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クロウディアの成果

――Lila――

 終わった気が、しない。


 リィラはいままでに感じたことの無いストレスの中にいた。学校で孤立していたときでさえ、ここまで暴れてしまいたくなることはなかった。


 目前には鎧。腰には前向きの燃料式バイクのマフラーのような、背には海老反りに弧の形をした噴射口があり、あとは無骨かつ身体の全てを覆わない鎧然としたフレームばかり。


 いまできることは、全て、完了した。設計通り、ジェットスーツを組み立て、その寸法には寸分の狂いもなかった。できる限りの動作テストもした。設計図通りという意味では完璧だ。


 問題は、そもそも設計図が完璧であるかが全くの未知であることだった。何か見落としている気がする。ずっと、ずぅっと、何かを間違えている気がしている。


 しかし実際に動かすカイは、よりによって出掛けている。本当に必要な本番環境でのテストもできず、とはいえこれ以上のこともできず、リィラはただひどい焦燥の中にいることしかできなかった。


 カイはもちろん、ニコも出かけている。オークラーもまた、なにか慌てて上へと行ったし、四十七部隊どころか隊員みんなが前哨帯との衝突でひっきりなしに出かけている。気を紛らわす話し相手になれとは言えない。


 そうなると、消去法で……。


 リィラは奥の部屋。静かな研究室の方角を見た。


 ……ヌコマタか。


 アイツ、イヤなんだよな。最初ケンカ売ってきたし。


 とは思うものの、リィラの実力を認めたような言動から、冷静にものを見ることもできる一面もあるとは分かっている。


 …………カイがいればなぁ。リィラはあの腑抜けた笑顔を求めていた。いちばん安心できる顔だ。次はオークラー、その次は……マッチョかな、父親(マーカス)よりは。


 仕方ないと重い腰をあげ、奥の部屋へ向かう。


 玄関マットのように敷かれた殺虫タオルを踏み越える。これは、一定範囲に入った小さめの蠕虫(ぜんちゅう)原虫(げんちゅう)、つまり多くの寄生虫を処理できるタオルだ。人間とは違ってPpの変質現象である『励起凝固』に対する耐性がないので、(フィールド)に晒すだけで全身のPpが固まって死んでしまうのだという。


 寄生虫自体に詳しくないリィラでも、ガジェット越しに理解することはできるのだった。


「規則一、汚染室内で物に触れていい身体の箇所は手と足だけ。規則二、出る際には手と足をこれで拭く」


 ヌコマタの言葉を復唱しながら部屋に入れば、ラックに何かを積み込む当人の姿があった。


「感心だな。ウチのバカどもにも見習ってほしいものだ」


 ヌコマタはこちらを向かず、背で呟いた。


「なにしてんの?」


「おそらく、我々向きにニコ博士が用意した本が、いくらかあってな。あのバカがこの部屋をまるごと汚染したから、ここから運び出し、外で読むことにする」


「ふーん……。殺虫タオルはあの一枚?」


「そうだ。あのニコ(バカ)に発注を頼んでいるが、こんなことになるなら研究所から持ってくるべきだったな」


 リィラはそのまま部屋を出て、タオルで足踏みをした。そうして殺虫を終え、部屋の外へ。


「じゃあ受け取る方やるわ」


 リィラはパーカーの袖をまくるが、腕を下にするとすぐに落ちてきてしまう。


 ……まぁ、いいか。


 パーカーを脱いでガジェット作業室の椅子に投げておき、上半身だけ下着姿になった。


「…………」


 部屋の入口で立ち止まったヌコマタが、なぜかリィラの下着をじっと見ている。


「な、なんだよ。変な目で見んなし」


「……いや、なんでもない……」


 妙に悲しげなのは、ヌコマタの下着も全く同じメーカーで、子供サイズであったことを目の当たりにさせられたせいだったが、リィラには知るよしもなかった。


 入口でしゃがんで、本を受け取り、殺虫タオルでくるむ。少ししてその本を部屋の外の廊下へと置き、また次の本へ。


「――あっ。『ガジェット工学・システム特論』じゃん」


 ヌコマタのために用意された一冊。そのタイトルを受け取った瞬間にリィラが声をあげた。


 これは知る人ぞ知る名著であり、ガジェット工学の基礎を歴史順にではなく理論順にしながらも、常に理論の目的と大枠と流れが示されているために理解しやすいと評判だった。ガジェットを理論からでなく経験から理解しているリィラとしては、喉から手が出るほど欲しいものだ。


