第121話 どっちが上か
おそらくチャンスは一度。
ディーノフレスターの知能は計り知れない。俺のアンブッシュを二度許すとは思えない。
なにもかも失敗が許されない。強引に捻出するチャンスを確実にものにする必要がある。
集中力を高める。
例え、接近できたとしても勝負を決する時間は一秒以下。
龍弐さんと同じことができるとは思えないが、だとしてもやるしかない。
「奏さん。構えるのは正面で」
「私の目では視認できずとも、気配を追うことくらいならできますよ?」
「それじゃ気付かれる。奇襲するしかないんです」
「………わかりました」
俺たちではディーノフレスターとまともにやったって勝てるかどうかわからない以上、奇襲にすべてを賭けるしかない。
奏さんは無言となってストリングスを引く。限界まで。
縦横無尽に駆け回る馬の気配は、少しくらいなら俺も追える。
正面と言ったのは理由がある。
なにも的中させる必要はない。少しだけでも気を引ければ、それでいい。
無音のなかに人間とモンスターの呼吸と、衝突音と、水が弾ける音が連続する。
無駄なものに囚われる必要はない。消去法を使って、タイミングに必要なものだけに意識を向けた。
熱だ。音でも姿でもない。視覚に頼れないなら、第六感を働かせて追うしかない。
尋常でない運動を続けるひとりと一匹は、体温の上昇も凄まじくなっている。やっとわかってきた。接近するかしないか。
俺は腰を落とすと、陸上競技などでよく見るクラウチングスタートのように足だけでなく両手も地面に設置させた。鏡花は俺に合わせ、手を下げて背中に触れ続ける。
マリアは固唾を呑んで見守っていた。これから始まる音速に等しい領域の勝負に、危機感だけを募らせて。
「───今だっ!!」
「ッ!!」
奏さんは俺の咆哮にコンマ一秒も遅れることなく矢を射る。
前方十メートル先はなにもないが、熱源の移動に合わせて的確な速度で推進する。
数秒もせずに鏡花も理解した。俺がなにを言うまでもなく、スキルを使って龍弐さんと俺を置換する。
矢はディーノフレスターの鼻先を掠めた。
超前傾姿勢で疾走する巨大な馬は、推進力を殺すことができず、顔だけを上げて、少しだけ歩調を遅らせ───眼前にいたはずの敵が、急に入れ替わったことに笑みを消した。
「よう、クソ馬野郎。そろそろその気持ちの悪い笑みを消しやがれ!」
超絶な加速をするディーノフレスターは、まるで高速道路を法定速度の十倍は超過したトラックのように思えた。
軽く接触しただけで死にかけない。だがやるしかない。俺もクラウチングスタート姿勢から、初速から全快で飛び出す。
手を伸ばす。ディーノフレスターは驚愕から覚めて喜悦を浮かべ、伸ばした右腕へ開いた口を向けた。
速い。俺の予想以上だ。すでに指先が奴の口のなか。
いや、構うことはない。
やってやる。こいつは人間を殺し過ぎた。人間を餌としか思っていない。
モンスターの分際で、俺まで食べ物としか思っていない───ふざけやがって。
こいつには罰を与える。
どっちが上なのか、はっきりと教えてやる。
「イビッ」
ディーノフレスターが、鳴く。
次の瞬間、俺とディーノフレスターは異なる方向へぶっ飛んだ。
どちらかといえば、俺が撥ねられた。以前、軽井沢で軽トラックと正面衝突したことがあるが、あの倍の衝撃で宙を舞う。
しかしその代償を払っただけの価値はあった。
「な、なんだと!?」
名都が叫ぶ。
そういえばこいつら、ディーノフレスターと交戦しても犠牲者を出すだけでダメージを与えられなかったとか言ってたか。
じゃあ、龍弐さんの次の功労者になったわけだな。俺は。
ディーノフレスターは疾走速度を緩めることができず、横倒しになって地面を滑る。やがて全身で衝撃を緩和したのか、起き上がった。その頃に俺も地面に落下。受け身を取ろうと背を向けるも、頑丈ななにかに受け止められた。
