第142話 絶対に死なないでね
彼女が抱える不満の正体までは見抜けなかった。
分析しようにも、それさえ適わない事態に陥りつつあったからだ。
「お友達と一緒にいると楽しいなぁ」
六衣は呑気に笑うが、目が笑っていなかった。そもそもこれは笑っていられる状況でもないのだが。
「くそっ………これが名都が受けた洗礼って奴か。愉快な状況になってきたじゃねぇかよ。埼玉ダンジョンって過激だねぃ!」
冷酷さと享楽さが混じった歪な口調で、獰猛な笑みを浮かべつつ、冴えた剣戟を放つ龍弐さんは、襲い掛かるモンスターに常に肉薄した。
斬っても斬っても、絶えず湧出するモンスターに、ついに俺たちは名都が経済難に陥ることになった原因へ直面する。
埼玉ダンジョンは群馬ダンジョンと比較して、モンスターとのエンカウント率が半端なく高いのである。
一戦交えて休憩し、進行を開始すればまた次の群れに遭遇する。この繰り返しだ。
確かに休憩はできるが消耗が激しい。短時間で済めば消耗は抑えられるが、長期戦ともなればスキルポイントを著しく消費することを避けるため、消極的かつ最低限の攻撃と防御で敵を殲滅する他、手段がなくなってくる。
ジリ貧という俺たちにとって最大の難所が訪れていた。それも幾度となく。
「鬱陶しいわね、こいつら………利達! 下がってなさい!」
「う、うん。ごめんね鏡花パイセン………ハァ、ハァ………」
乱戦続きになれば精神的な疲労も蓄積する。そうなると、特にスキルの応用で多彩な攻撃と防御パターンを有する利達がバテる。鏡花はそれ以上に疲れているはずだが、先輩として恥ずかしい背中を見せたくないのか、それとも彼女自身のプライドがそうさせたのか、利達を背に庇いつつ戦い続けた。
「立て迅! 根性見せろ! 初戦は守ってもらったんだ。今度は俺たちの番だぞ」
「………押忍! 京一の兄貴!」
スキル持ちとしては新参者の迅ではあるが、迅は元々多彩な応用ができるタイプではない。俺に近いところにいる。シンプルに殴りに行く方だ。根性論を常に振り翳し、常に前に立ってやれば、いくらでも応えようとする。タフネスさを売りにしているだけあって、何度もスキルでレベルを上げては敵に立ち向かう。
「しかし、後退を考えるべきかもしれませんね。これは正直、予想外です。私たちの認識が甘かった。埼玉ダンジョンを舐めていた他ないでしょう。龍弐、血路を開いてください!」
「しゃーねぇな。合点承知!」
幾度となく続く乱戦に、俺たちの陣営の限界を見た奏さんが、限界とするラインを定めた。
群れだろうが、モンスター相手に撤退を選択するのは初めてだ。俺ひとりであれば絶対に選ばない手段ではあるが、奏さんは終始冷静で、全員が助かる方法をすぐに見つけ出す。
群れのなかを龍弐さんが突っ切る。退路と称したが、なにも戻るだけが撤退ではない。正面突破が困難なら、戻ることより手薄な方向に逃げるのが安全だ。よって後ろ斜め右へと踵を返し、モンスターを斬り飛ばして通路を作る。
「京一くん、申し訳ないのですが殿を頼みます! 私はマリアちゃんと利達ちゃんを連れて先に行きます!」
「了解! 行ってください!」
龍弐さんが開いた道へ、矢を断続的に射る奏さんがさらに幅を広め、非戦闘員のマリアと、消耗した利達を連れて走っていく。
「京一! 来て!」
「京一の兄貴! もういいっす!」
マリアたちの後ろについた鏡花と迅が、俺が通れるだけの道を残そうと奮闘しながらゆっくりと撤退する。
ふたりが言うならなにも問題ない。俺はすぐ目の前にいたグレイウルフの顎を蹴り上げて、踵を返し───
「お、まっ………なにやってんだ!? 撤退するぞ!」
