第17話 スキルの無駄使い
今、目の前で大鍋がグツグツと煮えています。
出汁はパックですが、ダンジョンで食べる鍋というのは他の配信者が配信したように背徳感があるようでいて、けれども食べずにはいられなくなるような争い難い魔力がありました。
熱を加えられたことで柔らかくなる葉物野菜と根菜。鍋には欠かせない具材ですが、今回のメインは他にあります。
「入れるぞー」
「ちょっと。サイズを考えなさいよ。そんな大きいの入れたら蓋ができないじゃない」
「そうか? おっちゃんはこれくらいでも問題ないって言ってたぜ?」
「問題大有りよ。火が通らないじゃない。ダンジョンモンスターは加熱が基本でしょ」
「仕方ねぇなぁ」
「………うわ」
ボタボタと涎を垂れ流すしかない私は放置されました。これでもお料理はできる方………だと思います。一度お料理の配信をしたことがあるのですが、そこそこ好評でした。「こいつの作るなにかはすべてダークマターになるんだな」と白熱したコメントをいただき、雨宮さんから「ダンジョンはインスタントご飯だけにしなさい。死にたくなければね」と念押しされるくらい………なぜでしょうか?
放置される私と、鍋を挟んだ向こう側には、サキガニから頂戴した素材をふんだんに使った鍋を作ろうとしている京一さんと鏡花さんが奮闘していました。
もう素材は剥ぎ取ったのだし、可食部以外はすでに黒い塵となって消滅し始めた頃を見計らって配信を再開。実況する画面は私の視界に共有。
配信を再開するまで二十分ほどかかったので待機している視聴者が離れないか心配だったのですが、なぜか再開すると視聴者の人数は二割り増しでした。
《こいつ、サキガニを手で割いてやがる》
《もうわけわかんねぇよ》
《皆殺し姫ちゃんが絶句してて笑う》
《違ぇよ。これはドン引きだ。俺だって引くわ》
《やっぱこの男、面白ぇわ》
《それにしても鍋うまそう。ダンジョンで鍋料理とか、本当にやる奴いるんだな》
《あんだけデカかったサキガニが八つ裂きにされるばかりか、足でさえ八つ裂きにするとかこいつ頭おかしいんじゃねぇの?》
コメントにあるとおりでした。
私だって頭がおかしくなりそうです。要因はいくつかあります。
ダンジョンで鍋料理という一部の選ばれたパーティしかできない、それか料理専門配信者しかやらない、おいしそうなものが目の前で煮えていること。ここ最近、ずっとスープかインスタント麺しか食べていなかったので、お野菜が恋しい口になっています。
そして最大の要因といえば、京一さんのありえないピンチ力によって引き裂かれるサキガニの足。
サキガニの名の由来は、裂きやすいからではありません。サキガニが巨大なハサミで掴んだ獲物を豪快に引き裂くからです。口が小さいので捕食するための行為だとか。最近では出現する個体も多く、然程珍しいモンスターではありませんが、ボス級となると被害者数は一気に増大します。
そんなサキガニが手足を引き裂かれ、その足でさえ京一さんが掴んでさらに分解されていく様は、逆に京一さんの方がサキガニの名に相応しいのでは? と考えてしまいます。だって戦車の砲撃でやっと傷を付けられる装甲でさえ、まるで紙なのかと疑うほど簡単にバラバラにしていくんですもん。
で、鍋にやっと入るサイズに引きちぎられて数分煮込み、完成したサキガニ鍋。蓋を開けた途端、湯気とともにダンジョンモンスターを使ったとは思えない、陸地で生まれたにしては芳醇な海の香りが漂います。
「はい。まだまだあるからね。慌てなくていいから、しっかり食べて回復しましょ」
鏡花さんは木製の茶碗に並々と注いだ鍋の具を手渡してくれました。
その温かさ。目に飛び込むご馳走の煌びやかさ。鼻腔をくすぐる魔力のある香り。聴覚でいえば、鍋の煮える音で私を楽しませてくれました。
一口スープを飲んで───感嘆しかありませんでした。
「ハァ………ダンジョンでこんな贅沢ができるなんて。おいしい………最高」
