第119話 ディーノフレスター
蹄が鳴った。
そして、今度こそゾッとするような恐怖が俺たちを襲った。
来た。来やがった。名都たちを埼玉ダンジョンから執拗に追っていた、あのモンスターが。
名都たちチーム流星の面々は青ざめて展開する。固まっていては一気にやられる。それを知っていた。
一方で俺たちはといえば、初見ではないが、全貌を目の当たりにするのが初めてだったためか、あの凶悪な悪意を発する根源を凝視してしまった。
一言で体格を言い表すなら、やはり蹄の音のとおり馬なのだろう。
だが俺たちが知っている馬とは、異なる形状が点在し、その外見が異様な空気を作り出している。
八割以上は馬であることは間違いないが、キリンのように長い首の先にある頭部が、馬と人間を融合させたような形状をしているのだ。そしてあの大きな口。まるで開けば人間をひと呑みにしてしまえそうなサイズ。
この不気味かつ嫌な空気は間違いなく、このクソモンスこと───ディーノフレスターが作り出している。距離にして三十メートル先にいるが、大きく見開かれた赤い瞳が煌々と薄暗い空間で輝き、開かれた口はにわかに笑みを浮かべて見えた。
そんな笑みを見た瞬間だった。
ゾッとしたどころではない。全細胞が訴えた。「逃げろ」と「構えろ」を同時に。
俺はこれまで、何度もモンスターと交戦した。九メートルを超えるスティンガーブルや、二十メートル級のサキガニまで。そんなモンスターたちは、一応強敵というカテゴリーに入るのだろうが、最後には俺のスキルの前ではやはり無力化してしまい、こんなものかと諦めていた。
だがディーノフレスターは違う。
どのモンスターと戦っても勝利するビジョンは見えた。だがあいつからは見えない。
別格なのだ。スティンガーブルの幼獣くらいしかない体格ではあるが、例えスティンガーブルの成獣が群れ単位であいつを襲ったとしても無傷で蹂躙してしまうくらいに。
「テメェ………呼びやがったな? あのふざけたモンスターを」
「ああ。呼んださ。本来なら俺が気に入らない連中を裏切者に仕立て上げ、そいつらを切り離してディーノフレスターに食わせるつもりだったのに………けど、思わぬ誤算が生じたなら仕方ない。予定変更だ。みんな、あいつに食われて死んでしまえ」
桑園はこの期に及んで破滅を叫ぶ。
実に鬱陶しい限りだ。顔を踏んで黙らせようにも、靴底で鼻を潰されようと決して嗤うのをやめようとはしなかった。
この余裕はなんだ。考えられる可能性はふたつ。いや、ひとつだ。
なぜ桑園はディーノフレスターを呼んで───いや、違うな。誘導したんだ。ここまで。たったひとりで。今朝は新出を騙し、あたかも同族であるような音を出して呼び寄せ、犠牲にした。
しかしここに来るまで、風呂桶をぶつけたような音は鳴らなかった。なにか別の誘導方法………ああ、そういうことか。きっとこいつにしかできない。
「ひ………ひっ………」
かつてない異様な空気に当てられたマリアがひきつけを起こしかける。避けられない絶対的な、それも惨いほどの死を明確にイメージしてしまった。
誰もなにも言わない。鏡花も、奏さんも。異常に収縮する回数を増した心臓をどうにか制御し、緊張で荒げた呼吸を整えようとする俺は、拳を握り、前に出ようとした。
が、ただひとり。俺よりも前に出た者がいた。
「………いいか。動くなよ? 動いたら死ぬと思え」
低く唸る龍弐さん。最初から全力を出すため、享楽的な性格を消して、冷酷な面を表に出す。
本来の装備である二振りの日本刀を交差させ、無謀か、あるいは果敢にか、ディーノフレスターへの要撃を試みる。
すると、ディーノフレスターはにちゃと歪んだ笑みを───
一陣の風が吹き抜けた。
