第175話 男の娘のシシャ様?
「え?」
「な、なんだぁ!?」
「音声通信!?」
龍弐さん、迅、アルマが驚いて身構える。
現在、俺たちが使えるスクリーンには、ありそうで無いアプリがある。それが音声通信だ。つまり電話である。
チャットなど文章を入力して送信はできるが、声をリアルタイムで届けるだけのスペックがなかった。もし通話したいなら、マリアのように専用の通信機を持ち込むしかない。
しかし俺たちの耳に届いたのは確かに男の声だ。
しかも、
『驚くのも無理はない。けどまぁ、落ち着いて聞いてくれや』
向こう側も騒然となった俺たちの声が聞こえるらしい。これでは本当に電話になっている。
「どなたですか? 生憎、私たちが知り得なかった機能を使いこなせる人材と、面識がないもので」
緊急事態に疲弊してばかりではいられなくなった奏さんが接近し、通話に対応する。
『そうだなぁ。俺はお前たちとは初対面さ。けど、俺はお前たちのことをよく知ってるぜ? 便利なもんだよなぁ。二百年前から続くエンターテイメント性の文化を、発展させ続けた結果だ。マリアチャンネル。いつも楽しませてもらってるよ』
「ファンの方でしたか。しかし、初対面の方にこう申し上げるのも気が引けるのですが、感心はしませんね。優れた通信技術をお持ちになっていることは理解が及びますが、だからといって急な演出、それもアポも無しとくれば、こちらも対応に困ります。ファンと申された以上、現在配信中であるという事実を言い逃れはできません。これ以上は妨害と見做し、事務所から正式な───」
『まぁ待てよ。マジキチ奸策姐さん』
「だぁれがマジキチですかぁぁあああああああああ!!」
『うぉ、うるせっ………』
そういえば、コメントではよくあることで、耐性はついたのだが、実際に呼ばれるのは久しぶりだったためか、不本意なコードネームで呼ばれた奏さんは憤慨し、つい電話口に怒号を放ってしまった。
スクリーンは変わらず暗転したままで、音声以外のヒントは得られないが、相手が奏さんの言うようにかなり無礼者であることがわかる。そして発展した技術を有していることも。
それがなぜマリアチャンネルに。そして俺のスクリーンに繋いだのか。それで狙いがわかるはずだ。
「それで………ファンくん。なんて呼べばいいのかなぁ? こっちはあんたのこと知らないし、このままじゃフェアじゃないよねぇ。名前くらい教えてよ」
『いいぜ? そうだな。使者様とでも呼んでくれ』
「へぇ、シシャねぇ。自分のこと様付けで呼べとか、あんたかなりヤベェ奴じゃん」
憤慨する奏さんに代わり、龍弐さんが対応する。初っ端なら煽り全快で。
『ま、想像はお前たちに任せる。勝手にしな』
「あ、そう? じゃあこれからシシャ様はゴスロリメイド喫茶でバイトする男の娘で、年中汚いおっさんにケツを狙われてるって設定にするけど、いいよねぇ?」
『面白ぇ奴だな。俺に対してそんな口きいたの、お前が初めてだ。はは』
「どうもぉ」
龍弐さんの煽りになんらかの変化があると考えたのだが、これだけ不名誉な設定を盛られても口調の変化はない。非対面の音声のみの交渉などに慣れているのか、龍弐さんのジャブ程度の挨拶にもまったく揺らぎを感じない。
「で、男の娘のシシャ様。なんで俺たちに電話したわけぇ? 会いたいならこっち来ればいいじゃん」
『行きてぇっちゃ行きてぇんだがよ、事情があんだ』
「へぇ。事情ねぇ。スクリーンに介入するってことはあんたもエリクシル粒子適合者なんだろうけどさぁ。ああ、もしかしてレベル低い? 埼玉ダンジョンまで来れない系? そりゃ残念だねぇ」
『どっちも外れだ。俺はそんな遊び場みてぇなとこにゃいねぇよ。強いて言えば………もっと上だ』
「………上、ねぇ」
龍弐さんはハンドシグナルを送る。「喋るな」と「動くな」のふたつを交互に出した。
すでにアルマは息を呑み、立ちあがろうとしたのだが、龍弐さんの合図で片膝立ちをキープする。
迅と利達とマリアはまだ理解に及んでいない。奏さんは憤慨をやめた。俺と鏡花はこの使者とやらの言動の、真偽はどうであれ重要性は理解していた。
