第124話 兄貴
あの反骨精神の塊みたいな迅の奇妙な行動に、俺はつい目を見張る。鏡花も怒りを収め、呆然と迅のつむじを凝視していた。座っていた俺たちに頭頂部を晒すほど、迅は深々と頭を下げていた。
ところが、俺たち自身、迅にここまで深く謝罪されるようなことはされていない。
迅はかなり大声を張り上げたので、チーム流星にも聞こえている。が、名都は迅を見ているだけで止めようとしていない。名都公認の謝罪となると、いよいよ見当もつかない。
「お、落ち着いてください迅くん。いったい、なにがあったんですか?」
マリアはおっかなびっくりしながら、迅に頭を上げさせた。
顔を上げた迅の表情は真剣そのもので、俺はいつもの軽口を呑み込んで、続きを真剣に聞いてやることにした。
「いや、止めないでくれ………いや、くだ、さい。マリア………さん」
「へ?」
マリアは目を丸くする。
俺たちもそうだ。迅はいきなり敬語を使い、マリアをさん付けで呼ぶとは予想すらしていなかった。
迅本人も自覚があるのか、敬語や丁寧語というのはこれまで埒外なジャンルだったらしく、使ってみると驚くくらいスムーズに口にできず、それが苛立ちの原因を作っていた。
ここまでひとが変わったように接するにはある程度の理由───もしかしたら。
「迅」
「は、はい」
「チーム流星には兄貴の他に年上の先輩みたいなのがいるだろ? 構うことはねぇから、そいつに接するみたいに話してみな」
「いいんす、あ、いや。いいん、ですか?」
「いいぜ」
「………了解っす。い、いや………マジでダメだ。俺、こういうの向いてないっす」
「気にすんな。俺は気にしてねぇ」
俺が許可をくれてやると、これまで極限の緊張をしているようだった迅が、砕けた笑顔になる。こうなるともう、また誰なのかわからなくなる。マリアは迅と俺を交互に見比べた。
「ど、どういうことですか?」
「こいつなりに、ケジメつけに来たんだろ? 聞いてやろうぜ」
そういえば、最近ではあるが、迅の妹の利達にも先輩と呼ばれたこともあり、年下の面倒見というのも意識してきたような感じがする。迅もその枠内にいると考えると、俺よりも身長が高くてがたいがよくても、可愛く思えるもんなんだな。
「うっす。………俺、みんなチビだから勘違い………」
「あ゛?」
「うっ………えと、身長が低いから………」
「ぁあ゛?」
「か、勘違いしてて………」
チビというワードに切れる鏡花。幼児が見たら心臓が停止しかねない凶悪なガンを飛ばす。迅でさえビビリ散らかす威容を放った。
「みんな、一個上だったんすね。だから、舐めた口利いてすんませんっしたァッ!」
また叫んで頭を下げる。
この謝罪が迅なりの詫びであり、ケジメだろう。
悪くない。元々、そんなに気にしていなかったし、俺自身、迅が年下だなんてステータスを見るまで知らなかったし。
マリアに目配せして、許してやることにした。鏡花を見ると「絶対許さねえ」と言いかねないので無視をする。
「ああ、いいぜ。許す」
「お互い知らなかったことですもん。仕方ありませんよ」
「ざっす! ………あと、それと………お礼を」
「なんだ?」
「俺のこと、信じてくれて。あんなの初めてで。それに俺がスキル持ってたって気付いたの、京一兄貴のお陰っすから」
お、おおぅ。先輩の次は兄貴か。
………悪かねえな。すごく、いい。
だが、スキル関連で思い出した鏡花が、修羅を維持したまま、強行に出る。
「あんたテイマーなのね。出しなさい。………契約したモンスター」
「あ、うっす。それくらいなら。どうぞ、鏡花姐さん」
「あ、ばっ………馬鹿やめろ!」
「え? ………あ」
迅は自分が契約した三匹をオブジェクト化して召喚する。モンスターとはいえ、人間を害悪せず、疑うことを知らない愛らしい幼獣が「ぴゃあ」と鳴いて俺たちを見上げる。
「わぁ、可愛い。鳥さんとワンちゃんと猫ちゃ………あ」
マリアは幼獣にメロメロになり、しゃがんで近くで見下ろし、刹那───迅とともに最大に警戒すべき狂人を思い出す。
