第183話 まだ序章
その日の夕飯のことだった。
怪鳥アリゲロルドの肉は珍味らしく、回収した素材のなかには八人前の肉がある。蒸すと良質な脂が出るとか。アルマは早速業務用コンロと中華鍋をセットし、火を入れると水を貼り、最後に蒸し器を被せた。
厳重な監視の下にある西坂は、捕虜扱いとなるが、龍弐さんのハーネスと首輪が連結しており、間が悪いことに龍弐さんがアルマの近くまで移動した際に、
「俺も手伝うよアルマさーん!」
なんて馴れ馴れしく叫び、やらかす。
リードをより短くしておくべきだったと誰もが後悔した。突撃した西坂が躓いた拍子に、投入したばかりのアリゲロルドの肉を蒸し器ごと手で強打してしまい、地面に倒してしまった。
悲惨な光景に訪れる静寂。
「あ………あー」
西坂は空気の変化を機敏に察した。勘のいい奴だ。
ダンジョンのなかで食べる食事は格別にして、貴重だ。実力が足りなければ毎日の食事にも困る。
俺たちは困らないほどの実力といえど、アリゲロルドの肉は希少で、食べる機会など滅多にないのに。こいつは食糧を無駄にしやがった。さらに元料理人のアルマの飯はこの上なくうまいのに。二重、三重の意味でも怒りが募っていく。
「………雨宮さん。ブロック機能の発動、五秒後にお願いします。三分間で結構です。はい。では」
俺の隣で、ボスがゾッとするほどの低い声音で、専用の通信機を用いてマネージャーに依頼する。
マリアの依頼で俺の視界にあった共有スクリーンが暗転する。インモラルブロック機能が働いた。
次の瞬間───
「うわぁああああああああああああ!!」
「げふぅ!?」
マリアが、キレた。
「よくもよくもよくも! お肉を無駄にしてくれましたね!! 許せません!!」
突撃したマリアは西坂を突き飛ばし、倒れたところに馬乗りになると、胸倉を掴んでガクガクと揺らす。
普段、滅多なことでは激昂しないマリアには珍しい暴走だ。一回だけ見たことがある。俺がマリアチャンネルに参加すると宣言した日。御影にブチ切れたマリアが嗜虐的な発言を繰り返した。
まぁそれは御影が全冒険者を敵に回すような発言と、外道のような殺しを繰り返していたからなのだけど。
今回の暴走の原因でいえば、それはアルマの飯を台無しにされたのと、肉がマリアの大好物であったからだろう。目の前でやられればなおのことか。
「わ、わざとじゃないよー」
「だから許せと!? ではわざとでなければ、殺人罪が免除されるとでも言うのですか!? 面白くない冗談をほざきやがりますね!」
ああ………鏡花と龍弐さんと長く行動したせいか、ファンどもがいつも語っていたマリアの清楚なイメージが崩れていく。
まぁ気持ちはわかる。マリアがそうしていなければ、俺たちは最高の飯を台無しにしてくれた西坂を、インモラルブロック機能が発動する前に袋叩きにしていたかもしれない。
今回はマリアがブチ切れたので、なんとか溜飲を下げることができたが。
「悪気は無かったんだよー。許してよー」
「許してほしいですか、そうですか。なら条件がふたつ!」
「え、えっと………なにー?」
「アリゲロルドを討伐し、お肉をもう一度入手してきてください! 人数分以上は確保するように!」
「え、えー!?」
そりゃいい。と俺たちは顔を見合わせて首肯する。誰も反対する者はいない。
「ちなみに、もうひとつはー?」
「どうせ私たちにアプローチした報酬が使者から支払われたんでしょ!? ならそのお金でA5ランクのお肉を購入して振る舞ってください! 言っておきますけどね、私はお肉とあらば普段我慢してるだけで、迅くんの三倍は食べますからね!!」
「え、ぇぇええええー!?」
そりゃ最高だ。
俺たちは満面の笑みを浮かべた。むしろ後者の方がいい。そんな顔をしている。満場一致で。
