第1話 政府の奴隷か、番犬か
「オ・ロ・セ!」
「ダ・メ・だ。バカタレ。反省してろ」
群馬ダンジョンから逃げ出したモンスターが廃棄処理場を襲撃して、数時間が経過した。
あのあと、なにがあったかと言えばだ。
俺は鍔紀に誘拐された。
まだ飯も食べてないのに。給料さえもらってないのに。
強引に手を引かれ、地面と水平になるまで体が浮くほどの敏捷力に視界がグワングワンと揺れる。それができるのが野生児もとい鍔紀という女だ。イカれてる。
それから騒ぎを聞いた鉄条パパが待機していた「便利屋」の拠点に飛び込むと、俺を地下の工房に投げ込んで、鎖でこれでもかと縛ると吊し上げやがった。
鉄条───アーカイブで見た昭和のアニメに登場するような、髭面の敵キャラみたいな頑固親父。鍔紀のパパ。俺のクソ上司。
娘たんラブなパパは、俺を連れ帰った鍔紀にだけに褒美だとばかりにパンを与え、拘束した俺が逃げないよう見張りをさせた。鉄条自身は外出している。
昼も過ぎて夕刻となると、いよいよ空腹を通り越して吐き気を覚え、それを過ぎると喋る体力もなくなる。
数時間のはずが半永久的にさえ感じる体感時間に、俺はパンを食べ終えた鍔紀に「なにか食べるものはないか?」と尋ねたところ、彼女は監視を仰せつかっただけで飯を与えてはいけないという命令は受けてないことから、「少し待っててね」と期待させる返答で周囲を漁る。
が、差し出されたのは想像の斜め上をいく………食事とも言えない、液体だった。
飲料水を貯めた二リットルのタンクに、コーヒーをストックしていた棚にあった調味料───砂糖と塩を適当な配分で容赦なく流し込む。適当な回数で混ぜて、ストローを刺して差し出しやがった。
砂糖だけならまだしも、塩まで混ぜる必要はない。こんなの今どきカブトムシだって吐き気を催してバイバイしたくなるような初恋の味になる。
だが摂取しないよりかは生き永らえられる。塩分と糖分と水を同時に経口摂取するだけだ。泣けてくるが味は気にしないことにして、しかし半分ほど飲み終えて妙に悲しくなった。
水で空腹を紛らわせてから、やっと鉄条パパが拠点兼自宅に帰ってきた。
いつもの仏頂面を、憤り二割増しにして。
「───お前よぉ。堪え性ってもんが無さすぎだぜぇ」
鉄条は呆れながら俺を見上げた。嘆いているようにも見える。
「まぁ、人命救助の名目があるしなぁ。ここらの連中にゃ、そう悪くねぇ印象だったよ」
「へぇ。そりゃよかった。普段からの行いが良いからだな」
「ほざけクソガキ。問題は、人命救助のその先だろうがよ。あろうことか、大勢の目の前で晒しやがって」
なぜ鉄条がここまで悲嘆するのか。
理由は、現在の日本の首都たる西京都で発足された新政府が樹立した新法案によるものだ。
「エリクシル適合者となったからにゃ、新政府にその申請を出し、管理を受ける。申請しなかった場合、どうなるかくらいあれだけ教えたってのによぉ」
エリクシル。それは200年前、東京を中心に湧出した未知な物質。
その名称が付けられたのは100年前となる。その前までは死の悪魔などネガティブな呼称をされていたと記録に載ってる。
日本人はエリクシルによって新次元へ進化した。多大な犠牲を払いながら。
未だ多くが謎に満ちてはいるが、解明されたことも当時とは比べものにならない。
そのなかのひとつ。根幹に根ざす部分。エリクシル適合者。
政府が徹底管理を行き届かせなければならない項目だ。再び海外から隔離されないための必須条件でもある。
「俺ぁ、前にも言ったよなぁ? 適合者になったからにゃ、政府から斡旋された仕事に就いて犬みてぇに尻尾振りながら奴隷になるか、条件をクリアして俺みてぇにダンジョン付近で番人させられるかのどっちかだってよぉ」
鉄条もエリクシル適合者だ。
ただ、「宮仕いは肌に合わねえ」と要求を蹴り、代わりに辺境の地に左遷させられた。ダンジョン付近で万人をする。つまりダンジョンモンスターが脱出すれば交戦し、進行を食い止める肉の壁となる義務が生じる。
だが、俺は知っている。
奴隷も肉の壁も、どちらも回避できる第三の選択肢があることを。
「けどなぁ、おっちゃん。俺は………それでも俺は、別の道を行くぜ」
「ああ、知ってるよ。冒険者だろ?」
「え」
目を丸くしたのは、俺の方だった。
俺はあと一年、この便利屋で働いて、それからダンジョンに挑むつもりだった。
ダンジョンと呼ばれる立体的構造体を攻略するのは、まだ幼い少年少女たちが夢として抱くのは問題ないが、実際に取り組むとなると話は別だ。そう甘く攻略できる場所ではない。