昆布出汁のスープと蟹の出汁が混ざったスペシャル鍋は、野菜でさえ一級品に変えてしまいます。
五感のほぼすべてを満たすパーフェクトな鍋に、私はついとろけてしまう寸前でした。
《飯テロだぁぁあああああああ!!》
《クソッ………見せつけてくれやがって!》
《なんでだよマリアちゃん。俺たちはマリアちゃんの悲鳴を楽しみに見てるのに、いつからグルメ番組みたく指針を変えやがった!?》
《サキガニってうまいのか?》
《市場に行ってみな。超高級食材だから買うのを躊躇う値段だぜ》
《引き篭もりどもは自分の醜態晒してんじゃんじゃねぇぞカス。スーパーに普通に売ってるわ》
《サキガニの幼体な。高ランクパーティが討伐した成体の素材がスーパーに置いてあるはずがねぇだろ》
《爺ちゃんが会食で食べたって言ってたけど、マジでうまくて脳が溶けるかと思ったってよ》
《カァァア! 羨ましいぜぇマリアちゃんよぉ!》
『マリア。サキガニの素材ありがとう。早速今夜、パパといただくわ。これであなたの評価は見直すとするけど、方針だけは変えないのでそのつもりでいてね』
いきなりグルメ番組みたく食事シーンを実況中継した勢いに乗じて、雨宮さんを懐柔しようとしましたが、失敗しました。
「マリア。視聴者はなんて?」
「は? 今配信してるのかよ」
「当然でしょ。昨日とは違うんだから」
鏡花さんは意外と配信に協力的でした。なにをしようにも私が持つカメラとマイクを意識しています。
皆殺し姫なんていう、自を是し他を絶すような恐ろしい異名で呼ばれているなら、必ずしも協力的なスタンスを維持するはずがないと諦めかけていた私は、カメラを持とうか持つまいが、常時気にかけてくれる鏡花さんの優しさに信頼を覚えました。
行動をともにしてたった数時間ではありますが、最初こそ鏡花さんは美少女の皮を被ったチンピラと考えていましたが、とても優しく、敵対勢力さえなければ可愛い子だとわかりました。
食事さえ撮られていると知った京一さんはやりにくそうにしていましたが、これを機にお近づきになり事務所の発展と互いの向上を目指すべく、一貫して撮影を続けます。
「ご飯がおいしそうだって言ってますよ」
「そう。ならこのまま続けても問題なさそうね」
「はい。順調に視聴者も伸びてます。今朝の三割り増しってところです」
「良い数字ね。明日は倍を目指しましょ」
鏡花さんはこの数字に満足している様子。
しかし、です。
問題はここからでした。
「ふーん。倍の数字ね。俺に無許可で撮影しておいて、それができるとは思わない方がいいと思うけどなぁ」
「………どういう意味よ」
ニヤッと邪悪な笑みを浮かべる京一さんを、鏡花さんはまた厳しい目付きをして睨みます。
私は京一さんのことを、なにも雅量なひとだとは考えてはいません。聖人君子であるとも。ただ困っているひとを見たらつい助けてしまうような、そんな優しさを持っているとだけはわかります。
けど、理解が届いたのはその一点のみでした。
どれだけ私がおもねたところで、この結果は変わることはなかったのでしょう。
「例えばだ。俺がここで強烈な下ネタを連発して、配信どころかアカウントが停止したらどっちが損をするんだろうなってこと。俺はそっちの陣営じゃないから損害はないな」
「食事中でしょ。下品なことしないでよ。野蛮人が。死にたいの?」
「残念だが俺はその程度の脅しで止まらねぇよ。見てな。この蟹は───」
京一さんは絶句する私の前で、箸で摘まんだサキガニの足の一部をお下品に例えて下ネタを連発しました。
最低なひとでした。
蟹鍋食べたい。
そういう季節になりつつありますね。寒いとわかっていても応援の嬉しさに裸踊りした夜。そのしわ寄せがきているようで色々止まりません。
そんな私を回復させるのが応援。もといガソリン。物乞いと呼ばれたって構わない。だって嬉しいんだもの。ブクマ、評価、感想などの特効薬が作者の治療。よろしくお願いします!