第125話 傷と黒い衣装
その鈴の音の意味を、桑園は知っていた。
どこかで聞いたことがあったからだ。
政府が管轄する、抜粋した冒険者で編成した特殊部隊のことを。
関東ダンジョンが無法地帯にならないよう、犯罪者を取り締まる集団。
しかも、そのトップというのが「ニンジャ」という名前で恐れられている。課税を逃れるため、外国人のエージェントたちが違法改造したスクリーンを展開し、自国に素材を送る行為を絶対に許さない。そんな外国人たちが恐れて呼び始めたのだとか。
そしてそのニンジャが出現する際には、必ず鈴の音が鳴るという。
シャリン………
清らかな鈴の音は、ほぼ暗闇でしかない洞窟で鳴ると、不気味なものでしかない。本来ならそこで鳴るはずがないものが揺れれば、異物の存在を周囲に知らしめているようなものだ。
特に鈴の音が特殊集団のトップの所有物となれば、意味合いもさらに異なる。
「あ、は………ハッ、ハッ、ハッ………」
桑園は笑うことをやめた。
狂喜が去り、狂気が舞い込む。不可視なワイヤーで胸を締め付けられているような苦痛で表情が歪む。緊張で呼吸がままならなくなる。
まさにディーノフレスターに追われていた名都たちの再現だ。桑園は暗闇のなかで、どこから出でるのかさえわからない敵の存在に怯えることとなる。
あの時は複製した分身が名都たちを陥れ、自分は高みの見物をしていた。事前に調査をした結果、文字通り高い場所を発見したため、酒を片手に名都たちが何秒で強敵に殺されるのかを見物していたのだ。
それが目論見はすべて打破され、桑園の悪行を目の当たりにした生き証人を三十名も生き残らせてしまった。
絶対に許すまじと復讐の機会を作ろうとした結果がこれだ。
ディーノフレスターとは異なる次元の、避けられない死が迫っている。
「ま………待て。待ってくれ。あんたはニンジャって奴だな?」
シャリン───いよいよ鈴の音が近まる。気配はしないし姿さえ見えない。まるで鈴の音が応えであるかのよう。
「あんたと交渉したい! 俺のスキルは複製! 分身を作れるんだ。だからあんたが殺したくて仕方ない奴の分身を作って、気が済むまで殴らせたり殺したりしてもいい! なんなら、その分身を使って、そいつのいる環境を滅茶苦茶にすることだってできる! な、なぁ。俺、なにも悪いこと言ってないだろ? はは………そうさ。俺は悪くない。俺はまだなにも悪いことをしていないんだ! 悪いのは全部あいつらグビュエッ!?」
桑園は不可視な手で首を掴まれ、最後まで発言することを許されなかった。
ジタバタともがきながら拘束する腕を掻きむしる。
苦痛のなかであっても、驚きで満ちていた。
桑園の近くにいたのだ。それこそ呼吸がかかる距離に。
眼前にいたニンジャは黒装束で、目元以外のすべてを黒い衣で統一している。
「や、やめろぉ………あがぁっ!?」
ぶん投げられた桑園は壁に衝突し、咽ながらニンジャを見上げる。
「………なんだよ。お前まで俺が悪いって言いたいのかよ。何度も言わせんじゃねぇよ。俺は悪くねぇ。なぜなら、俺の言っていることがすべて正しいからだ。周りが無能だからいけないんだ。誰ひとりとして俺の理想を理解しようとしねぇ。ふざけんな………ふざけんなよっ」
喚き出す桑園は、ニンジャに命乞いをするでもなく、圧倒的な強者であると知りながらも反撃を試みた。
「お前もそうだ。俺を攻撃しやがって! 俺は絶対に正しいのに、こんな目に遭わせやがった! お前は間違ってる。なぜなら俺が正しいからだ!」
第三者が聞いていたら、まず呆れてなにも言えなくなる。
桑園は錯乱していた。興奮し、恐怖し、激昂し、そしていつもより過剰なほどの自身を漲らせ、ニンジャを指さす。
「俺のスキルは説明したはずだぜ? さっさと殺さなかったのが運の尽きってやつだ。自分自身に殺されやがれ!」
桑園は残りのポイントすべてを費やして、ニンジャを複製する。それも三人。
「行けぇ!!」
叫び過ぎて枯れた声で叫ぶ。号令を聞いた複製ニンジャが、素早く闇に溶けた。
対抗するニンジャは、じっと桑園を見ていた。そして右手をサッと薙ぐ。
