「私」の章 2
「佐藤さん、一体あれのどこが駄目なんですか?」
「あぁ。今、うちのレーベルでは先生の様な心理描写メインで、穏やかに物語が進むような作品は扱ってないんですよねぇ」
挨拶もそこそこに噛み付くように本題を切り出した私とは裏腹に、返ってきたのは佐藤のわざとらしい程にのんびりした口調だった。
「そんな……でも少し前まではそういう話が多く出版されてましたよね?」
「あれ?先生ご存知ないですか?うち、去年あたりからイメージ一新ってことで、『もっと過激に!スカッとする読後感!』をテーマにしてるんですよ」
まぁうちも先生とはご無沙汰にしてましたからね、とカカカと愉快そうに佐藤は笑うが、その痛烈な当てこすりとも取れるような言葉に、頬がカッと熱くなる。
「……そう、でしたか。でしたら見当外れな作品をお送りしてしまって、申し訳ありませんでした」
「いえいえ、また何かと書けたらいつでも送って下さいよ」
悔しさに奥歯をギリリと噛み締めて、咄嗟に通話ボタンを切ろうとする。……いや、今はそんな事を言っている場合ではない。出版に漕ぎつける為にも、とにかくまずは情報収集だ。すんでのところで衝動を抑えると、しおらしい声で佐藤に問う。
「でしたら参考までにお伺いしたいのですが、今はどんな作風が売れ筋なんですか?」
「あー。やっぱり内容が少々過激なものであったり、物語に起伏があるものですかねえ」
下手に出た態度に気を良くしたのか、佐藤は饒舌にレーベルの近況を語り始める。きっとふんぞり返って偉そうに講釈を垂れているのだろう。そんな姿を想像すると、胃の辺りにむかつくような不快感が迫り上がってくる。
「過激、というと?」
「うちは一応恋愛もののレーベルですからね。そこに絡めて三角関係、不倫、強烈な逆転劇なんかも起きる――そんなシチュエーションものが多いですかねぇ。あとは先生の得意な高校生モノで言うと、複数の男子からモテまくるハーレムものとかR18スレスレの描写がある作品なんかが人気だったりしますかね」
「そうですか……」
繊細な心の動きよりも目先の刺激、というところなのか。売り上げを見込むためとはいえ、このレーベルも落ちぶれたものだ。私はそっとため息をつく。
「今うちのレーベルで一番人気なのはやっぱり彼女、櫻坂美枝子先生ですね。彼女が書いてくれるようになってから、レーベル自体の売り上げがグンと変わりましたから」
……ここでも、櫻坂美枝子なのか。
あの女が頼みの綱だと縋りつくなど、所詮は三流レーベルのすることだ。そんなところなど、例え三顧の礼で執筆を頼まれたとしても、こちらの方からお断りだ。
自分の手柄でもないだろうに鼻息を荒くする佐藤との会話に、もはやこれ以上の価値はない。私は通話を終わらせようと、形式ばかりの謝辞を述べた。
「貴重なお話ありがとうございました。今後の参考にさせて頂きます」
「まあ小鳥遊先生も、櫻坂先生みたいに売れるような作品書いて下さいよ。そしたらすぐに出版会議にあげますんで」
――櫻坂美枝子みたいに?
下品な声で再びカカカと笑うと、佐藤は続けて何かを捲し立てている。けれど、私の耳にはもはや何も届かない。
何故あの女と比べられなければならないだろう。
何故あの女の様にならなければならないのだろう。
下げたくもない頭を下げて遜った揚げ句に、なぜこんな仕打ちをされなければならないのだろう。
もう、我慢の限界だった。
私は今度こそ耳からスマホを遠ざけると、そのまま通話ボタンを乱暴にタップした。
「――どいつもこいつも櫻坂櫻坂って……。あの女のどこがいいって言うのよ!」
力任せにスマホをベッドへ投げ捨ててやるが、それでも気持ちは収まらない。大股でデスクに向かうとノートパソコンを立ち上げると、力任せにキーボードを叩きつける。
『売れるものが正義だと、誰が決めた?作品の本質=売り上げではないはずだ。自分の書きたいものを捻じ曲げてまで得た称賛に何の意味があると言うのか』
SNSでいくら叫んでみたところで、いつも通り反応などは無いだろう。けれど、誰かに伝えずにはいられない。
暫く画面を見つめていたが、バイトの時間も迫ってきている。私は大きく息を吐くと、出掛ける支度を始めるのだった。
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