「ジュルリ………」
涎を呑む音がする。
それはまごうことなく、猫キチがバーサーカーと化す瞬間。合図を意味していた。
迅が猫を抱きかかえる。マリアは鳥と犬を抱えて遠ざけ、俺は右腕が痛いとか言っていられず、煮立った鍋をひっくり返した鏡花を真正面から押さえつけるべく立ち塞がる。
「ネ゛コ゛チ゛ャ゛ン゛ッッッ!!」
ほらやっぱり。こうなった。
俺はあれだけ、鏡花に猫だけは見せるなと忠告したのに。
年上の命令は絶対。という後輩信念丸出しの迅の粗相が、鏡花の心に巣食うバケモノを呼び覚ます。
「ネ゛コ゛チ゛ャ゛ン゛ネ゛コ゛チ゛ャ゛ン゛ネ゛コ゛チ゛ャ゛ン゛ネ゛コ゛チ゛ャ゛ン゛ネ゛コ゛チ゛ャ゛ン゛ネ゛コ゛チ゛ャ゛ン゛ネ゛コ゛チ゛ャ゛ン゛ネ゛コ゛チ゛ャ゛ン゛ネ゛コ゛チ゛ャ゛ン゛ネ゛コ゛チ゛ャ゛ン゛ネ゛コ゛チ゛ャ゛ン゛ネ゛コ゛チ゛ャ゛ン゛ネ゛コ゛チ゛ャ゛ン゛ネ゛コ゛チ゛ャ゛ン゛ネ゛コ゛チ゛ャ゛ン゛ネ゛コ゛チ゛ャ゛ン゛ネ゛コ゛チ゛ャ゛ン゛ネ゛コ゛チ゛ャ゛ン゛ネ゛コ゛チ゛ャ゛ン゛ネ゛コ゛チ゛ャ゛ン゛ネ゛コ゛チ゛ャ゛ン゛ネ゛コ゛チ゛ャ゛ン゛ネ゛コ゛チ゛ャ゛ン゛ネ゛コ゛チ゛ャ゛ン゛ネ゛コ゛チ゛ャ゛ン゛ネ゛コ゛チ゛ャ゛ン゛ネ゛コ゛チ゛ャ゛ン゛」
「うぉ………!? こいつ、なんて力して………逃げろ迅!! 殺されるぞ!!」
「う、うっす!!」
壊れた鏡花を両手で阻止するも止まらない。
俺が両手で両腕を掴んでも、大好物な猫を見てバケモノを励起された鏡花は、逃げる迅を追うべく推進する。
もうこうなったら仕方ない。全身で受け止めた。
すると胸に広がる、あの感触───でけぇ。潰されてもなおそこにある存在感。
意図せずとも約束を守った鏡花。もし我に戻ってこれに気付けば、殴られるだけで済むだろうか。
場が壊れた鏡花の暴走で騒然となる。俺を押して進む鏡花の狂戦士ぶりに、名都でさえ慄然としていた。
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「あ、はは………ははははははははっ」
桐生市跡地の地下にて。
ひとりの男の、壊れた哄笑だけが暗がりに響き渡る。
その男の名は───桑園誠という。元チーム流星の参謀で、つい数十分前に愛したチームを除名処分、あるいは脱走したばかりだった。
この男、他人から見ればすでに壊れているとしか言いようがないくらい、正気を失っていた。
元から人間が人間たりえるに必要な部分の一部を損失しているようなものだ。両親からの過剰な愛で歪んだ性格もあり、自分の思い通りにならなければ憤慨し、意見したものを殺してしまうほどだった。
桑園は桑園なりに、チーム流星を愛していた。団長の名都の優秀な頭脳に惹かれ、共にチームと栄光の発展を目指して進んだが、それは所詮桑園の野望の一端でしかなかった。桑園は自分にすべて都合のいい国を作りたがっていて、覚醒したスキルを用いて裏で陰謀を企てた。
しかしディーノフレスターを利用した壊滅作戦を決行しても自分の思い通りにならず、結局はチーム全員を抹殺するしかないと判断した。この事態に、桑園は悔しさと喜びを噛みしめて笑いながら逃亡した。
「死ね。死んでしまえ! 俺の言うことをきかないからこうなるんだ! 思い知ったか、あのグズともめ! あーあ。名都も後悔しているだろうなぁ。俺に従っていれば新王国のトップでいれたのに。お飾りだけど。ププッ。………はぁ。まぁ、面倒だけど仕方ないか。また探さないとなぁ。お飾りの王を」
桑園は誰にも見つからないよう暗がりを選んで進む。凶悪極まりない、他人を道具としか思っていない作戦を練りながら。
しかし、ふと足を止める。
シャリン───と鈴の音が鳴ったからだ。
ブクマ、評価ありがとうございます!
あと二話で第二章も終わります。そんなタイミングで、狙ったように訪れるリアル引っ越し。明日、朝は更新できそうですが、夜に更新できなかったらすみません!