第164話 緊張してるの俺だけかよ
「叩き落すっ」
「や、やめ………馬鹿!」
手を伸ばして俺を掴み、グイグイと背後へと押し倒そうとする鏡花。
そんな彼女の手を掴んで必死に抵抗するも、両名ともエリクシル粒子適合者。力の使いどころは熟知している。なにより鏡花は体術も相当なもので、一般女性とは比べものにならない膂力を有していた。
必死の抵抗をしなければ、すぐに俺は突き落とされていただろう。
「落ち着けっ。悪かった! 俺が悪かったから!」
叫ぶわけにもいかない。下では仲間たちが眠っている。不審がられてこんなところを見られては、また龍弐さんに勘違いされ、奏さんの「説教コース・素敵な夜明けを添えて」まで付随する。どちらかといえばそっちがメインだ。それだけは回避したい。
俺たちは悶えるように押し合いになった。鏡花は羞恥と怒りで自制心が吹っ飛んでいるので遠慮がない。ここから落ちたらどうなるか………一般人だったら即死だろうけど、まぁエリクシル粒子適合者なら打ち身だけで済むか。
そういうことじゃないんだな。俺が言いたいことは。
「悪いと思ってんなら、落ちなさいよ」
「落ちたら奏さんに見つかるだろ!? 龍弐さんにこの前勘違いされたのを、もう忘れたか!?」
「~~~~ッ!!」
ミスったかもしれない。
鏡花にとっては忘れたい過去であり、すでに忘れかけていたはずが、ここで呼び覚ましてしまった。
顔を赤らめ、怒りの濃度を濃くしながら、今度は俺を前後へと揺さぶってきやがった。危うく落ちるところだった。
しかしそんなことをしていては、ふたり分の加重で軋んだ枝も、ついに耐久力の限界を迎えてしまう。
「ひゃっ」
「くそっ!」
ついに枝が折れ曲がると、右腕で鏡花を、左手で枝を掴んで下の枝に落下する。ふたり分の体重と、落下速度を受け止められるほどの太さだ。両足でしっかりと衝撃を緩和させ、鏡花を抱きかかえて幹の方へと移動する。
「キョーちゃん? どうしたのぉ?」
心臓が止まるかと思った。下にあの勘違いの権化ともいうべき龍弐さんがいて、まさか起きていたとは。しかし幸いなことに、龍弐さんからは俺の姿は見えないようだった。多密に重なった枝と葉が、うまくカモフラージュとなって俺たちを隠してくれたらしい。
「すみません。うっかり足を滑らせてしまって」
「あ、そぉ。気を付けるんだよぉ?」
「お、おす」
深く追及されなかったし、怪我などの心配もされなかったのが幸いだ。
だがまだ安心はできない。俺と鏡花はしばらく下の気配を探り、共に動かないよう集中して見張っていた。
「………龍弐さん、寝た?」
「………寝たみたいだな」
「………あ、あの」
「うん?」
「そろそろ、離してくれると嬉しいんだけど?」
「………イッ!?」
「叫ばないでっ」
今さらだが、とんでもない姿でいることを自覚した。それをしたのは全部俺なのだが。
落下で怒りが消えた鏡花が、平常に戻って焦って口を塞いでくれてなければ、俺は叫んでしまっていただろう。
「手、離すわよ? いい?」
「っ」
鏡花の質問に、軽く首肯して返す。
しかしだ。なんで俺ばかりこんな目に遭っているのだろう。割に合わない。たまには鏡花を焦らせてやろう。と悪戯心が芽生える。
彼女の細い指が離れて───
「でさぁ」
「デケぇ声出してんじゃねぇわよっ」
少しだけ声を大きくした途端に鏡花が焦りながらまた口を塞ぐ。
その表情が面白くて、目元が笑ってしまったらしい。鏡花が浮かべた焦りが、シラーッと薄れていく。
「………このまま窒息死させてやろうかしら」
「やへふぉ」
「冗談よ。じゃ、もう叫ばないでよね? 悪かったわよ」
