第136話 忘れかけていた地震
集合思念体はゴーストと名付けられることになった。鏡花は大反対したが、代案を求められると適切な表現が思い浮かばず、結局は承認するしかなかった。
夜はチーム流星の護衛を受け持っていた最終日と同じようにふたり体制で見張りをする。集合思念体もダンジョンモンスターの一種と断定したが、珍しく夜行性だ。これまでは見張りをすることなく就寝していたが、埼玉ダンジョンに突入したとなると、もうそう呑気にことを構えられない。
見張り役の近くには、奏さんが購入した二十キロの塩が詰まった紙袋が備わっている。開封済みなので倒れないように気を付けなければならない。
しかし、あれだけの塩撒きで、俺たちがいる木の根は全面白化粧されたも同然。ちょっとやそっとの風では吹き飛ばない量だ。特別製の塩の陣よりもよっぽど役に立つ。
翌朝になるまで交代制で見張りを続け、朝になると全員起床し、食事を整える。素早くできるインスタント系をテキパキと調理し、昨日とは違って温かい食事にありつけた。
「昨日は不測の事態の連続でしたが、今日はなるべく進捗を優先したいと思います。迅くんと利達ちゃんが言うには、集合思念体はこの熊谷跡地で主に見かけたらしいので。大量購入できるほどの安価な品とはいえ、お塩も貴重な食材です。大切にしないと」
昨日はバズーカみたいな勢いで何キロもの塩をぶちまけていた奏さんが言うと笑えてくる。実際には笑えないけど。まだ死にたくない。
「賛成です!! もうあんなのに会いたくない!」
幽霊が大の苦手と判明した鏡花は、苦手な敵を回避できるならと、奏さんに賛同する。周囲を見渡して「反対する奴がいたら殺す」と言いたげな眼光を飛ばした。
実際、会敵してみてわかったが、俺だって集合思念体戦を得意とするわけではない。
いくら超絶レア素材、リビングメタルを群馬ダンジョンの高崎市跡地地下で入手し、見たことがないくらいの売却価格で潤いまくった蓄えがあるとはいえ、あんな戦い方をするのは割に合わない。勝ったとしても得られるものがないのでは、一方的に散財するだけだ。
「進路としてはどうするわけぇ?」
龍弐さんが尋ねた。
「とりあえず東松山へ行こうと思います」
「………関越道かぃ?」
「そのとおりです」
関越道───関越自動車道は、かつて俺と鏡花とマリアが実際に見て歩いた上越自動車道とも繋がりがある高速道路だ。
上越自動車道が片側二車線に対し、関越自動車道は東京から群馬の一定の場所に至るまで片側三車線という、横幅だけでも広大な高速道路として知られている。
俺たちが今いるこの熊谷跡地には、関越自動車道に迫れるルートがいくつか存在している。
東松山はインターチェンジがある町で、熊谷から自動車で移動するだけでもかなり時間を要するが、到着できればあとは埼玉を縦断するだけだ。狙いとしては悪くない。
「つっても、こっから先はさらに迷宮化してて、真っ直ぐ進めたもんじゃないっすよ」
「確か迅くんたちは、上野村から埼玉ダンジョンを上昇してきたのですね。ディーノフレスターから逃げる時、この近くを通ったのですか?」
「うん。太田ゲート目指して、とにかく駆け上がったんだ。この場所は集合思念体と特に遭遇してるから覚えてる。奏パイセンが持ってるジープで走れないほど植物が密集してるし、龍弐先輩が斬ってもすごいデコボコしてるから無理だし。歩いた方が早いにしても、やっぱり時間がかかるよねぇ」
やはり迅と利達がいてくれて助かった。送り出してくれた名都には、感謝しかない。
この右も左も植物だらけで、どう進むのか正解なのか明快には理解し得ないダンジョンで、情報は貴重だ。ここを通ったことがある迅と利達のジープ走行不能と、一直線では進めないのふたつさえあれば、対策はいくらか講じられる。
「………で、あれば。龍弐。ジャングルの浪漫を実行します。ちょっと実験してきてください」
「あいよぅ。楓先生もロマンチックなネーミングセンスしてるよねぇ。奏さんとどっこいどっこい」
「射殺しますよ?」
「いやぁん」
確かに奏さんのネーミングセンスは、お世辞にも抜群とは言えないし、どちらかといえばダサ………いや、やめておこう。顔に出る。そして俺の師たる楓先生も、やはり独特なセンスをしていた。
強弓を取り出した奏さんから逃げるように移動した龍弐さんは、手頃なケヤキの木を発見すると、垂直に駆け上がる。重力を無視したかのような疾走に、迅と利達が「すっげぇ」と歓声を上げた。
そしてよく目を凝らせば、このダンジョンの木々には蔦が絡まっていて、龍弐さんは鼻歌混じりですべて回収して束ねる。何重にも編み込んで強固なロープを作った。
「じゃ、行きまーす」
辛うじて姿を視認できるほどの高度から声がする。小さくて細いなにかが左右に揺れている辺り、手を振っているのだとわかった。
これがジャングルの浪漫。龍弐さんは「あぁぁぁあああぁぁあああ!」と奇声を上げて、ロープにしがみ付いたまま木から飛び降りる。
ロープにされた蔦は主に対面側の木から伸びていたため、ロープがピンと張りさえすれば、あとは振り子時計の要領で移動を可能にするだけ───
「なにっ!?」
俺たちは龍弐さんを見上げたまま、急に襲い掛かる振動に耐えるため、腰を落として半身となった。
倒れそうになったマリアは鏡花と迅に支えられる。俺と奏さんと利達は周囲を警戒。
最後に遠心力を味方にして、俺たちの頭上からターザンごっこで移動してきた龍弐さんが途中でロープを離し、俺たちの眼前で四肢を突いてブレーキをかけて止まった。
「これは普通の地震ではありませんね。………周囲を警戒! 龍弐、落下物があれば撤去!」
「あいよ。………みんなは動くなよ?」
揺れる大地に合わせて轟音が鳴り響くなかで、奏さんと龍弐さんの声がわずかに聞こえた。
幸い、地震が収まる頃には俺たちに被害は出ず。奏さんの点呼と、拠点に残った荷物の回収を急いで、今の現象の分析を開始した。
「今のって………アレですよね? 群馬ダンジョンで朝に聞こえた爆発音と、地震………」
「だね。チャナママの言ったとおり、ヤベェ奴がいるかもしれない。今の、明らかにこの奥が震源だ。自然発生じゃない。モンスターか………それとも人間か」
また体験するとは思ってもいなかった。いつから俺たちはここまで気を抜いてしまっていたのだろうかと悔やみつつ、気を引き締める。
元から俺たちは、今の爆発音と地震を調べる予定だったが、まさかこうも早期にお目にかかれそうだとは。これは幸先がいいと考えてもいいのだろうな。
俺がまだダンジョンに入る前から、不定期でダンジョンが揺れて地震となり、落下音が軽井沢郊外に響いていたものだ。落下音の原因はわかっている。埼玉ダンジョンの地表に降り積もった雪が、爆発音と地震で雪崩と化して四千メートル下にある群馬ダンジョンの地表へ降り注ぐ。いくつもの市にあった雪すべてが富士山以上の高さから落下すれば、ダンジョン近くにあった俺の故郷は、それはもう絶好の目覚ましとなり、毎回殺意を募らせたものだった。
そろそろ新キャラを出そうと思います。第1章から入念に伏線を張り巡らせていましたし、ここらでひとつ回収することにします。