「へ〜。いいセンスしてんな。ヘンタイ博士のクセに」


「ぶっ」


 感心するリィラなどおいて、急にヌコマタが吹き出し、腹を抱えんがばかりに大笑いを始めてしまった。


「ふはははっ! へ、ヘンタイか……わはははっ!」


「いやマジでヘンタイなんだよアイツ。ああいうとこなきゃマシなんだけどな〜」


 研究室には、かなり色々と用意されていた。顕微鏡や体液調査キットなどの寄生虫分野の道具や、ガジェット回路のI/Oを調べる計測器、精密信号を取り出すバッファなどのセットなどが並んだ大きな机。様々な薬品や予備の道具類を並べた棚。準備までいい。


 リィラにとってニコは、本当に『ああいうとこがなきゃ』な人だった。


「ふぅ……そうだな」


 ヌコマタは次の本を手渡す。こっちはリィラのために用意されたもので、そのタイトルは『きせい☆ちゅーしょっと 大集合編』だった。


「えぇ……なにこれ」


「なにが『えぇ』だ。名作だガキめ」


 これは寄生虫大好きクラブより発刊されたマガジンの総集編で、寄生虫を様々な――特に顔やフォルムが引き立つ――角度で撮った、『オタクは没頭パンピは卒倒』が売り文句の一冊だ。見つかっている全体のうち分類ごとに代表的な寄生虫が選ばれており、その特徴が分かりやすいことから、寄生虫のマガジンでありながら寄生虫学入門としてかなりの良書になっている。もちろんヌコマタとしては、問答無用の良書なのだが。


「寄生虫が色々ねぇ……今回のってさ」


「載っている。八ページだ」


 まずはタオルに包んで殺虫し、それから言われた通り八ページ目を開く。するとドアップの虫がこちらを見ていた。それは確かに、あのときモニターで見た寄生虫と同じ種類だ。甲殻の身体に四本の足。口の横から足をもう二本、牙のように突き出していた。


 前にも姿を見ていたが、高画質になるとまたキツイ。これが体内で増え、流れるのか。


「うわ」


「うわとか言うな。それよりも、だ」


 (はや)る気持ちを抑えるように、ゆっくりと語った。


「改めて言うが、この寄生虫ちゃんはナラカム・レガイオだ。感染経路は媒介物感染だが、足からトコトコと歩いて口に入ってくることはない。まず触れた対象にしがみつき、それが口に触れたらそちらに移って、そこからやっと歩き出す。高い確率で我々は未感染者(ホワイト)だろう」


「そうなんだ。はぁ~よかった」


「……だが、余計に分からなくなった点もある。生物としての機能を弄ったと思われるのに、全く見た目が変わっていないのだ。大きさもすべて平均的と言える。更に言えば、何かに触れたときの反射反応や、走化性(そうかせい)なども完全に一致する」


「そうかせい?」


「要するに、好きな物質や苦手な物質だ。好きな物に寄る誘引(ゆういん)と、苦手なものから逃げる忌避(きひ)が起こる物質が元と一致した。他に探せば、新たなものが発見されるかもしれんがな」


 彼女は次の本をタオルに包んで、それをじっと見下ろし、ため息をついた。


「調べれば調べるほど、見た目どおりの結果が返ってくるだけだ。身体も性格も全てが同じ。爆発とやらは本当に、レガイオちゃんの仕業なのか? ただ、感染力を見込まれただけではないのか?」


「う〜ん……。なんつーか、寄生虫ってそんな機能変わるもんなの? なんつーか、症状っての?」


「ハッキリ言うが、まずあり得ない。症状と言っても、それは寄生虫ちゃんが特定の栄養を食べたり、人体が本体や排泄物に対してのアレルギー反応によって炎症を起こしたり、炎症の位置で別の症状が併発したりと、原因は決まっている。つまり人間側が起こす症状というのは、〝寄生虫ちゃんの生活の副作用〟であることが多い。それが急に変わるということは、寄生虫ちゃんの生活サイクルが丸ごと変わるほどの変化ということだ」