「ぷぁ………くくく。そういえばこうやって密着するってのも久しぶり───ぁ」
「ッゥ………!?」
またミスった。
今度は突き落とされるだけじゃ済まないかもしれない。
俺と鏡花のなかでも、特に鏡花が忘れたいであろう群馬ダンジョンでのアクシデントを急に思い出し、調子に乗って手拍子で口にしてしまったのが最後。後悔してももう遅い。
俺が御影のクソッタレ野郎のスキルから鏡花を守った際、重傷を負って、その傷を秘薬とやらで治療してもらったのだが、当時の俺はもう虫の息で心肺停止しかかっていて───ああ、思い出すだけで俺まで恥ずかしくなってきた。
あんな経験は初めてだったためか、今でも鮮明に感触を思い出せる。
「………なに唇触ってんのよ」
「………お前だって」
無意識でつい唇に触れてしまう。俺は手の甲で。鏡花は指先で。
そして、そこから先は互いになにをするでもなく───というよりも、なにをすればいいのかわからなくて、まったく動けなくなった。
なにが正解なのかもわからない。ひたすら密着状態にあったのに、俺たちは足場の狭さを言い訳にするように、俺は鏡花を退けようとせず、鏡花は俺の胸に体重を委ねてきた。
「………助けてくれたことには、礼は言うけど、この程度自分でどうにかできたわよ」
今の落下のことか。確かに鏡花のファーストスキルを考えれば造作もなかった。なんなら、そのまま自分のテントに戻ることもできただろう。
「じゃ、このままテントに戻れよ。今ならバレずに行けるだろ」
「………少し待って」
「なんで?」
「ポイント回復させたいの」
「………そっか」
なにが「そっか」だよ。納得してんじゃねぇ。
俺たちスキル持ちは、スキルを無制限で使えるわけではない。各自ポイントを消費してスキルを使うことになる。これまで特に意識したことはなかったが、スキル持ち同士の戦いは、このポイントをどう消費するかの駆け引きでもあるのだ。
そのポイントは特定の条件で回復する。メジャーなのは数秒で一ポイント。あとは攻撃や防御を成功させた時とか。ゆえに駆け引き。猛攻を加えれば自分が回復するが、防御されれば相手が回復する。
鏡花はそこまでポイントを使った覚えはない。目ぼしい戦闘があった覚えはない。だからポイントを回復させる意味などないはずなのに。
「………あんた、体温高いのね」
「汗臭かったらごめんな」
「別にいいわよ。………嫌じゃないし」
「え?」
「あ、ち、違ぇわよっ。汗じゃなくて、体温のことっ。私、ちょっと冷え性だから。こうしてるとちょっと眠くな………ふあ」
「くあ………は?」
鏡花のあくびが移るも、それだけで重要度が増したことに気付く。
「おい。おいちょっと待て。お前、寝るな。こんなところで」
「仮眠するだけよ………ちょっとしたら、起きるから………」
馬鹿かこいつ。普通、この状況で寝ようとするか?
いくら気を許してるから………いや許し過ぎだ。あろうことか俺に抱かれているのに寝ようとして………いや抱くって、そっちの抱くじゃねぇぞ?
とにかく寝るなら戻るように言おうとして………諦めた。
「本当に寝やがった」
健やかな寝息を立てる鏡花に、呆然としてしまう。
起こすべきか、しないべきか、困難な対応に迫られた。
俺はしばらく見張りの役目を忘れて、鏡花の寝顔に見入っていた。
その顔はとても綺麗だった。
「くそっ………緊張してるのは俺だけかよ」
どうすればいいのかわからなかったので、とりあえず鏡花のことは忘れ、左手で掴んでいた木の枝を適当な枝の上に置き、俺まで睡魔に襲われながらなんとか見張りの番を真っ当した。
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