第184話 ネズミより劣った知能
なかなか西坂という男はタフで、厄介だった。
なにが酷いって、毎回痛めつけられても学習しないからだ。
アルマの飯を台無しにする。女子の着替えを覗く。こんなもので粗相が終わるわけがなく、それ以降は何度も何度も誰かを必ずブチ切れさせてはお仕置きを受ける。
犬や猫、あるいはネズミだって躾で罰を与えられれば学習し、無駄なことはしないだろうに。西坂は犬よりも劣った知能をしているのだろう、懲りずに無垢か邪悪か、両極端な心で俺たちに接しては絞められた。
仕方なく共に行動させるようになって二日目の夜。龍弐さんがアルマに入れてもらった熱燗を嗜みながら「もう薬のストック無くなってきたよぉ」と渋りながら呟いたのが印象に残った。どれだけ盛ったのだろう。ゾッとする。西坂の回復力もそろそろ恐ろしくなってきた。
で、徳利から温められた日本酒を注いでお猪口で一口飲み───
「あ、龍弐くーん。俺さー、七味大好きなんだー。嫌いな奴っていないと思うしー、その熱いのに混ぜておいたぜー」
西坂が離れたところで笑いながら告げる。龍弐さんがお猪口を傾けたまま停止していた理由がそれだ。
「………そうか。うん。俺も七味は好きだよ。うどんとかにもかけるし。でもなぁ………」
あ、ヤベェ。と危機感が働き、離れた俺の判断は正解だった。
ズドン! と空気が鳴る。龍弐さんがスキルを用いて、マッハの速度まで加速した。テーブルや椅子がソニックブームによって遠くに飛んでいくのが見えた。もし離れていなければ巻き込まれていた。
「テメェいい加減にしやがれ! せっかくの酒を台無しにしやがって! そんなに死にてぇなら今すぐぶっ殺してやるよォッ!!」
「ちょ………ちょちょちょ、ま、待ってよー龍弐くーん日本刀持ち出すほど怒るってどういう………おぉぁぁぁあああああああっ!?」
龍弐さんが本気でキレたのを見たのはディーノフレスター戦以来だ。
あの時と同じ気迫で西坂に肉薄し、二刀流で斬りかかる。今は配信していないこともあり、かなり本気で殺そうとしていた。
ちなみに誰も止めなかった。アルマでさえ、龍弐さんのために新しい熱燗を作り始め、その作業の途中で横目で眺めているだけだった。
さて、こんな感じで一時間に必ず誰かがブチ切れる悪戯を仕掛けてくれた西坂だが、ついに冗談にならないほどのやらかしをしたのが、その翌日のことだった。
西坂を同行させるようになって三日目の夜。
埼玉ダンジョンも六割か七割を踏破した俺たちだが、やはりというべきか、集合思念体の襲撃を受けるわけで。
これまでは大量の塩を消費して遠ざけていたが、アルマがパーティに加わってくれてからというものの、セカンドスキルを用いた除霊を可能にして、毎晩のようにその恩恵に預かっていた。
昨日も一昨日も西坂は守られていた。龍弐さんに拘束されていたが、ちゃんとアルマの高速詠唱のお経を見聞きしていた。
なのに、こいつと来たら───ついに恐れていた愚行。俺たちに直接的な被害が出るような行動を取り始めた。
「ねーねー、アルマさーん。そのお経とか、印を結んだ手とか解いたらー、どうなるのー?」
「ば、馬鹿っ。やめろ!」
またもや何重の拘束を抜けた西坂が、龍弐さんの視界の死角まで移動し、高速詠唱するアルマに絡み始めた。
あろうことか複雑に組み合わせた指を外すべく両腕を掴んで引き剥がす。除霊の条件のひとつ、あるいはアルマの流儀かもしれない。その考えは正解で、青白い除霊の効力を持つ陣が地面から消失してしまった。
陣の外に堰き止めていた集合思念体どもが、その好機を逃すはずもなく。一挙に全方位から押し寄せた。
「塩だ! 塩を撒け!」
ニヤニヤしながらアルマに絡む西坂の腹に膝蹴りを叩き込みながらスクリーンをタップし、いつかの除霊方法を実行すべく塩が大量に詰まった紙袋を担ぐ。
マリアを背に庇いながら、二十キロの塩を思い切り頭上へと放り投げた。アルマのセカンドスキルの再開を少しでも補助できるなら、この際全身塩塗れになっても仕方ない。全員に容認してもらう。
だが俺の目論みはそううまく運ばなかった。
