プロローグ01
アーカイブを開くと、一覧の項目のひとつに日本史がある。
学生なら必ずしも履修する講義のひとつ。
日本という国が歴史を築いて、早くも───2240年。
最初は縄文だとか、弥生だとか、文明が文明たる原初な生活を記述したページを学ぶ。そして時が過ぎ、現代に到達すると、そんな原始的な生活が嘘だったかのような高度成長を遂げた、技術と経済と政治の世界へと到達する。
第二次世界大戦後、敗戦した日本は新たな様相を呈したと言っても過言ではない。
だがそんな様相も、2040年頃となると、さらなる難問でも課すかのようなスクラップアンドビルドが提示された。
確か、2020年頃に全世界規模で発生したパンデミックが問題視された。
だが、その二十年後に発生した新たな恐慌はその比ではなかった。
日本限定で突如として謎のウィルスが蔓延化し、同時に関東地方が───消滅したも同然となった。
いや、正確に言えば国土的な意味では消滅はしていない。
ただ、人間が住める場所ではなくなったということだ。
日本の首都、東京。世界に誇れる文化と文明と発展と衰退を具現化した街。
日本の経済と政治を司る街。徳川家が都を移したことから東の京とされ、世界の頂点たる国と比肩できた街。
しかし東京はたった一日で消滅した。東京だけではない。一都六県が立入禁止区域となった。
未知のウィルスが蔓延化しただけではない。なんの脈絡もなく関東地方は地面が隆起し、巨大な立体的構造体となったからだ。
そんなことになれば恐慌どころではない。パニックだ。日本人はコントロールを失いかけた。
だが政治家はなにも関東地方に首脳を据えただけで、頭脳を失ったわけではない。
西日本が世界各国に檄を飛ばす。救済と助力だ。同時に日本人の混乱を鎮静化しようと各メディアに指示して避難誘導を開始。
未知のウィルスに体を蝕まれ、秒単位で倒れていく国民を手厚く葬ることを約束しつつ、現存する生命を優先。二十年前のパンデミックを経験したことから対応は迅速で、大阪や奈良などが主体となって北と南を統御。要した時間は長かったが世界から隔離を条件に一方的に送られる無人船によって得た援助を手に、日本は新たなリーダーとなる臨時総理大臣を立てて、辛くも新たな日常を得たのだった───
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「───んで、日本限定で発生した未知のウィルスは、やがて奮っていた猛威を収縮させ、日本人はウィルスを克服して………」
「なぁにブツブツやってんだよキョーイチィ!!」
「へぶッ!?」
せっかく得た貴重な休憩時間を割いて勉強に勤しんでいたというのに、この女ときたら俺の努力を嘲弄するときたもんだ。
配給の弁当を受け取る列が長過ぎるため、人数分はあると言っていたこともあり、そう慌てて受け取る必要もないので、そこらに転がっていた丸太に腰掛けてアーカイブに目を落としていた。
すると同僚のふたつほど下の、まぁ上司の娘が背後からクロスチョップとヘッドダイブを組み合わせた強烈な挨拶をくれるので、危うく目の前で煌々と燃える穴の空いた一斗缶の焚き火にダイブして、俺自身が燃料になるところだった。
「………っぶねぇ。………おい。なにしやがる鍔紀」
突き飛ばされた俺は、地面に手を突くことで、辛くも顔面を焚き火に突っ込みことを免れた。とはいえ、前髪を炙ってしまい異臭が鼻腔を刺激する。
俺自身、特にファッションに気を遣ってはいないし、そんな大層な身分でもない。前髪を二割ほど燃焼することよりも、豪快にしてガサツな上司に似て、常に笑顔ではいるが、豪快にしてガサツな面を運悪くもトレースしつつ本人は遊んでいるつもりという、なんとも悪質な女へ怒りを募らせているだけだ。
「ね、ねっ、遊ぼ。遊ぼ? なにする? キャッチボール? ドッヂボール? あ、それともレスリングとか? もー、しょうがないなぁキョーイチはぁ。じゃあ、特別にお医者さんごっこでもいいよぉ? やーらしーなー」
「………ウゼェ………十年経ってから出直せクソガキ」
この鍔紀という女、平時でもこうだから扱いに困る。なんとも御し難い。