「………チッ」
「龍弐ッ!!」
奏さんが悲鳴を上げる。
舌打ちした龍弐さんが振り向いた。
全身に傷を作っていた。左腕の日本刀は途中から折れ曲がっている。
「硬いじゃねぇか」
「ま、待っててください! 今、治療を」
「やめておこう。回復してる暇なんかない。それよりも今は、自分の身を守ることを考えるんだ」
回復を申し出たマリアを視線で制する龍弐さん。奏さんに悪戯を仕掛ける時のおちゃらけた表情はどこにもなかった。
「………名都。悪い。守れなかった」
「なんだと!? あ………ぁっ!! 木戸ぉぉおお!!」
手数が増えたことで攻防の比率が上がったようで、筋肉を噛み千切られはしなかったが、軽傷ではない。龍弐さんはそれでもまだ戦うつもりで、後ろへ歩く。途中で名都に被害報告を出した。
報告を受けた名都が、絶望した。
龍弐さんとの攻防を経て、俺たちの間をすり抜けるようにして走ったディーノフレスターは、途中で餌を捕えていた。まさに一瞬の出来事だった。
木戸は確か、最後尾にいたディフェンスを担当する二十歳の男だ。敏捷は低いが防御力があった。が、それでもディーノフレスターには通用しなかった。
「あ、が………な、つさ………た、すけ………」
一瞬で掻っ攫われた木戸は、ディーノフレスターに押し倒され、うつ伏せになったところを右前脚で背中を踏まれ、肺を圧迫されて呼吸を止められている。
ディーノフレスターは長い首を動かして木戸の頭部に噛み付いていた。肉食獣の鋭い牙ではない。草食動物を思わせる、平坦に並んだ人間の小指ほどある歯が、両側面から木戸の頭部を圧迫していた。
「い、いだい! 痛い痛い痛い!! いや、いやだ! やめ、あぎゅ、じに………じにだ、ぐない………名都ざ、だ、だずげピャギュッ」
それが木戸の断末魔となった。
赤い果実が弾けるように、木戸の眼球が弾け飛ぶ。ふたつの球体がコロコロと転がって、名都たちの足元で停止した。
ジュギュッ、ピチュッ───ディーノフレスターの口腔で、柔らかいものと硬いものが混じり合い、咀嚼される音が嫌に響く。
食いやがった。
人間の頭部を。
そういえば、最初に会敵した際、犠牲になったうちのひとりも、左頭部を欠損していた。
ディーノフレスターは咀嚼を終えて嚥下し、真っ赤に染まった口元から牙を覗かせる。
「ィヒ」
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああ!!」
不気味な笑みが浮かんだ時、ついにチーム流星の面々がこれまで溜め込んできたものが爆発する。
怒り、憎しみなどではない。
恐怖。純然たる死。
仲間がそうなったように、今度は自分が殺される。四肢が震え、失禁し、感情のあるままに叫んだ。
その叫びは連鎖する。ダムの決壊のように。名都の統制はすでに働いていない。
「この腐れ馬が………今度こそ殺してやるッ!!」
左手の刀を右の刀身で軽く小突くと、形状が元通りになったのを確認する前に龍弐さんが躍り出た。
すると、ディーノフレスターは前足を上げて、龍弐さんの肉薄を受け入れた。
次の瞬間、龍弐さんのスキル、加速が発動。ひとりと一匹の姿が消える。
「………桑園」
「は、い?」
俺はすでに桑園から足を退けていた。ディーノフレスターの接近に合わせて蹴った。
桑園は、右脇腹を抉られ、今にも絶命しかけていた。
けれども、それでも笑うことをやめなかった。
評価ありがとうございます!
いかがでしょう。第二章にして、まだ最初のダンジョンなのに高レベルなモンスターを出してしまいました。このクソモンス、なにがヤバイって人間の攻撃が当たらないし、好物が人間の脳とか………
急にホラーチックに変更してみました。