第9話 運が悪ければまた会える
「では京一さん。昨日、助けていただいたお礼はいずれ、再会した時にでも」
マリアはこれ以上となく朗らかな笑みを浮かべて言う。
簡易テントのなかで汗を拭き、数日間蓄積した体臭をリセットしたマリアは上機嫌に戻っていた。
すべては鏡花とパーティを組めるからだという。
事務所に鏡花だけの同行を報告すると妥協してもらえたらしい。鬼畜なマネージャーからダンジョンモンスターと命懸けの鬼ごっこはもうお終いと告げられ、天国を見ているような目をしていたのが印象的だった。
「あー………ま、運が悪ければまた会えるだろ」
「そうね。悪ければ会えるかもね」
素直じゃない女は負けじと返す。
だが内心は、俺と同じくらい「運が悪いことが起きませんように」と祈っているはずだ。このダンジョンは数字でなにもかもを表せない。運要素だって絡む。運の尽きなんてことがあれば最悪だ。
手を振るマリアが「では」と言って空間の先にある通路を進んだ。
残された俺は踵を返す。
ワーウルフの遺骸はすっかり消えていた。人間の遺体とは違い、ダンジョンモンスターの死体は数時間で黒い粒子と化して霧散する。素材は摘出すればそのまま残る。昨日は毛皮をちょいと拝借した。マリアは作業を見て顔を青白くしていた。
水晶の木は四割強が砕かれたが、出発する頃には半分ほどが再生している。自然の鉱物ではないのがダンジョンの素材の利点だ。壊しても元通りになるのだから。
そうなるとゲートも修復機能が働くはずだが、抑制剤を定期的に打ち込むことで再生を遅行化させているという。
砕かれた水晶も少し拝借した。すべて元通りになるのは今日の夜くらいだろう。すべて伐採しないのは、鉄条が現役だった時代ならともかく、ダンジョン攻略が人気の職業とされて十数年の現代において、ただの水晶の木というのはなんら珍しくもない素材として知られているからだ。今さら市場に出回ったところで驚くほどの値打ちにもならない。
この空間をすぐに出て、来た道を戻る。本来進むはずだったルートだ。
結局俺は、上野村ゲートを確認しようと決めた。確かに金剛獅子団という若くして台頭したパーティの暴れっぷりで閉鎖されたとしても、数日後には元に戻っている可能性もある。それがダンジョンだ。
「………ん?」
俺は首を傾げた。
理由は、昨日選ぶはずだった岐路に戻ってから覚えた違和感にある。
「この道………こんな距離があったか?」
昨日は耳にしたマリアの悲鳴に呆れと使命感と罪悪感と後味の悪さなどを加味した上で救出を決め、疾走した。ただ距離感は覚えているつもりだ。だが岐路に戻るまでの大まかではあるが歩数と時間がどうも吊り合わない。なぜか長く感じた。
しかしその程度でさらに戻るわけにもいかない。俺は正解となるルートをやっと選び、旅を再開した。
ダンジョン攻略───冒険の醍醐味といえば未知との遭遇、そしてトレジャーハント。
ここは俺にとってなにもかもが新鮮だ。
見たことがないものすべてが揃っている。
やっとひとりで気ままに探検できると実感し、初日の高揚感と浮き足立つような感覚が混じって心が躍る。期待と不安とが絶妙な配合で心を満たす。若干ではあるが、動悸も早くなる。
「………あった。これだ。青蛍群石が記した記号」
岐路があれば、また岐路にぶつかる。複雑に絡み合う臓腑のような洞窟は、一種のアトラクション。ダンジョンモンスターと遭遇すれば戦闘。しかしそれさえも適度なスリリングという名のスパイスに変わる。スリルがなければただの洞窟探検だ。そんなものは子供でもできる。
いくつかの分岐に差し掛かると、俺は壁に記された目視困難なほど薄まった刻印を発見した。
記したのが青蛍群石という配信者集団だ。十人のなかで半分が冒険者、つまり戦闘ができる万能なメンバーで、登録者人数も多い。