「でも、近いのをちょっといじるとか……」


「それも無理だ。今回のジェット化という症状にもっとも近いものだと、宿主のPpをトゲ状に凝固させ、パイル現象の勢いで宿主の身体を穴だらけにするというものがある」


「うぇえっ! そんなのいんの!?」


「ああ。だがこの例外的な症状でさえ、成虫が外に出るという目的あっての能力だ。それが、大爆発しましょうだなんて論外も論外だ。たしかにレガイオちゃんのような硬い殻を持っているなら、耐えられなくはないのかもしれんが……」


「マジで? 耐えられるんだ」


 ということは、あの任務の車で見た窓を引っ掻きあげたような傷は、疑似物質(ソリッド)になったPpによるものではなく、ナラカム・レガイオという寄生虫によるものだったのかもしれないのか。


 そう考えると、またちょっと気持ち悪くなった。そんな固いものが身体を流れるなんて。


「……なんか、詰まりそう」


 そう呟くと、ヌコマタは表情を変えずに返す。


「塞栓なら、そう心配はするな。少なくとも本体は詰まらない。八ページの説明の、下のところを見ろ」


 ヌコマタは雑誌の説明文のひとつを顎で指した。


「それによると『複雑な身体の構造なのに非常に小さくって、ぷにぷにぷにんと柔らかい。つっかえても脚でぎゅぎゅっと脱出するから塞栓(そくせん)による症状が出づらいことが特徴だぞ』と、ある。この寄生虫ちゃんは脈管(みゃっかん)――つまりプロトが通る脈に詰まらない」


「なる……げふんっ」


 あまりにもちゃんと、しかも暗唱で読みあげるので、リィラは笑いを堪えるのに必死だった。


「……つ、つま……ぐふっ……」


「なに笑ってんだこの野郎」


「……ごほん。おかしかないよもちろん。ってか『本体は』って?」


「虫卵……卵は詰まる」


 ということは、身体中をタマゴが駆け巡るってことか。そう想像して、リィラはまた声を出しそうになったのをどうにか抑えたものの、身体がぶるりと震えた。


 ヌコマタはそれを、少し悲しそうな顔をして見ていた。


「とにかく、レガイオちゃんには何の異常も見つかっていないのだ。そこで聞きたいんだが……この寄生虫ちゃんに取り付けられるガジェットは、存在するのか?」


 意見を求められたが、リィラは即答した。


「いまは無いし、普通は無理。あんなちっちゃいガジェットは作れないよ。集積回路とかあんじゃん? あれとかも、Ppを疑似物質化させてそれを回路に使ってんの。だから結局、外的に回路を作ったり、回路を維持するシステムがないといけない。それをあのサイズでは無理」


「ふむ……そう、か」


 彼女のなにか意味深長な言葉尻に、リィラが顔を上げた。


「なんか、心当たりあったの?」


「……笑うなよ」


「よっぽどバカなこと言わなきゃね」


「…………」


「……笑わないって! これでいいでしょ?」


 しかしヌコマタは少し躊躇いがちに、呟くように言った。


「ひとつだけ、レガイオちゃんたちに奇妙な点があったのだ。ナラカム・レガイオが感染する方法は、口などに接触するまでしがみつく事であるのはさっきも言った通り。ただ、そのとき〝嫁入り〟と呼ばれる行動をとることがある」


「嫁入りって?」


「六本も足があるのはしがみつくためだけではない。産んだ卵を抱えておくためでもあるのだ。産んだ状態で別の宿主(しゅくしゅ)に感染できれば、レガイオちゃんたちにとって効率がいいからな」


「へぇ〜……で、何が変なの?」


「いくらかの割合で、卵を持っていないのに嫁入りの姿勢になっていた子がいてな。なにか、見えない何かを抱えたような状態だった。そこで思ったのだ。抱えているのは透明な(・・・)ガジェット(・・・・・)なのではないかと」