ダンジョンに突風が吹き荒れた。多構造の密閉空間に風が吹く───というのは特別珍しいことではない。密閉空間に見えるだけで、俺たちが群馬ダンジョンで前代未聞の偉業を成し遂げたように、封鎖された地表への出口がいくつか存在する。
地上の気温や気候、外の季節などによっては外気を取り入れたり吐き出したりもする。
今回の風がそれだ。ただ運が悪かった。体を撫でるほんの少しだけの風圧だったとしても、頭上に拡散させた塩の粒は簡単に攫われる。
「くそっ………!」
膝蹴りで倒れた西坂の頭を踏んで身動きを制御していた龍弐さんが上空へ跳ぶ。風で流されがちだった塩を全身に浴びて着地し、あろうことか集合思念体の群れに突入した。
「龍弐っ!?」
「動くな! ああ………チクショウ………これが集合思念体に取り憑かれる気分って奴か。最悪じゃねぇか………」
駆け寄ろうとする奏さんを抑制した龍弐さんは、自らが囮になることでアルマの時間を稼ごうとする。塩を浴びた影響で、まだ理性は残っているようだが、何十、何百と殺到すればいずれ精神が崩壊しかねない。
たまらず奏さんは塩の紙袋をスクリーンから取り出し、龍弐さんに投げつけた。「大丈夫。まだ助かる」と唱えて自分を鼓舞しながら。
「う、わー。大変なことになっちゃったー。なんかゴメンネー」
「ふっざけんじゃねぇぞこのクソ野郎! なんでアルマの兄貴の邪魔しやがった!?」
龍弐さんの危機に、その元凶であるはずの西坂は呑気に形式のみの謝罪をする。まぁそもそも、こいつは敵だから俺たちに協力する義務もなければ、本来邪魔をする立場にあるのだが。
であったとしても、こいつは自分の立場というものがわかっていない。迅がたまらず胸ぐら掴んで持ち上げた。
「げふっ………い、いやー、だってさー。なーんか気になっちゃってさー」
「ぁあっ!?」
「アルマさんの儀式を中断したらどうなるのかなー、とか。そしたらみんなどんなリアクションすんのかなー、とか。いやー、まさかこんな大ごとになるとはねー。ごめんねー。反省してるから許してよー」
「この薄っぺら野郎が………!」
そう。西坂の謝罪は薄っぺらい。ゆえに許せない。
「迅! このクソッタレを集合思念体どものディナーにくれてやれ! 龍弐さんの苦痛をフィルター無しで体験させてやる!」
「ウス!」
倫理やらがどうとか言われても関係ない。
この事態を招いた元凶がニヤニヤしているのが許せなくて、迅に西坂を新たな餌とすべく、龍弐さんの隣に投げさせた。すると塩さえまともに浴びれなかった西坂に、集合思念体の半数以上が群がっていく。
「アルマさん!」
「わかってる。鏡花は陣が展開したら置換して龍弐を手繰り寄せろ! いくぞ!」
アルマがまた複雑な指の絡み方をする印を結び、ノンブレス高速詠唱を開始する。
水色の陣が足元に浮かぶと同時に鏡花がスキルで龍弐さんを五寸釘と交換した。
「ぶはっ………い、いやぁ………きっついねぇ、これ。あと数秒遅れてたら再起不能になってたかも」
「龍弐! 本当に大丈夫なんですか?」
「なんとかね。取り憑かれるって、こういうことなんだねぇ。心に入って来やがった。内側から侵食するタイプだわ。これ」
塩を浴び、追加で注がれた影響で心に防壁を張れたのか、疲労している様子ではあったが龍弐さんは無事で安心した。
集合思念体が去り、アルマが陣を解く。そしてそこに転がっていた西坂を全員で俯瞰した。
これで西坂が深刻な精神病でも発症すれば、もう俺たちを追うこともできない。因果応報をくれてやれたと安心するのだが───
「あ、終わったー? あははー。ごめんねー。まさかこんな大変なことになるとは思わなくてねー。俺も馬鹿だねー。許してねー。ごめんねー」
西坂はピンピンしていやがった。
で、悪びれもせず軽薄な謝罪を繰り返す。ニヤニヤしながら。
俺たちはブチ切れた。
もう容赦しない。集合思念体がダメなら、物理的に制裁してわからせるしかない。
評価ありがとうございます。リアクションも一気に増えていてビビりました。
ちょっと長くやり過ぎたかもしれません。次回からプロローグの惨劇に戻るわけです。