俺がマリアを戦力外としてしか見ておらず、配信者だからと言って偏見を持たず邪険にもしなかった理由がこれだ。
配信者は登録者数を伸ばすため、とにかく必死で自分が得意とするジャンルに没頭するが、やはり上位を占めるのは冒険者を兼ねたパーティだろう。
ダンジョンのなかで実験だろうが料理だろうが、果てにはグラビア撮影だろうが政治批判だろうが、実行するのは個人の勝手だ。事務所が許しさえすればだが。
だが冒険者を兼ねたパーティだけは、新参であろうが着目の度合いが出端から異なる。
各動画につけられるハッシュタグをすべて人気のあるものに置き換え、注目されている場所などをタイトルに載せれば新人ランキングにも載る。が、第二弾、第三弾と視聴者のニーズを満たす結果を出せなければそのまま伸び悩む。これはどの業界でも言える厳しい現実だろう。
取り分け俺が去年から追い続けている配信者のひとつが青蛍群石である。新人ランキングでは上位に君臨して以降、中堅の登録者数を得る。上位に昇れない理由は派手な戦闘をしないからだ。視聴者のニーズは常に過激なもので、ド派手にして手に汗握るようなスリリングのあるシーンを求める傾向にある。
ただ、俺はそんなド派手なものも好きだが、それよりも毎回欠かさずにチェックしているのがこの配信者パーティだ。なぜなら彼らは独自の暗号を使っており、解き方を動画に載せている。
彼らの動画は三十分に収まるよう編集されていて、その日に通過した分岐すべてに暗号を記す。壁や床などに。
ここらは半年前に通った道だ。辛うじてだが読み取れる程度には残っていた。幸いにして、青蛍群石は上野村方面に向かっていて、そこまでのルートにはすべて暗号が用いられている。これを辿れば迷わない。
スクリーンからマップを起動した。アーカイブに保存されている200年前の関東平野の詳細を。
昨日は予想外の出来事のせいで進捗が遅れた。だがまだ予定した日数には間に合うとは思う。───多分。
「安中を通って冨岡。下仁田に向かって………よし。ここらには複雑な回廊もないし、コンパスも正常に働く。どうせまた戦闘もあるだろうし、長く見積もって………三日ってところか」
マップ機能にコンパスが標準されているので、現在どこにいるのかを見失わなければ進行方向を誤ることはない。青蛍群石の教えだ。丁度この辺りを同じように過去の地図と照会して現在地を特定していた。
また進み出す。ダンジョンモンスターとの遭遇はない。ただ、縮小化したスクリーンから発する極小のサインが視界に入った。
グリーンランプ。近くに冒険者、つまり人間がいるということだ。
なぜ接近を報せる機能があるのかといえば、同士討ちを避けるためである。
過去、お互いに知らずして接近し、通路の曲がり角で衝突。人間だと知るはずもなく、両者ともに敵であると誤認して殺しあった悲惨な事件が連発して以降、急遽このシステムを開発した───とあるが、俺はこのパーソナルビーコンとやらが胡散臭くてならない。
本当に同士討ちを避けるためにあるのか、だ。なにかもっと別の意図があってのこと、かもしれないと疑っていた。
「………あ、やべ。おっちゃんにそろそろ仕送りしねぇとな」
ダンジョンに潜って二日目。俺の生存を報せる意味でも仕送りをしなければならない。
ここは天然の宝庫、関東ダンジョンだ。必要なものは探せば見つかる。
いつから主人公は助けたヒロインと一緒に行動するものだと信じていた………?
というわけで、運が悪ければ早く会えそうですね。
これからダンジョン探検っぽいこともしなくてはならないですし、京一の考えていたとおりにやらせてみようと思います。
平日は執筆時間が減るのですが、皆様からの応援で加速します。是非ともガソリンのようなブクマと評価を注ぎ込んでくだされば、作者はブヒィと鳴きながら尻尾を振って筆を取るでしょう!