俺もその難易度は理解している。一流と呼ばれる冒険者たちが年間何人も命を落とすことが当然とされる場所だ。入念に準備をしなければならない。今はそのための準備期間だ。
ただ、俺はそのことを鉄条や鍔紀に告げた覚えはない。まさか寝言で呟いたのを聞かれてしまったのか。
「お前の部屋を見たぜ。まぁ………馬鹿の割には、ちゃんとはしてたじゃねぇか」
「………馬鹿は余計だろ」
狭いが個室は与えられていた。そこにあるのは数少ない私物と、雀の涙程度の給料で買った紙とペン。きっと鉄条はそれを見た。そういえば最近、小さな簡易机の上に広げたままだった。
ちなみに鉄条という親父は、娘の部屋だろうが侵入する。作為的な意図も感じるが、そうなると当然俺の部屋にも入るわけで。管理が杜撰だったと後悔する。
鉄条は俺の保護者兼上司だ。双方の面から鑑みても、俺が冒険者になることを反対するに決まっている。
が、
「………ま、いいだろ」
後頭部を掻きながら、鉄条は鎖を掴むと引く。それで吊るされていた俺は床に立つことができた。
「馬鹿の割りには大した研究だったぜ。何割かは的外れなこともあったがな。だが、狙いは悪くねぇ」
「なに言って………」
「まぁ聞け。お前は俺によく似てらぁ。新政府の狗になるのも、番犬になるのも本意じゃねぇ。だったら、一世一代の大勝負に出たいっつぅ、大馬鹿野郎が繰り出す透かしっ屁みてぇな大博打に出るタイプなんだよ」
「意味わかんねぇよ」
「やってみりゃあいい。関東ダンジョン攻略。俺もかつては冒険者だった。世間にゃそこまで名は広まらなかったが、当時の同業者のなかじゃ割と有名な方でな。これでも県境まで行ったことがある。まぁ、それが最後のダンジョン攻略になったんだがな」
鉄条はあまり出自を語らないが、常連客が笑いながら話していたのを耳にしたことで、かつて冒険者だったことを知った。
しかし県境まで行ったとなると、かなりの腕前となる。昔は今と違って、エリクシルの研究の進捗は芳しいものではなく、スキルだってなかった。すべてが自分の腕前と技術と経験次第だったのだ。
「鍔紀ちゃん。拘束解いてやりな」
「はーい」
鍔紀が胴に幾重にも巻かれた鎖を外すと、鉄条はここに来る前に準備していたのだろう。入室する時に抱えていた木箱を床に転がしていたので、それを開封する。
「………それは?」
「俺が使ってた装備よ。今の俺にゃ必要ねぇ。餞別に全部くれてやる」
「うわ、汚ねっ」
「テメェ………」
木箱からニュッと姿を見せたのは、使い古された装備の数々。
どれも年季が入っていて───平たく言えば薄汚れている。汗だったり血だったり油だったりと。ほのかに異臭も漂う。
だが、そのすべては偶然か、俺が揃えようとしたものばかりだった。
「おっちゃん………」
「お、この俺の懐の広さに感涙しちゃうってか?」
「いや、そのデカい鞄はいらねぇけど」
「は? なに言ってんだお前。ここいらじゃ手に入らない一点物だぜ? 確かに汚ねえけどよ、これがなかったらどやってこの装備を持ち運ぶんだよ」
「転送できるし」
「………はーっ。そういう便利な時代にしっかり毒されやがって。けどな、そういうことならこの鞄も一緒に入れておけや。ダンジョンモンスターの素材で編んだから頑丈なんだよ。役に立つだろ」
今と昔ではダンジョン攻略方法も大分様変わりした。
そのひとつが転送。
エリクシル適合者は左右どちらかの手でスクリーンを出現させることができる。指と指の間から投写するイメージだ。そこでは自分の情報だけでなく、入手したアイテムを粒子に変換して取り込み、転送することができるのだ。
昔は絶対にできなかったこの便利なシステムのお陰で、冒険者の九割が重たい荷物を背負うことから解放され、敏捷性が向上したとなにかのレポートで読んだのを覚えていた。
いつもありがとうございます。桐生落陽です。
ダンジョン? まだ行きませんよ。お仕置きしなきゃ………
今作の主人公、京一くんはおバカではありますが、計画性はちゃんと練れるおバカなのです。けれど貧乏なので準備しようにも準備ができていなく………というのを鉄条パパがなんとかしてくれるお話でした。次回は………ハートフルにいきたいですね。
よろしければ⭐︎とブクマを存分に穿っていただければと思います。作者のモチベに直結します。
最近になって寒くなりましたね。でも嬉しかったら裸踊りしちゃうかも。………いや、早く書き進めって話なのですが。