───そこにいた六衣に仰天してしまう。だから、先程からなぜかひとり足りないのではないかと不安に思っていたんだ。理由がこんなにも手近にいたなんて。
「ずっと………考えてたの」
「はぁっ?」
「なんでこんな無駄なことをするんだろうなぁって。モンスターちゃんを相手に、チマチマと………非効率だよね。こんなの」
「………お、お前………まさか………っ」
「みんなお友達だから我慢してたけど、もう限界。ねえ、京一ちゃん。私、もうやってもいいよね? スカッとしても、いいよね?」
いいわけあるか馬鹿野郎。と叫びたかった。
この状況でなんてことを考えてやがる。正気とは思えない。
「迅!!」
「うす!!」
「鏡花を抱えて、全力疾走!!」
「え?」
「行けぇッ!!」
迅自身、俺がなぜそんなことを叫んだのか理解できないだろう。
理解できたのは鏡花の方だ。迅には仲良くなってしまった手前、真実を教えるのは酷だという理由で、利達とともに伏せていた。
だが、俺の指示には従う舎弟は、一瞬の迷いを捨て、すぐに鏡花を肩にかかえる。
「こ、こら、迅! なにすんのよ! 降ろしなさい!!」
「申し訳ねぇっす鏡花の姐さん! お叱りはまた後で! 京一の兄貴、向こうで待ってるっす!」
迅は漢を見せた。
なにも聞かずとも俺を信じ、行動してくれる。頼もしい限りだ。
最後は………俺だ。
迅と鏡花が確保してくれた退路が狭まっていく。もう完全に通り抜けられるか定かではないだろうが、突破力には自信があった。
「おい六衣!」
「ふぇ?」
「逃げるぞ!」
「え………」
六衣の手を掴んで走り出す。仲間たちがいる退路の向こうへ。
「邪魔すんじゃねぇ!」
空いた片手でスキルを連発し、モンスターを駆除していく。もし逃げられたら、六衣に苦言を呈してやらなければ気が済まなかった。
「なんで、私を連れてってくれるの? 今まで、こんな子いなかった………」
「うるせぇ! 舌噛みたくなけりゃ黙って走れ! 俺は誰かを犠牲にして前に進みたくねぇだけだ! 例えお前みたいな、敵に囲まれてもふざけた寝言吐かすような馬鹿でも死なせねえ! 俺も死なねえ! 絶対に助けてやるから走れ!」
俺に群がるモンスターをとにかく取り除く。退路に入るも、やはり塞がっていた。すると上空から奏さんの援護射撃が降り注ぐ。俺が叫んだから位置と距離を割り出したのだろう。
だが今回の群れの規模は大きすぎた。
これじゃ名都を笑えない。八人中、七人もスキル持ちなのにこの様だ。
モンスターの壁が厚くなる。もう片手での対処は難しくなってきた。前後左右と飽和状態に陥る。
万事休すなどとは考えていない。グレイウルフに噛まれようが、俺は止まるつもりはない。
しかし、
「あっはぁ」
埼玉のバスターコールが、嗤う。
なんて声で笑うのだろう。
この世の悪意の煮凝りのような声が背後で炸裂すると、背筋が凍り付くようだった。
「死なせない、か。うん………京一ちゃんみたいな子は初めて。お友達だもんね。じゃ、その誓いを守ってね。絶対に死なないでね?」
「………は? お前………マジかよ」
振り返れば───新たな絶望が待ち受けていた。
六衣が全身をオレンジ色に光らせていたのだ。
「あなたがお友達でよかったぁ。幸せだよぉ、京一ちゃん」
「やめろ………やめろぉぉおおおおおおお!!」
シチュエーションからすれば、六衣の自爆を俺が涙ながらに止めるべく叫んでいるように見えるだろう。
でも違う。六衣の自爆に巻き込まれたくないから、俺はやめるように叫んで懇願したんだ。泣けるものなら泣きたかった。
いやはや参りました。また朝の更新ができなかったことをお詫び致します。予約したつもりができていませんでした………
これが六衣のスキルです。
そう。自爆。
わけわからないと思いますが、これが真実です。