「西坂。いいことを教えてやるよ」
「え、なに京一くん。どうせ俺にとっちゃいいことじゃないだろうし、聞きたくないんだけどなー」
「このパーティは女子の方が凶暴だ。マリアがこんなブチ切れたのも本当に珍しい。従った方が身のためだ」
「う、うそーん………」
膝から崩れ落ちる西坂。どう足掻いても絶望。希望などどこにもない。
インモラルブロック機能で配信は暗転しているが、ボイスだけでもコメントは大盛り上がりだった。見えていない方が妄想が膨らむだとか、またもや「お耳のお友達勢」が興奮している。
結局、俺たちの無言の圧力に屈して西坂は、単身でアリゲロルドを狩りにいく気力がないか、そもそも実力がないか、俺たちの目論みどおり後者を選び、盛大に散財させた。
なにが面白いかって「これで勘弁してよー」と泣きながら購入する西坂に「は?」とキレながらプレッシャーを与えるマリアの稀有なシーンだ。新たな一面が公になり、「これはこれで」とファンも楽しんでいる。
この日の夕食は和気藹々とした宴会となった。西坂は席に座らされ、鏡花が五寸釘を置換して木製の椅子に縫い付けると、龍弐さんがアルマが焼いた肉を目の前に置く。意外にも薬を盛った気配はない。焼きたての牛肉がうまそうな香りとともに並べられる。
「さ、遠慮なく食いなよ西坂ぁ」
「も、元はと言えば俺の金で買った肉───」
「あ゛?」
「あ、はい。なんでもないです。いただきます。おいしいです」
やっと自分の立場を理解し始めた西坂。凄むマリアの迫力に圧され、ついに従うしかなくなった。
マリアはエリクシル粒子適合者ではあるが、覚醒者でなければ冒険者でもない。実力でいえば西坂よりも劣るだろう。やろうと思えばマリアを押しのけられるが、それをやった瞬間に俺たちの報復が待っている。逆らうに逆らえなくなっていた。
しかし、だ。
その日から西坂はわからせられて大人しくなる───かと思いきや。
奴のやらかすしくじりは、ほんの序章だったのだと翌日から思い知ることになったのは、俺たちの方だった。
「おはようアルマさーん! あ、朝ごはんだね? 俺も手伝うよー!」
「いや、いいよ。ひとりでやるのは慣れてるんだ。大人しくしてな」
「冷たいなー。そんなこと言わずにさー。あ、俺塩胡椒が好きなんだよねー。じゃ、みんなも好きだろうし入れておくねー!」
「あ、なにすんだお前っ。馬鹿、やめろ!」
西坂は俺たちより早く起床すると、背中のハーネスをいつの間にか自力で外し、アルマが丹精込めて作っていた味噌汁にあろうことか塩胡椒をぶち撒けた。
アルマの声で飛び起きた俺たちが見たのは、プラスチックの容器を傾けたところで、通常なら微細な穴から少量を振りかけるところ、なぜか蓋を外した上体のそれをシェイクしやがったせいで、すべての内容物が絶品の味噌汁を侵して台無しにした。
龍弐さんがテントから飛び出して、わずかな助走で得た推力をすべて用いたドロップキックを炸裂。拘束し直す。
数時間後。
「ねぇねぇー、利達ちゃーん。お菓子買ったんだけど食べるー?」
「んぎゃぁぁああああああああ!? 着替えてんのに堂々と開けんじゃねぇえええええええ!!」
またもや拘束から脱した西坂は、入浴ができないので濡れたタオルで体を拭くしか清潔を保てない女子たちのテントのひとつに突撃しやがった。
最年少の利達は寝袋しかないため、奏さんのテントを借りていた。名指しで突撃する辺り確信犯だ。
利達が悲鳴を上げてぶん殴る。スキルを併用すると、西坂はフィギュアスケーターも真っ青になるくらいの回転で、三十回くらい回って落下する。倒れても回転していた。
いつもありがとうございます。
少しずつ書き進めているのもなかなか時間がかかりますね。
やはり複数の作品を同時執筆というのは無茶があるのでしょうか。