「それでぇ? 高みの見物きめこむシシャ様は、なんでいきなり俺たちにコンタクト取ったわけぇ?」
『気を悪くしないでほしいんだがよ、暇潰しに付き合ってもらうためだぜ』
「へぇ。遊んで欲しいのぉ?」
『ああ。遊ぼうぜ。マリアチャンネル。明日から俺の知り合いをそっちに寄越す。倒してみな。俺はそれを余興として楽しませてもらうからよ』
「悪趣味だねぇ。自分でやればいいのに」
『余興って言ったろ? そいつらさえ倒せないようじゃ、俺と会う資格もねぇ。お前らにとっては、ある意味で試験みたいなもんさ。とりあえずこのまま進みな。どこまでやれるか楽しませてもらうからよ』
使者は一方的に試験とやらを押し付け、俺たちの合意を待つまでもなく通信を終了させた。
キメラを倒した充実感も味わえないまま、この異変について、対策を練る必要を強いられた俺たちは、しばらく誰もなにも言えないまま、顔を見合わせていた。
▼▼▼▼▼
「………動き出しやがった」
「案外早く………いえ、そうでもないかもしれないわね。あ、ちょっとなにしてるの鉄条。ここで吸わないでって何回言ったら理解するの?」
「ぐぉ………お、お前なにしやがる! 横に切ったら全部吸えなくなるじゃねぇか!」
京一たちマリアチャンネルが配信を終えた二時間後。
鉄条は自宅を出て、楓の家を訪れた。
数時間前に娘の鍔紀が仰天しながら鉄条に報告したことで発覚した事実。マリアチャンネルに使者と名乗る何者かが接触したことで、事態は一変した。
使者なる存在を知ったのはつい最近で、ダンジョンを管理する政府の上層部に呼び出された際、楓とともに新政府との繋がりも同時に認知した。
鉄条はなんとか説き伏せて西京都から連れ出した妻とともに軽井沢の辺境に住んでいる。まだ若いエリクシル粒子適合者十名に囲まれても妻子を守り切る自信があった。幸いまだその予兆は感じられないが、使者なる何者かが行政との裏契約を裏切っての暴挙に、顔には出さないが肝を冷やした。
現在、リモートワークに切り替えた妻に鍔紀の面倒を押し付けて、楓の自宅を訪問し、そしてかつての仲間たる里山とタブレット端末によるテレビ電話を繋げていた。
「里山さん。そちらはいかがですか?」
テーブルの対面側に座る楓は、鉄条が煙草を取り出した瞬間に包丁を一閃。パッケージを両断しながら里山に問う。
『大混乱ですよ。お陰で今日は帰れそうにありません』
「あなたは部署が違うというのに?」
『おふたりは疎いのでご存じないとは思いますが、マリアチャンネルの配信がネット上で拡散され、混乱を招いています。僕も火消し役に抜擢されました。………というのは建前で、おそらく尋問を受けるでしょう。僕が使者たる彼に不要な情報をリークしていないか』
里山は渋面していた。中年となった今、現役だった頃と比べて体力は落ちたが実力と冴えは劣ってはいない。政府お抱えの戦闘部隊に囲まれても数分は善戦できる自信はあるし、一方的に契約を無視はしたが使者が刺した釘の効力もまだあると考えられる。拷問は免れ、家族への被害も出ないと考えられた。
「問題はいくつあると思う?」
「政府の応能で、ネット上だとかいうお祭りはすぐ鎮静する………かどうかはわかりませんが、大きく取り上げるならひとつ。マリアチャンネルの意向でしょう」
『使者の圧力がどこまで政府に通用するのかまでは僕もわかりませんが、まだ効果があるとは思います。楓さんの言うように、マリアチャンネルにいる八名が使者が差し向ける刺客と交戦し、無傷で済むのか。………楓さん。娘さんには僕も何度か会ったのでわかります。彼女は有能だ。使者がいる場所を、すぐに特定しますよ?』
「でしょうね。しかし、その上でなにを判断するのか。それは私たちロートルが舵を取るべきではない。私は信じますよ。娘や、これからの時代を生きる彼らを」
悩みは尽きないばかりか、ついにコンタクトを取ってしまったことに、楓は奏を信じるとは述べたものの、やはりどこか不安そうな眼差しは拭えなかった。
ブクマ、評価ありがとうございます。
やっと三章が終わりそうです。第四章は波乱の展開にしたいと考えております。あ、いつものことでした。