第193話 いらっしゃいませの合図
「ん………?」
「あ、鏡花の姐さん。目ぇ覚めたっすか?」
「迅?」
「うす」
鏡花は知った男の声で目を覚ました。
どうやら気を失っていたらしい。
どこからどこまで覚えているのかも朧げで、起き上がりつつも周囲を見渡す。
「どこ? ここ」
「すんません。それはわかんねぇっす」
「そう。………くそ。マリアまでは回収できなかったか」
「面目ねぇっす。せめておぶってれば、鏡花の姐さんと一緒に置換してもらえたのに」
「ま。過ぎたことよ。気落ちしてる暇はないし。すぐに行動するべきね」
「うす」
鏡花は迅と会話をする機会が、仲間ならともかくファン層のイメージとは違い、多かった。
理由はいくつかある。迅の方が歳下で、自ら舎弟然としているからである。元々鏡花も姉御肌なところがあり、迅への指導や教育については相性がよかった。
もうひとつあるとすれば、テイマーの迅が契約した猫の幼獣を提供しろと脅すためだろう。鏡花は無類の猫好きで、エリクシル粒子適合者になってからはレベリングシステムを多用し、ハグに最大のストレングスを込めてしまった。コンクリートの塊は砕き、ソニックピューマというモンスターの成獣を最大十匹同時に絞め殺すまでに至る。
そうなれば迅とてニャン太と名付けたモンスターを犠牲にしたくないため、全力で防衛。八つ当たりをライフで受けた。
とはいえ、それは平時のやり取りであり、鏡花とて戦闘時の緊張感を忘れるはずもない。まさにこのような非常時であるなら、すぐに思考を回転させる。
「迅。あんたがテイムしたモンスター、もう戻る? あんたのことだから、すでに偵察に出してるんでしょ?」
「そろそろっすよ。あまり遠くには出してねぇっすから。鏡花の姐さんはなにを?」
「マリアの配信よ。………チッ。配信は止まってないけど、フェアリーが落石に巻き込まれでもしてか故障してるわね。暗転したままよ。音も聞こえない。………マリアがどこにいるのか、わからねぇわけだ」
徐々に記憶が戻る。謎の崩落で、鏡花たちは仲間と逸れた。
その状況で鏡花の優先事項は即決も同然だった。
パーティのなかでスキル持ちがほぼ全員という異例の編成だ。普通はスキル持ちがひとりいれば奇跡で、むしろいない方がなにもおかしいことではない。
だからこそ、戦力外のマリアを優先する。マリアはボスであり、実はパーティの要だからだ。
せめてマリアの側に、誰でもいいからひとりでも仲間がいれば生存率も上がる。
「………よし、戻ってきたっす」
ふたりがいたのはダンジョンの細い道だった。どちらが前なのかもわからない。よって偵察できるモンスターを有するテイマーがいることで、圧倒的なアドバンテージを得られた。
鏡花は猫好きな自分を抑えるべく、迅を視界から外した。一度でも目にすれば暴走する自信しかなかった。今はそれをするべきではない。
「よし。お前たち、なにを見た? ………なるほど。そいつぁ」
「ネ゛コ゛チ゛………ンンッ。モンスターはなんて言ってる? 誰か見た?」
「見てはないっすね。でも、音と匂いはしたって」
「………ふむ」
視覚ではなく、嗅覚と聴覚から得た情報。鏡花は焦ることなく続きを催促するジェスチャーを出す。
「音は、戦闘音。硬いなにかがぶつかってる。何回も………っす」
「龍弐さんね。まだどこかで戦ってる。流石ね。で、匂いは?」
「なんてぇか、三匹も知らない匂いだそうで。表現できねぇとか」
「どういうこと? 知らない?」
「このダンジョンで嗅いだことが無い、っすね」
「なにそれ」
迅がテイムしたモンスターは幼獣で、成長度合いでいえば、人間でいう小学生くらいの年齢になったとか。
三匹が幼いから知らないかもしれない。しかしそうなると、敵か味方かの認識も困難となる。
知らない匂い。例えば体臭がそれだ。香水類。鏡花はソロ活動ならともかく、マリアのパーティに入ってからは、何日も入浴できない日々があれば、体を拭くついでに香水で体臭を隠したことも何回かある。
「人間の香水なら………私たちは控えめにしてるから、敵かしらね」
「ああ、香水類じゃないっすよ。どちらかといえば、なんかが燃えたあと………煙みたいな。でも煙にしては独特な匂いだとか」
「それ先に言いなさいよ。………独特な匂いの煙………そうか。煙草!」
「なるほど、アルマの兄貴っすか!」
ふたりは知っていた。パーティのなかで唯一、隠れ愛煙家がいることを。
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「いいですか? アルマさん。これは非常事態なので許しているだけですからね?」
「わかってるさ。だからって、マスク重ねるくらいならわかるけど、その上から防塵マスクまでするかね。息苦しくないか?」
「息苦しいですよ。でも仕方ないじゃないですか」
偶然とはいえ、奏はアルマと同じ場所に落下した。壁を伝い、落下の速度を低減させたところまではいい。しかし同じ場所にチームのブレインふたりが揃ってしまったとなると、分散してしまった仲間との合流方法が難が出る。不安といえば、誰が誰とともに、あるいはひとりで落下してしまった時、混乱して不用意な愚行に走ってしまうところだ。
が、不安がっていても仕方がない。それに、まだ未成年とはいえ、各々が駆け出しの冒険者であるわけでもない。きっと冷静に対処していることを祈り、まずは自分たちにできることをした。
その方法が、アルマの喫煙。それもパッケージに詰まっている二十本すべてに着火した。アルマは一本だけ咥え、それ以外を両手に持っている。
するととんでもなく煙たくなるので、奏はできるだけ身を低くし、自分で進言したにも関わらず恨めしげな目をしてアルマを見上げた。
迅がテイムしたモンスターなら、アルマの煙草の匂いを辿れるはずだ。辿れずとも近い場所にいればいい。それが狙いである。
「あー、うまい………久々に吸えたなぁ」
「それは良うございましたねー………」
「ごめんって。あとで好きなもの作ってやるから、それで許してくれよ」
「じゃあ、海老フライを………って、許した途端にそう来ますか! なんで接近するんですか!?」
一定の距離を開いていたふたりだが、アルマがいつの間にか奏の眼前にいたので非難する。ところが、アルマは咥えていた一本以外のすべてを「俺はポイ捨て反対派の、マナーを守れる男なんだけど仕方ない」と呟きながら周囲に撒くように捨てた。
「どうやら、俺の煙草で迅だけじゃなく………招いてない客まで寄せちまったようでな」
「………まぁ、それも想定内でしたけどね」
アルマが十九本の煙草をポイ捨てした理由は、ふたりが落下した通路の先の人影があったからだ。
接近もせず、ただこちらを見ている。仲間ではない。つまり敵だ。
奏は上体を起こして片膝を突き、強弓を構える。
「いらっしゃいませの合図は任せるよ」
「特別なフルコースをご馳走してあげませんとね」
スキルで矢を作った奏は、強弓に添えてストリングスを引く。
目標は今もなお増え続けている人影だ。すでに三人に増えていた。