次の瞬間、影のなかに潜んでいたはずのニンジャの分身たちが、一斉に切り刻まれた。
「………ワイヤートラップ………いつの間に!?」
最初に桑園が狼狽していた時に、闇に紛れてトラップを仕掛けていたのだろう。
右手の小指と親指にワイヤーが繋がっていて、指の動きに連動して獲物を切り裂く。
それさえわかればこっちのものと言いたいが………
「くっ………!」
桑園は仕掛けることができなかった。
ニンジャはまだ桑園を凝視しながら、わずかに小首を傾げる。「来ないのか?」と尋ねるように。
桑園はもう複製を作ることができない。元々、その日に使えるポイントはすでにわずかだったのだ。今のは予備、ないし非常用に残していた雀の涙程度のポイント。七割に近いポイントを、チーム流星に同行する自分の複製に与えた。二割強をディーノフレスターを標的がいるポイントに誘導するために消費した。
そして非常用のポイントを使ってしまった今の桑園は、もう成す術がなかった。
ニンジャがついに疾走する。
「やめ………く、来るなぁぁぁああああああ!!」
桑園は踵を返して走り出す。だが桑園とニンジャの総合レベルの差は歴然としていて、すぐに追いつかれた。
その末路は知っている。政府管轄特殊部隊のトップだ。違法冒険者を取り締まるなら、抵抗あらば殺人を許されていると聞いたことがある。
後頭部に重い一撃を与えられ、桑園はゴム毬のように地面と天井を交互にバウンド。顔をぐしゃぐしゃにされ、動かなくなった。
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「あ。お疲れーぃ」
「………あなた、本当に馬鹿ですね。怪我人が、なにをこんなところでふらついているんですっ!?」
半壊したチーム流星が休息している足利ゲートから離れた、とあるポイントにて。
薄暗いにしても互いの顔は見えるし、緑色の光源が幻想的な景色を作り出すのだが、壁に背中を預けて休憩していた龍弐を、通りすがった奏が咎める。
「いやぁ。散歩してたらさぁ、道に迷っちゃってさぁ」
「呆れた。あなた、本当にいい加減ですね」
「哨戒はどう? 終わった?」
「ええ。つつがなく」
奏が連れて帰ってくれると理解した龍弐は、犬ように擦り寄り、片手で突き放されてやっと隣に並んで歩き出す。
「あれぇ? ………珍しいじゃん。どったの? その腕ぇ」
「ああ………ちょっと引っ掻かれちゃいまして」
「へぇ。奏さんに傷を負わせるなんて大したモンスターもいたもんだ」
龍弐は奏の負傷を逸早く発見した。右腕に巻かれた包帯を凝視している。
「あなたこそ、なんです? その腰に巻いた趣味の悪い黒い衣服は」
「ああ。これぇ? 途中で厄介なモンスターに会っちゃってさぁ。隠れるために隠蔽率を高くできる服を着てたんだぁ。お陰でやり過ごせたよ」
「馬鹿ですね。病み上がりの分際で無茶をするからです」
「あっひゃっひゃ。こんなの掠り傷だよぉ。………なんなら、あのクソ馬ぶっ殺すためにリターンマッチだっていけるぜ?」
龍弐の口調が変わり、剣呑な光を帯びる。「おやめなさい」と小突かれるまで、それが続いた。
「ともかく、戻りますよ? そろそろチーム流星とお別れしなければ」
「んで、埼玉ダンジョンに突入するわけだぁ。楽しみだねぇ」
奏はスクリーンからカーディガンを取り出して羽織り、傷を隠す。逆に龍弐は、腰に巻いたロングコートのような黒い衣服をスクリーンに収納した。
そしてふたりは歩き出す。ともに見られたくないものを隠しながら。
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意味ありげな終わり方にしてみました。これはずっと前から温めてきました。
さて、どっちだと思いますか?
次回がエピローグで………申し訳ありません。リアル引っ越しが忙しくて一日潰れるかもしれません。
夜に更新できなければ、翌日の朝に必ず更新します。さらに翌日も荷ほどきで忙しく………いえ、それでも最大限の努力をします。なるべく今日の夜も更新できるように! 応援よろしくお願いします!