第103話 人語を使うモンスター
暗闇に等しい空間で身動ぎするそれは、二メートルほどの体をやっと起こして、四肢を立てる。
バチャッと蹄が水を弾き飛ばした。
それはただの水ではない。血が混じっていた。
咽かえるような血臭が充満し、臭いの元は血のりととともに、桐生市跡地地下の広大な空間へと流出する。
「タリ、ナイ………ニク………」
男でも女でもない声が漏れる。
暗闇のなかで対となる血の色をした双眸が、ギョロギョロと動く。人間の眼球の五倍の大きさがあった。
すると、水に漂う血の匂いを嗅ぎつけた魚人が、ザバッと水をかき分けて現れ───次の瞬間には頭部を失った。
「タリ、ナイ」
バリバリと咀嚼する。距離にして十メートル。それは一歩も動くことなく魚人を食い殺した。
やっと一歩を踏み出す。グチュッと音を立てて肉が潰れた。
足元にあるのは十を超える魚人の死骸。釣りをするかのように血の匂いでおびき寄せては食い殺した。
「ォォォォォ………ァァァァァィィイイイ」
声にならない声が喉から漏れる。
そして、それ───人間からディーノフレスターと呼ばれ恐れられるモンスターは、数日振りに広大な空間へと躍り出る。
カポーンと蹄が鳴った。反応は無い。
ディーノフレスターは長い首を動かして周囲を見渡す。
「タベル………ニン、ゲン………タベ………」
ゆっくりと歩き出す。その度にカポーン、カポーンと蹄が鳴った。
微速ではあったが、その方向は確実に人間が移動した先───足利ゲート方面へと向いていた。
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「結果から言うと、新出とかいう奴が怪しいとか。利達が言ってました」
「その情報提供のお礼に一緒にショートケーキを食べていたと?」
「………はい」
「そうですか。それはそれは。私に内緒で食べるケーキは、とてもおいしかったでしょうねぇ?」
「………済みませんでした」
四日目早朝。
ミーティングはこの五人で行うため、俺たちはチーム流星から少し離れた場所にいて、俺は奏さんにより正座を強要されていた。
理由は会話にあるとおり、昨日の利達へのお礼がリークされた。物陰から見ていた龍弐さんによって。
「まぁまぁ、いいじゃない。ケーキなんてさぁ。俺らならいつでも食べられるんだしさぁ?」
「お黙んなさいっ! 問題は私たちに黙って食べたことではありません。あろうことか、西京都の有名ホテルの最高級レストランで限定発売されていたケーキを偶然入手したことです! なぜあなたは、人数分確保できるチャンスを逃して、利達ちゃんと自分だけの分しか購入してないんですか!? 馬鹿なんですか!? ここで死にたいんですか!?」
リビングメタルで作られた強弓でグリグリと頬を捻じられる。ここで言い訳をすれば、分裂したり曲がったり爆発したりする矢の餌食だ。謝るしかない。
奏さんの大好物は甘いもの全般だ。和菓子、洋菓子と隔てなく愛している。
幼少期の頃に砂糖を舐めた時の感動を今でも忘れられないらしく、軽井沢郊外にいた頃は、自分へのご褒美と称して甘いものを購入しては完食し、龍弐さんにからかわれては半殺しにしていた。
記憶に新しいのは、半年前に訓練終了の報告をしに彼女の部屋に入った際、西京都の業務用スーパーで購入したらしい、お徳用の特大サイズのあんこチューブを両手で抱えてチューチューしていたのを見た時はビビッた。足元には業務用を通り越して、工場なんかで使うカスタードクリームが詰まった袋が転がっていた。ビニール製の袋には十キロと記載されていた。そんなものを吸って我欲を満たしていたのだ。
もちろん高級菓子にも目がなく、いつもチェックしていた在庫を、昨日俺が偶然手にして完食してしまった件についてブチ切れていた。いや知らんがな。
この日のミーティングは、各々が集めた情報を共有すること。
とはいえ、このなかで俺以上にチーム流星の事情に詳しい者と交友関係を築けた者はおらず、利達から得た新出という少年への懸念の他には大したものが出なかった。
「みどり市ももう終わって、再び桐生市跡に入ります。おそらく、今日が情報を掴む最後の日。頑張ってなにか掴みましょう」
「でもね、マリア。あなたはもうちょっと休んでからにしなさい」
「え? なんでですか?」
張り切るマリアの状態を危惧した鏡花が釘を刺す。鏡花が言わなければ俺が言うつもりだった。
「その目。徹夜したでしょ?」
「えっと………でも、少しは寝ましたよ?」
「何時間?」
「………二時間は」
「ダメ。テントに戻って。ギリギリで起こしてあげるから」
マリアは明らかに寝不足だった。
鏡花は渋るマリアを強引にテントまで引っ張っていく。
「大分きてるねぇ。マリアちゃん」
「自分にできることを精一杯やる子ですからね。でもあれはやり過ぎです。京一くん。途中でマリアちゃんが体調不良になるようだったら、おぶってあげてください。警戒は私たちでやります」
「わかりました」
俺たちはマリアが寝不足になるまで睡眠時間を削った理由を知っている。
マリアは配信する権限を事務所から取り上げられた。フェアリーという全自動カメラの誤作動で、配信してはいけない顔を全国のお茶の間に届けてしまったことで罰をくらった。
だが新人にして大人気たるマリアから全権を奪うのは事務所的にも痛手をくらう。そこで五日間の配信停止処分を出した。奇しくもチーム流星の護衛期日と重なる。
マリアは配信者でなくとも、桑園からの依頼に取り組むべくカメラを回した。オフラインにして、情報だけを蓄積。就寝時間となると、通信制の高校の授業に取り組み、終わればその日の映像を何度もチェックして、桑園の言う裏切者を特定しようと努力した。
結果が伴わなくとも、これで三日目だ。あれだけチーム流星の体調を気遣う発言をしていた立場のくせに、自分が疲れ果てて倒れてしまっては護衛者として示しがつかない。
「五反さんの体調が芳しくないようですが………いかがされましたか?」
たまらず、俺たちは嘆息しそうになった。
マリアの心労の元凶が、しれっと声をかけて来やがった。それでいて、自分ではどうせ悪気はないとでも考えているんだろうな。そんな口調だった。
「気にすることはねぇよ。いつもこんな感じだ」
殴りたくなる手を押さえつけて、桑園を振り返る。
「そうですか。して………なにか掴めましたか?」
確証もないくせに裏切者の調査を依頼した分際で、四日目早朝とかいう中途半端な時期に中途報告を求めに来やがった。餌をねだりに来やがったハトやカラスの方が礼儀を弁えているとさえ思えて、辟易してくる。
「今はなにも」
ビジネススマイルで奏さんが対応する。
「ところで、桑園さんには新出智也くんというお弟子さんがいるそうですね」
「ええ。彼は優秀な観測班です。私の知識を注ぎ込み、いずれ立派な副官にしてみせますよ」
「それはそれは。将来有望な子なのですね」
「もちろん。私が理想とする指揮者となるでしょう。おっと………これで失礼します。こちらでもブリーフィングが始まりますので。では」
「ええ」
新出の話題となると、桑園はとても嬉しそうにしていた。心を許している証拠だ。
そんな弟子が裏切者だとすれば、桑園は立ち直れるだろうか。あんな性格をしているが、チーム流星には必要な存在だ。不在ではより戦力が低下するに違いない。
感情移入するわけではないが、少しだけ不憫に思えた。
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