこともできず、後ろ盾がなくても構わずに、我武者羅になって稼ぎを上げた者がいるから、冒険者の利益と知名度が爆上がりした。という経緯を、鉄条から何度も聞かされた。甘い蜜ばかりが吸える職業ではないから将来は堅実な職業に就くことを見据えておけと。
そして、そんな俺はこうして冒険者になったわけだが、やはりというべきか、鉄条の教えどおりにこうして混迷しているわけだ。我ながら情けなくなる。
「お前はどうなんだよ、利達。なにか将来の夢があるのか?」
「んー、どうだろ。名都兄ぃの背中ばっか見てきたから、冒険者以外の目標ってないんだよね」
「やっぱお前もか。でもお前はまだいいよ。やり直せるだろ」
「なんでー?」
「もう東京ダンジョンも目前だ。このままのペースでいけば、それこそ数ヶ月で前人未到の地の謎も解明できるかもしれねぇ。数週間、数ヶ月かかるかもしれねぇ。でも一年ってことはないだろ。このダンジョンから出ても、まだ学び直せる年齢だ。それこそ高校にだって入れるかもだし」
「それは京一先輩だって同じでしょ?」
「俺、頭そんなに良くないんだよ。大学行けって言われても無理だ」
「ふーん。あ、じゃあさ」
「おっ………」
二個目のインスタント麺をスープまで完飲した利達は、小ネギを唇の端に付着しているのも気付かず、身を乗り出して俺に迫る。瞳をこれ以上とないくらい輝かせ、胡座をかいている俺の膝に両手を突いた。
「京一先輩さ、一年くらい思いっきり勉強してよ」
「なんで」
「私も思いっきり勉強するからさ、そしたら受験して、一緒に西京都の高校行こうよ!」
「ダブれってか!?」
「そ。でも大丈夫だと思うよ。なんたって、その頃には東京ダンジョンを攻略した伝説の冒険者だもん! 留年してたって悪く言う奴なんていないだろうし、それよか日本から報奨金とかもらえるかもしれないから学費なんて心配ないだろうし、みんなから尊敬されるって! モテモテじゃ………あ、やっぱ今の無し。でも高校を一緒に受験しようってのは冗談じゃないからね? 京一先輩だって、やっぱり一度くらいは学校ってものを知っておきたいでしょ? 楽しいよ? 学生生活って」
「………参ったな」
確かに冗談を言ってる顔ではない。真剣に提案していることくらい、俺にだってわかる。
その提案が、利達の存在と同じくらいに輝いていて、眩しくて、理想的で───そして、まったくイメージできなかった。
平穏とは逆な生活環境が、それまでの俺の日常で、それが一変して学生生活を送る。それが本当の平和だとはわかるが、詐欺同然の稼ぎの仕事と、戦いで溢れていた俺の日常こそ疑うことのない環境だった。
「………気が向いたら、勉強してやるよ」
「えー」
「けど、学生生活も悪くない。それは前向きに検討しておいてやるから、機嫌損ねるなって」
「もうっ」
なんだかますます機嫌を悪くしたような。
しかし数分後には満腹になったことだし、体調不良だったこともあり、利達は健やかな寝息を立てる。
いつ敵襲があるかわからない状況ではあるが、俺の体力はまだ余裕があるので不寝番を務める。
左右の通路の気配を読みながら、いつでも利達を抱えて飛び退けるよう、道具はすでにスクリーンに収納してある。
「将来の夢、か。………俺はなにになりたいんだ? いや………そもそも、俺はいったい………」
利達の言葉が、どうも気になって仕方ない。
俺は鉄条に拾われる前の記憶がない。
どこで生まれ、どう育ち、そして俺を捨てた親の顔さえ知らない。
そんな俺に妙にマッチしていたのがダンジョンを探索する冒険者業。まさにそれ以外にないという天職にして───そして、俺がいるべき場所だと、それこそ故郷のようにも思えてきてならない。
一般人が過ごす日常に憧れを抱くのも事実だが、その一方でダンジョンで過ごす日々が崩壊するのではないかと恐れている自分もいた。
本当に、外に行きたいのか───と。
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