俺と鍔紀は今、かつて観光地として絶大な人気を誇っていた軽井沢の東部に拠点を構える便利屋として、単発の仕事に参加していた。唯一の上司にして社長の鉄条が「今日は依頼がないから、ここ行って働いて来いや」なんて言うものだから、仕方なく廃棄処理場の仕事をしている。
便利屋なんて名だけで、舞い込む仕事は知れている。近所から舞い込むトラブルの解決から迷子の捜索まで。それを安価で請け負うので収益など雀の涙。ゆえにこうして単発バイトで稼がなければ経営が成り立たない。我ながら、なぜあんな上司の下で働いているのかと思うと涙が出てくる。
「ねぇねぇ、じゃあお昼食べたら鬼ごっこしよ?」
「ひとりで走り回ってろ」
「私、犬じゃないよ!」
「じゃあ猿」
「キーッ!」
「おーおー。鳴き真似まで猿っぷりが板についてきやがったなぁ」
仕返しとばかりに動物ネタでいじり倒す。こうして俺が素敵な上司に命令されて面倒を見ない限り、鍔紀は野生児、もしくは野生動物と見間違われても仕方ない風態をしているから呆れるばかりだ。
周囲にいる人間は全員顔見知りで、俺たちの事情を知っているので笑っている。でなければ俺が女をいじめている構図の完成だ。俺がいじめられているというのにな。
「よし。列も少なくなってきたし、弁当取りに行くか───」
『緊急警報! 緊急警報! 群馬ダンジョンから、冒険者パーティと交戦していたモンスターが一体逃亡しました! 現在、この施設に接近しています! 従業員はマニュアルに従って避難を開始してください! これは訓練ではありません!』
「───マジかよ」
やっと昼飯にありつこうとした矢先に発生したアクシデントに、ガクリと肩を落とす。
周囲は群れに放たれた火を見るかのようなパニックを引き起こす。
群馬ダンジョンが近いからか、月に何度かはこういうアクシデントがある。
とても厄介だ。なにが厄介って、こうして昼飯を食いそびれることもそうだが、俺は周囲に隠さなければならないことがあるからだ。絶対に知られてはならない。常時オーガみたいな形相の鉄条パパが、さらに表情を険しくして警告したほどだ。
ちなみに俺もその警告だけは真っ当だと思っている。昼行灯代表のようなクソ社長でも、たまには良いこと言うんだなと感心したくらいだ。
それを破ったら、俺はここにいられなくなる。
例え、給料の六割を滞納して数年の娘ちゃんラブ全快の中年親父が仕切るクソ会社でも、週一で与えられる休日はすべて野生児後輩の世話で費やされても、来年に実行しようと考えていた計画のために我慢できた。
「ガァァアアアアアアアアッッッ!!」
「モンスターだぁ! ダンジョンモンスターが出たぞぉ!」
「う、わぁぁああああああ! こっち来んなぁぁあああああ!」
放送から数分で襲来を予想したが、思いの外、迅速な乱入を許してしまうことになった。昼の休憩時間を嗜もうと、食事ができる広場に異物が混入しただけで阿鼻叫喚と化す。
廃棄処理場の壁を跳躍して現れた四足歩行のモンスターは、冒険者パーティと交戦しただけあって手負いの危険状態にあった。
紫色の体毛は緑色の血液で四割ほどが染まり、狼に似ているが体格は二割り増しほど。人間など数秒で食い殺せる。
ダンジョンモンスターは周囲を観察して、逃げ回る従業員という名の餌を鑑定する。手負いの獣ほど凶暴さは増す。傷の回復のためには食事と睡眠が必要。よってダンジョンに近い工場を餌場として嗅ぎ分けたわけだ。鋭い勘をしている。
「ねぇねぇキョーイチ。見て見て! おっきなワンちゃん! あ、でもさ。今ならさ、お弁当独り占めできるねっ」
「お前さぁ、ダンジョンモンスター見て怖がらねぇのかよ。猛獣と一緒の檻のなかにいるみてぇなのに、自分の飯の心配するとか、図太さだけは尊敬するぜ」
人間の悲鳴とモンスターの怒号が炸裂すれば、巻き込まれた人間は平常心など保っていられるはずがない。
しかしこの女、野生児というだけでなく度胸があった。できるなら薄い胸にも積載できる脂肪があれば本人としても満足できる───おっと、これ以上はいけない。そんなことを口にして、鉄条パパに知られでもすれば一週間はタダ働きだ。………今とそう変わらないか。
紫色だか緑色だかわからないダンジョンモンスターは呼気を荒げ、餌でしかない人間に狙いを定める。唯一逃げていない俺と鍔紀は獲物としては退屈だとでも思われたか。
「………いや、でも悪かねぇな」
「なにがぁ?」
