「私」の章 1
『重版出来!お蔭さまで累計10万部突破!』
『新作好評発売中!』
あの女のSNSは今日も騒々しいほどの色で溢れた、過美な装飾のイラストが飾られている。
「……派手にしてりゃいいってもんじゃねえだろっつうの」
忌々しくも横目で確認すると、私はシンプルな空の写真をヘッダーにした自身のページへと画面をサッと切り替えた。
あの女――櫻坂美枝子は、ライトノベルを中心に執筆しながらも、最近では様々なジャンルの作品にまで手を出している節操のない物書きだ。
大きな賞をいくつか取って、すっかりいい気になっているようだけれど、元はと言えば|投稿サイトからの拾い上げ《同じ土壌》からのデビュー組。
「アイツの作品なんて、薄っぺらくて詩情性も何もないっていうのに……なんであんなのが受けてんのよ」
苛立つ心を抑えようと、すっかり短くなってしまった親指の爪を噛み締めて、私はカタカタとキーボードを打つ。
『私のような純文学寄りの作品よりもエンタメ特化したようなものが売れる世の中、終わったなって思ってる。』
ネットの海は寛大だけれど冷酷で、そんな文章を受け入れてはくれるものの、対する返事をしてはくれない。
「……ま、別に自己満だからいいんだけど」
そう誰に聞かせるわけでもなく呟くと、ノートパソコンをそっと閉じる。
あの女のSNSを覗いたところで得をすることなど何もない。むしろ心が荒ぶるだけだというのに、どうしてついつい見てしまうのだろう。
これはもはや病的だな。
私はフッと短く息を吐くと、バイトへ向かう支度を始めるのだった。
◆
小鳥遊ゆづき、小説家。それが私の肩書きだ。
デビュー作「あの日の夜空を忘れない」で、『ツギニブレイク☆小説大賞』のライトノベル部門を受賞したこともある、立派な職業作家である。
――けれど、そんな栄光も今は昔。
今はただ、複数のバイトで生活費をしのぎつつ、いつ来るかもしれないオファーに備えて細々と物語を紡ぐ毎日だ。
書き下ろしのオファーは勿論、連載等の話も無い。この数年は書けど売り込めど出版社からの色好い返事は頂けていない。
――もう潮時なのか。
いや、そんな事はない。
だって私は「次世代を担う期待の大型新人」だと言われて、華々しくもデビューしたのだから。
賞だって受賞したのだから。
◆
そんな私のSNSに一通のDMが届いたのは、最高気温を記録したというニュースが連日続くある夏の日。反応の少ないこのアカウントに、それはとても珍しい出来事だった。
「どうせ宣伝か何かなのだろう」
そう思いつつも興味を惹かれ、私はその見知らぬユーザーからのメッセージをクリックした。
差出人は『くみ』という、ロングヘアの若い女性の後ろ姿のアイコンのアカウント。
『突然のDM失礼します。先生の「彼女はそっと呟いた」を拝読しました。魂が震えるというのはこういうことか!と生まれて初めて感激し、是非この気持ちをお伝えしたいと思い拙いながらもメールをさせて頂きました。』
それは、デビューから3作目の作品。もう何年も前に刊行された一冊の長編への感想だった。
結局重版されないままにひっそりと絶版となっていた作品だったが、どこかの書店ではまだ返本されずにいたということなのか。ほんの少しの驚きと共にその文章に目を走らせる。
『主人公トモエの心理描写に胸が苦しくなったり、応援したくなったりとページをめくる指が止まりませんでした。』
『こんな素晴らしい作品に出会えたのは生まれて初めてです。』
文章からは作品への熱い思いがひしひしと伝わってくる。
手放しの称賛など、一体いつぶりの事だろう。ドクドクと心臓が激しく鼓動をし始める。
午後の日差しが容赦なく差し込む部屋で、汗を拭いながらその文章を何度も何度も読み返す。
「……クーラー、効かないな」
ポツリと愚痴をこぼすが、この暑さは室内の気温からくるものではないことはわかっている。
これは自分が発した熱。久しぶりの賛美の言葉に、全身が熱く火照っているからだった。
「……こんな感想、昔は沢山もらっていたんだから」
だから大したことはない。うそぶいた台詞を口にすると、キーボードに手を伸ばす。
『感想ありがとうございました。くみさんに気に入って頂けて嬉しく思います。しかし、感想でしたら個人のアカウントではなく、出版社に送って頂けますと幸いです』
感想は人気のバロメーターでもある。故に出版社に届く感想は、「需要のある作家」であるという一種の指標にもなっている。
冷たいようだが、個人的に届く感想よりも出版社を通して届くものの方がよっぽど価値があるものなのだ。
商業作家の矜持もある。必要以上の馴れ合いは不要と、私は簡素な返信をすると、大きく一つ息を吸い込んだ。
◆
『先日は大変失礼しました。早速先生に送信した感想と同じものを出版社へと郵送させて頂きました。』
「くみ」から再びDMが届いたのは、それから数日後のことだった。
『先生の作品をもっと読みたいと思い、発行されている本は全て読みました。全て出版社にも感想を送らせて頂きました。先生の作品はどれも心理描写が繊細かつ複雑で、何度も何度も読み返したくなってしまいます。』
丁寧な謝罪文と共に書かれていたのは、私が商業用として世に発表した全ての作品の感想だった。年々少なくなっていった発行部数の書籍達。今では入手するのはさぞかし難かしかったことだろう。
……それでも彼女はそれを全てやってのけた。
間違いない。彼女はきっと、本物のファンだ。
その熱量に当てられたのか、身体にブルリと震えが走る。創作意欲とでもいうべきなのか――胸の奥の冷え固まっていた何かが、じわりと熱くなってくる。
「――熱心な読者がいるんだから、また出版できるように頑張らないと、ね」
読者の要望に応える。それが商業作家としての使命なのだから。
ペチンと顔を両手で挟み込むように叩くと、私は使い込まれた一冊の大学ノートを本棚から取り出した。
◆
「うーん、よく書けてはいるとは思うんですけどねぇ。申し訳ないですが、今回は見送らせて頂くってことで」
けれど受話口から聞こえてきたのは、口先だけの謝罪の声だった。
勢いに乗って書き上げた作品は四万字の中編。高校生の友情がメインの思春期の心の揺らぎを描いたものだった。
久しぶりに自信作だと胸を張って言える出来えに、早速売り込みをすべくメールアプリを立ち上げた。
送り先はほんの少し迷った末に、以前に付き合いのあった出版社に決めた。季節の挨拶から始まる本文の他に「返答次第では長編に引き延ばすことも可能である」と追記して、送信ボタンをクリックする。
回答が待ち遠しくないと言ったら嘘になる。
そわそわしながら返事を待つこと数日後。しかし、漸く届いたメールの内容は「残念ながら」との簡素な文字が綴られた不採用の知らせだった。
どうして駄目なのか、何がいけなかったのか。
こんな回答では納得のしようがないではないか。
気がつくと私は、スマホに登録していた編集部の担当・佐藤と記された番号が映る、画面を力任せにタップしていた。