第128話 太田ゲート
最初こそ涙が止まらなかったマリアだが、ワン郎とかいう柴犬に似た幼獣の温もりと、つぶらな瞳で精神が安定し、呼吸も落ち着き始める。
ワン郎は迅がテイムしたモンスターのなかでも、原種に似て利口だった。忠誠を誓った主が慕う者だと短時間で理解を示し、抱きしめられても嫌がらないし、威嚇するどころか泣いていたマリアに寄り添い、涙を拭うように顔を舐めていた。
しかし、落ち着いたからといってマリアの感情の嵐が去ることはなく。むしろここからが本番と言えた。
「マリア。どうしたのよ。さっきの………えっと。不気味は笑い方は」
「おかしいですね。鏡花さんには、私の配信の理念をはっきりとお伝えしてあったと思うのですが。もう忘れられてしまったとは。残念です」
「う………」
マリアとは思えない剣呑な眼光を、あろうことか鏡花に飛ばす。そして「皆殺し姫」なんていう物騒なコードに相応しいジェノサイドを可能とした鏡花が、珍しくマリアに物怖じした。
この変貌ぶり………覚えがある。そう。御影の本性を知ってから、こうなったんだ。
マリアは普段から気弱な性格をしているが、自分のなかのある一定の限界値が振り切れると、別人のように変貌する。つまりブチ切れた状態に近い。
そうなると誰にも止められない。俺だって、今のマリアにまともに目を合わせるのが怖くなる。
マリアの冷たい視線と空気に、抱かれたワン郎がキューンと鳴いて「助けて」と主人に訴える。しかし、上下関係を熟知している迅はまず動けない。
であるならば。多少卑怯と呼ばれようが、マリアをさらに落ち着けるためにやることはひとつ。
崩壊を阻止したなら、次は怒りを鎮めるセラピーだ。
「マリア」
「………はい?」
「ちょっと、ごめんな」
「な、なにするんですか京一さんっ。いきなり触るなんて失礼ですよ!?」
「ああ。だから悪い。先に謝っておく」
俺はマリアの目元をタオルで覆い、奏さんに目配せする。すると奏さんは逸早く察し、スクリーンからいつもの座布団を展開。縦に敷き詰めると、マリアを受け取って寝転ばせる。
「あ、や、やめっ………」
「大丈夫。なにも怖いことなんて、ありませんからね」
「あぅ………」
タオルで目元を覆ってからワン郎を奪うと、余程怖かったのか俺に縋りつく。案外可愛いもんだな。犬ってのも。
奏さんはマリアを押し倒すと、膝枕から耳かきへと瞬時にシフトチェンジ。あれに抗える者はいない。顎を撫でられたマリアは、すぐにトローンとしてしまう。
この前はフェアリーの誤作動で配信停止処分となったので、すでに龍弐さんが捕まえて回収済み。念には念を入れて麻袋のなかに突っ込んでおいた。
「動かないでくださいね。このお耳を気持ちよくしてあげますから」
「ひゃう」
「可愛いですね。マリアちゃん。さあ、なんであんなに怒っていたのか、聞かせてください。ゆっくりでいいですからね」
「………それは………ぁぁぁう」
本当は耳かきを受けながら常に喋らせるのは危険なのだろうが、奏さんが動きに合わせて先端をコントロールするだけだ。思ったことすべてを語らせるには丁度いい機会だろう。
「私は………」
───十五分が経過した頃だろうか。
奏さんは普段はやらない耳毛のカットや、耳道の泡洗浄など盛り沢山でマリアをもてなすと、やっとすべての思いを告げて、寝た。
その頃にはもう、誰もなにも言えなくなっていた。
「スピー………んん………」
可愛い寝顔をするマリアは、相当溜め込んでいたらしい。
不満は理不尽を告げる敵だけではなく、配信における俺たちの姿にも原因があった。
「………やり過ぎてしまったらしいですね」
「ちょいとこれは………俺も反省しなきゃだねぃ」
まぁ主な原因は、冒険と攻略を主題に切り替えたゆえ多少は許されるとはいえ、頻繁に暴力を振るってしまう奏さんと、奏さんにちょっかいを出して怒らせる龍弐さんにあったのだけど。