「ほらよ。今なら並ばなくても弁当食えるぜ。何個か持って逃げても遅くないんじゃね?」
「あははぁ! キョーイチは下衆だねぇ」
「発案者のお前はもっと下衆だよ。おめでとさん」
ダンジョンモンスターより食事が優先。食うか食われるか。なら食った方がお得だ。
なにより鉄条パパを怒らせて朝食を抜かれてしまったんだ。空腹のまま肉体労働は精神にも来る。
労働のなかで食事とは唯一の娯楽。例え添加物だらけだとしても、うまければそれでいい。今はなにより空腹を満たしたい。
フラッと前に出る。周囲の顔見知りのおっちゃんたちはすでに建物や地下シェルターに駆け込んだようで、ダンジョンモンスターは背に腹はかえられず、まずそうな逃げ足の遅い老人やらをターゲットに据えたのだが、そこに俺が配給の弁当へと向かったのが幸いだったのか、手負いの状態で一気に跳躍。
「食い物………ああ………やっと食える」
本当は勉強なんかせずに、列を蹴散らしてでも弁当にあり付きたかった。「俺、勉強もできるんだぜ」アピールを継続したのは、昔から「京一は馬鹿だなぁ」と侮辱されていたからだ。
つまり数年前から行っていたルーティン。
結果? まぁ………評判は変わらなかったが。
「グオッ!!」
「あ………」
ターゲットを俺に切り替えた狼みたいなモンスターは、跳躍した先にあったものを踏み潰した。
それこそ、俺が今まさに求めていた食事。プラスチック容器に詰め込まれた弁当。それらが詰められたダンボール箱。
この血みどろ狼くんは、手を伸ばした先にあった俺の食事を、すべて台無しにしてくれた。プチッと。
ふざけるなよ。と怒りが半分。もう半分は、呆気ない弁当の末路になぜか笑えてきた。
「おいなにやってんだ京一! 逃げろぉおおっ」
鉄条の親父の客にして、俺を可愛がるにしてはあまり金を落とそうとしなかった、近所に住む中年の男が叫んだ。
───逃げる? 逃げるだ?
なに冗談吐かしてる。
どれだけ時代が進んでも、文明が発達しても、今も昔も変わらないことがあるとすれば、ひとつだけ確かなことがある。
誰かの食事の邪魔をしたり、あまつさえ食事を台無しにしてくれた馬鹿野郎は、問答無用で叩きのめしてもいい。日本の刑法にも載ってるんじゃねぇかな───多分。
「あ、やばっ………待ってキョーイチ!」
待たねぇ。
俺の飯の邪魔をした馬鹿野郎は冒険者でなければ裁けねぇとか、そんな常識があろうが。
薄ら笑いは消えた。こいつの終わりの時間がやって来た。
「グルル………ァ?」
唸る犬畜生がわざわざお口を開いてお出迎えしてるんだ。
なら俺も相応の「おもてなし」ってやつで返さねぇとな。
犬畜生の顎を左手で掴み、右手は伸ばして背に乗せて───
「このド腐れ畜生がッッッ!! テメェに潰された弁当の痛みを思い知りやがれェッッッ!!」
感情のすべてを憤激で染め上げた俺は、渾身の力で弁当をすべて台無しにしてくれた犬畜生を折り畳んだ。
「………ぁぇ?」
俺に逃げろと叫んだ男や、周囲の顔馴染みたちは呆然と、犬畜生があり得ない方向に曲がった骸を凝視する。
「やっちゃったぁ………」
鍔紀は遠い目をして空を見上げる。
「………やべ」
俺は黒い粒子と化して空に消えた犬畜生を見送りつつ、周囲の視線から失態を悟った。
隠してたのになぁ。
俺がスキルを使えるってことを。
まずはこの作品を手に取っていただき、ありがとうございます。
桐生落陽でございます。今回は初めてとなる現代ダンジョンに挑戦してみます。
タグに色々とメジャーなものを搭載してみました。タイトルなんて現代風に文字数マックスまで積載し、普段はやらないことに挑戦しまくりです。
主人公はちょっとおバカですが行動力のある元気な子です。このおバカな子が、封鎖された東京を目指して奮闘する長編となります!
面白そうと思ってくださったなら、大変恐縮ではありますが、下部の⭐︎をマックスまでぶち込んで、ブクマもしていただけると幸いです。
主人公最強とありますが、割と乗りとテンションに任せていく部分もあり、そして先人から教わった経験からモンスターを討伐していく部分もあります。
今回登場するキャラクターはユニークな子たちばかり。個性の殴り合いのような連中ですが、気に入っていただければと思います。是非ともご期待ください。
本日は例のごとく大量に更新しますのでチェックしていただけると嬉しいです。