第155話 ダンジョンでおままごとする狂人
全員一丸となって、お塩の陣形を作って集合思念体の壁を強行突破する作戦に出ること、五分。
高所恐怖症の私も、集合思念体という存在への恐怖でそれを忘れ、迅くんの疾走と跳躍が気にならなくなりました。
斜め右に広がっている青白い光が、より鮮明となります。
接近すればするほど、なにが起きているのか理解できました。
それこそ、お塩を毎秒何百グラム単位で捨てている私たちが愕然とするほどでした。
「………は?」
半狂乱で集合思念体にお塩をぶつけて恐怖を怒りで消していた鏡花さんが、現在起こり得る不可思議な光景に呆然としかけました。立ち止まりそうですらありましたが、それでも誰もなにも言いません。なぜなら全員が同じ反応を示していたからです。私たちがお塩で塗れていなければ、すでに集合思念体にタッチされ憑りつかれていたことでしょう。
「………マジかよ」
「え、ちょ………え?」
「どうなってんのこれぇ」
呆然とする迅くん、利達さん、龍二さん。
なぜなら、そのキノコの上に描かれた不思議な陣が発する青白い光に触れた集合思念体たちが「キェェエエエエ」と叫びながら一瞬で消えたのです。
もう、わけがわかりませんでした。
こんなこと、あり得るのでしょうか。
なにより意味不明だったのが、陣の中心にいる人物でした。
「お客さん。今日は冷えるねぇ。そんな日にはおでんが一番さ。なにが好きだい? ああ、そう。大根。いいね。俺がこんにゃくが一番好きでね。俺の店じゃ大根に並んで一番気合い入れて仕込むんだ。出汁が染みてない大根とこんにゃくなんて、おでんじゃないからね。あ、からしは入れすぎないようにね。和からしつっても目と鼻にくるし」
その小柄な男性は、黒いシャツにズボン。黒い前掛けとキャップという───まるでラーメン屋さんの店員のような装いでした。ダンジョンに挑むとは思えない装備です。
大型バッテリーに接続された電動のおでん機のなかでは、温かなおでんの具が煮えた状態で湯気を発し、その湯気が私たちにこれ以上とないほどの食欲を与えてくれます。
しかし集合思念体よりも狂気を覚えたのは、その男性が他に誰もいないのに、一方的に喋っていたことです。
無造作に敷いたシートの上には三つのぬいぐるみが置いてありました。もしかして、それがお客さんのつもりでしょうか。
つまりこの男性は、ダンジョンでおままごとをしていたのです。
「さ、できたぞ。出汁を取るところから作った自慢の手作りおでん───」
「………」
「………あ」
男性が朗らかな笑みでこちらを振り返ります。そこで一列に並んだ私たちと目が合いました。
最悪な空気となりました。いたたまれませんでした。
せめて横に移動するべきだったでしょうか。
多分、男性にとっても一番見られたくない場面を見られてしまって、紅潮しているのだと思います。
しかし逸早く持ち直したのは、男性の方でした。
「い、いらっしゃい………あ………何名様、ですかい?」
「な、七名なのですが………大丈夫ですか?」
「もちろん………さ、さぁ。どうぞ。上がって」
「お邪魔します」
本当、お邪魔します。二重の意味で。
男性に促されるまま、対応した奏さんが陣を跨いでなかに入ります。私たちも続きました。
男性はとても恥ずかしそうにしながら、迅速にシートの上に置いてあったぬいぐるみを回収し、シートを延長して私たちを案内してくれました。
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「いやぁ………はは、参ったね。こりゃ」
男は恥ずかしそうにしながら、ただただ集中して温かいおでんを食べまくる俺たちを見ていた。
「ねぇねぇ、あれってなんかの儀式だったの?」
「利達ちゃん!」
「ああ、いいんだよ。気を遣ってくれない方が助かる。正直に言うとさ、たったひとりで行動するのって慣れてるんだけど、たまに寂しくなるだろ? だからたまに、こうして気を紛らわせてんのさ。でも、まさか見られちまうとはなぁ。ほら、追加も煮えた。利達だったな。皿出しな。なにが好きだい?」
「はんぺん!」
「あいよ。あ、ついでにロールキャベツもあるんだ。ソーセージもな。乗せとくよ」
「わーい!」
男は面倒見がよく、おでんを平らげるとすぐにおかわりを出してくれた。
「京一もまだ食べられるだろ? 腹いっぱいになるまで食べていいからな」
「あ、ああ。もらう」
俺のおかわりは山盛りで出してくれた。
「お、そろそろ茶飯も焚けるかな。急速モードだからべちゃついてたらごめんな? 迅。どんくらい食べられる?」
「もちろん特盛っす!」
「あいよ。遠慮なく食え」
「うす!」
最年少の迅と利達の兄妹は、すぐ絆された。
いや、一番最初に絆された人物といえば………
「龍弐。あついの出せるけど、まだ飲めるよな?」
「二合ほしいなぁ!」
「あいよ」
日本酒を徳利ごと湯を張った鍋で温めた熱燗を持ってきてくれた男に、龍弐さんがすぐ心を開いた。まずそれが合図だったのかもしれない。
「あ、あの………本当に、お代はいいのでしょうか?」
牛すじを平らげるマリアが問う。にしては串が大量に捨ててあった。これだけ食べておきながら再確認できるなんて、度胸がある。
「いいって。俺はマリアチャンネルのファンなんだ。ファンとして、飯を食ってもらえるのって嬉しいことなんだぜ?」
「しかし、こんな上等なものを………」
「俺の飯はいつだって手抜き無し。おでんならなおさらな。仕込みだって妥協しない。多めに作っておいて正解だった。十人前なんてあっという間だったな。満足してもらえたなら、それでいいんだよ」
満足そうに笑う男。本当に善人だった。
加えて飯がうまい。
俺はおでんなんか年に一度食えるか食えないか程度の経験しかなかったが、曖昧な記憶から引っ張り出した味と比較しても、比べるまでもなく断然うまい。
頬が落ちるという表現があるが、まさにこのことだと思う。脱帽だ。
そしてうまい飯を食うと力が漲る。温かい飯ならなおのこと。
男は俺たちのことを知っていた。自己紹介するまでもなく、名前を言い当てたくらいのマリアチャンネルの生粋のファンだという。
「あ、あの。後片付けくらいお手伝いを………」
「いいんだよ。慣れてるから」
「慣れてるって………なら代わりになることを………」
「ならサインくれないか? あ、転売はしないから安心くれ。なんなら俺の名前も書いてくれよ。七海アルマへって」
「七海アルマさんっっっ!?」
「ぅお、びっくりした」
マリアだけではない。俺たち全員が食い気味になって男に詰め寄った。
飯がうまくて性格もいい兄貴みたいなこの男が七海アルマだったらいいのになと考えていたら、まさかの本人だったなんて、どれだけ都合がいいんだか。
「み、見つけた………」
「本当にいたんだぁ」
「うぉ………これで冷たい飯から解放されるかもしれないんすね!」
安堵した鏡花。存在に感心した利達。歓喜に震える迅。
目的が達成されたような空気になっているが、実はまだ始まったばかりだった。
まだこれから重要な交渉がある。
「えっと………どうしたんだ? そんな感極まったみたいな顔しちゃって」
水で流した皿を拭いていた男───アルマは手を止めて、苦笑しながら尋ねた。
さて、交渉と面談も交えなければならない。マリアと奏さんの出番だ。
まずはマリアが先鋒を務めた。
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六衣に続き、新キャラです。ダンジョンのなかで人形相手におままごとするヤバイ男です。