「………ナイスキャッチィ」
「す、すげぇな。お前………」
まだスキルを維持している迅が俺が落下するポイントに急行してくれた。
降ろしてもらい、俺を注視するようになったディーノフレスターを睨み返す。
結果、笑みを浮かべたのは俺の方だった。
奇襲───成功。
ざまぁみやがれ。俺を餌としか見てないからだ。
「あ、あのディーノフレスターの顎………どうなってんだ!?」
「外れているように見えるが………いや、歪んでいる?」
利達と名都が驚嘆する。
まぁ、そのとおり。
俺を食おうとしやがったディーノフレスターの弱点を探したが、超絶加速の真っただ中であるあいつの体に、簡単に傷を付けられるとは思えない。龍弐さんの日本刀が歪むほどだ。加速で強張った筋肉が刃を弾いたのだろう。
だとすれば俺のスキルの効力が半減する可能性もある。
ゆえに選んだ秘策。
それはディーノフレスターの体内を狙うことだった。
いかほどの強固な装甲を鎧うモンスターだろうと、装甲の内部は驚くほど柔らかい場合がある。
俺が探し当てた柔らかい部分こそ口腔だ。
調子に乗って口を開くディーノフレスターに、むしろ俺の方から腕をくれてやった。
長い口腔にスルリと忍び込む俺の手が、舌の根元に触れた瞬間スキルを発動。狙うは無防備な顎骨。
五指の先端が骨に触れていればあとは簡単だ。
片方の顎骨をスキルで折り畳む。本来なら曲がるはずのない方に。
それによってディーノフレスターの顎は、もう閉じることはなくなった。過剰なほど開いた口はダランと垂れ下がり、不気味かつ不愉快な笑みを浮かべることもできない。右側面の顎の付け根が壊れ、頬が裂け、激しく血を吐いていた。
「ング………アォ………イン、ゲン………クフ………クヘ、ハイ………」
「………あ?」
「イン、ゲン………ハベ………ハハゥ………フベペ………」
ディーノフレスターは顎が破壊されてもなお、鳴くことをやめようとしない。むしろ会敵した時よりも、より鳴いている。
顎が閉じなくなった痛みに嘆いている?
違う。口元で笑えずとも、目元が怪しく笑っている。
鳴く………なぜか、それも違う気がする。
本当に根拠がないし、空耳なのかもしれない。それでも俺には、こう聞こえた。
「あの人間、食う。食べたい。人間、食べ、学ぶ。すべて………」
「キョーちゃんにもそう聞こえた?」
「はい。………龍弐さん。下がっていいですよ。あいつは俺が始末するんで」
「馬鹿言ってんじゃねぇよ。怪我してんのはお互いさまだ」
ディーノフレスターが人間を捕食する理由を、空耳で知るというのは馬鹿げているが、俺にはそう聞こえてならない。実際に口にしてみると、鏡花の置換で俺と入れ替わり、短い休息を終えた龍弐さんが、マリアが取り出したありったけの回復薬を飲みながら共感を示した。
やはり、あれだけの速度で走り、何百回と衝突を繰り返したのだろう。初撃で傷だらけになった龍弐さんだが、今はもっと酷い。ジャケットやズボンが血塗れだ。それでも本人は痛みを無視して立ち上がる。最早気力だけで体を動かしているようなものだった。
それに比べ、ディーノフレスターに決定打を与えた俺が無傷───というわけにはいかなかった。
右腕の肘が抉れていた。
俺は奴の顎を破壊したが、代わりに噛まれた肘が壊されかけた。もしコンマ一秒でも遅れていれば、今頃俺の右腕はあいつの腹のなかだっただろう。
やべぇモンスターは大好きです。さて、でもそろそろ決着にしなければ。第三章もドッキドキの展開にしたいとは思いますが、ギャグ要素も欲しいところです。
大変恐縮ですが、作者のモチベに直結しますので、ブクマ、評価、感想で応援をいただけると嬉しいです!
きっとまた筆が加速することでしょう!