マリア自身、多少のスリリングな展開があっても呑み込む覚悟でいたが、ふたりの悪戯と報復が「いつもの」と呼ばれることが遺憾であったらしい。
こんなはずではなかったのに。と寝る前に呟いたのが、ふたりには相当効いていた。
マリアが目指すのはお茶の間に流れても、少年少女たちに夢と希望を与えられる配信だ。
それがいつの間にか、暴力と怒号のお子様ランチになってしまい、そしてそれが万人に受け入れられていること。雨宮からも「人気が出始めちゃったんだから仕方ないじゃない。暴力問題は看過できないけど、少しは目を瞑らないと」とまで言われてしまって、もうどうにもならないと。いや、いくら人気があるからって、そこは指導しろって話しだが。運営側も止めろよ。
こうなると俺たちも配信者のひとりなんだと思わせ───いや違う。俺は冒険者になりたいのであって、配信者になりたいわけではない。マリアのパーティに入った以上、配信の演者のひとりであるだけだ。
線引きを間違えてはならないが、俺たちのボスがマリアである以上、彼女の意見を殺して黙認させることはできない。
これからはマリアがそうであったように、俺たちも節度を守って我慢しなければならないようだ。
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翌日。
歩き通しのダンジョン探索も、やっと終わりを告げる時が来た。
「や、やっと………着きましたね」
顎から滴る汗を手の甲で拭うマリア。
その表情を、宙を漂うフェアリーがズームアップして撮影していた。
「………ん。これなら問題なく通れそうだぜぃ」
半開きの鉄門を確かめる龍弐さんがサムズアップを送る。
俺も鉄門に接近し、開きかけているそれを注目した。そこでとある点に気付き、手を伸ばす。
「擦り付けた痕と………若干、内側にへこんでる。………奴か」
「だね。あのクソ馬、ここを通り抜けやがったんだ」
俺の観察に、龍弐さんが首肯した。
全員の表情が強張る。迅と利達は思い出したくない過去を彷彿とさせていた。
ディーノフレスター。埼玉ダンジョンを攻略中だったチーム流星を執拗に狙った中型のダンジョンモンスターだ。だがその戦力はこれまで会敵したどの固体よりも強く。俺たちも全滅を覚悟して挑まなければならない強敵だった。
奴の全高は三メートルほどあり、横幅も半開きになっている鉄門のサイズにも合う。
「そっか。ディーノフレスターが強引に突破したから、閉じないのではなく、閉じることができないってことなのね」
鏡花は俺の隣に立って、鉄門の損傷を見た。
彼女の言うとおり、ディーノフレスターは音速で疾走し、ここを通過したと見て正解だ。
奴の攻撃力は凄まじい。鉄門程度では止められない。よって、もう二度と閉じることのないゲートへと変貌した。
変形しているのは鉄門自体ではなく、スライド式ゆえレールも持ち上がり、歪んでいた。
これが閉じることになるのは、造り替わるダンジョンが、新たな姿に変身した時だろう。それが明日か来週か来月か、来年か十年後かは誰にもわからない。
「さっさと入っちまおうぜぃ」
「そうですね。太田ゲートで足踏みをしている場合ではありませんし」
「はい。………それにしても珍しいですね。おふたりは普段から仲が良いけど、今日に限っては一度も喧嘩をしていませんし。距離感もありますし。どうしたんですか?」
マリアもなかなか鋭くなってきた。
悪戯と報復を回避するには、龍弐さんと奏さんが離れるしかない。
けど、いつものと呼ばれる一方的な断罪がないことを疑問視していた。
ブクマありがとうございます!
やっと太田市の終点です。
ここからが埼玉です。長かったんだか、短かったんだか。
でもダンジョンとはいえ、ずっと洞窟というのもマンネリ化しそうですし、なにか別の試みをしてみたいとも考えています。