「…………ふぅん」


 透明なガジェット。そう聞くと荒唐無稽だが、リィラは強く、興味をひかれた。


「原理上は……できるかな」


「その口だと、少なくとも今は存在しないのだな」


「うん。今は、ね。でも」


 リィラは片方の口角を上げた。


「相手は実現しかねないヤベー奴なんだわ。確かめてみる価値はあるよ。それ」




――Kai――

「うわぁああっ!」


 叫びながら銃を構える彼と同時に、カイはシールドを展開。文字通りニコたちの盾となって構えた。


 シールドに衝撃。火薬銃から響く銃声と、ブザーのように響くシールドの発散音がすべての物音たちをマスクした。


 まずは時間がいる。カイは咄嗟にバッファを起動して周囲を見回した。全員がパニックになるかと思えば、突然の発砲に驚いてみな固まっていた。


 アイツを止めれば、どうにかなる。カイは右へ左へ傾くシールドを、ぐっと堪えた前腕で前へ向け、マッスルを起動するのと同時にバネのように前へ飛び出した。


 見開かれた目に迫り、そのままシールドを銃口に押し付けるようにして――そのまま待った。


 叩きつけるようにしてから思い切り振り払っ(パリィし)たら、相手が反動を制御できなくなって予想もできない方角へ弾が飛んでいく。相手の銃身を掴もうとすると、敵は混乱して引き金ごとグリップを思い切り握りながら身体ごとねじって暴れ、やはり意味不明な方角へと弾丸が飛び交う。これらは訓練経験で得た知見だった。


 正解は、マシンガンの弾倉(マガジン)か敵の痺れが切れるまでシールドを押し付けることだった。一見間抜けに見えるこの手は、敵からすれば発砲以外で対応せざるを得ない状況に追い込む行為であり、発砲以外ならなら問答無用でこっちが勝つ。シールドを掴まれる場合であっても、マッスルガジェットにより強化されたカイの力にはかなわない。


 俗に言う『ガン盾』とは、即ち『詰み』を押し付けるよう行為であり、事故的な被弾や巻き添え被害をも抑える最善の一手であった。


 完全にパニックに陥った彼は、弾切れを故障だと思って、泣きそうな顔で銃を振っていた。横目で背後を見れば、銃を構えるでもなく、見張りたちは二人の様子を見つめていることしかできなかった。


 オークラーいわく、咄嗟に援護射撃の判断ができるのは、まったく考えていない人間の判断ミスか、訓練した兵士の直感かの二択なのだそうだ。


「もう、いいっすか?」


 カイはバッファを切りながら、シールドを下ろした。それを見て、撃ってきた男は固まっていた。


 まだ怯えが見える。『油断させてからどうにかするのか』と疑念が言っているのだろうか。ならば、少しだけその予感に答えよう。


 カイは銃を掴み、無理やり銃口を上に向けた。


「わ……わっ……!」


 そしてリリースレバーを探して引き、とっくに空であろうマガジンを奪った。


「没収っすよ。さすがに。撃ったんでおあいこ(・・・・)っすよね?」


「あ……あぁ……」


 完全に許せば、通らない道理から疑心暗鬼が加速する。だから、ちょっと許さない。


 相手が萎縮しているのを認め、カイはテーブルへと振り返ると、ニコの居たところに何か塊ができており、ギョッとした。


「い、息苦しいじゃないか……」


 こもった声だ。クロウディアがニコに覆いかぶさって、守っていたらしい。


 (クロウディア)(ニコ)への愛が、これで嘘なわけがない。カイは後頭部を掻いた。


 ――ミィにしたことへの怒りを、どこにぶつけりゃいいんだよ――。


 テーブルに戻って、顔を覗く。そこには、まるで痛みに耐えるように歪んだ顔があった。ニコを失ったらどうしようという心臓の声が聞こえてきそうだ。


「あの、もう大丈夫っすよ。――変な勘違いで次撃ったら、あれじゃ済まさなっすからね!」


 周囲の見張りたちへ言えば、浅い頷きが帰ってくる。仮にも最強の兵器だ、それが相手になるのは嫌だろう。カイが向こうの立場なら嫌だ。


 クロウディアはそっと離れて、元の席へと戻る。だがなんとなくカイは立ったまま、テーブルの横に立っていた。


 むしろ、ニコの方が気まずげな表情だった。それは、殺したくないが殺さねばならないことへの呵責か。それとも罪悪感か。


「……ありがとう。……ニコを守ってくれて」


「いいっすよ――」


 そこで、ふと、思い付いた。これに乗じて、ミィへの命令を取り消せるんじゃないか、と。


 あの、やっぱりニコさんにお世話になってるし、これからも守るんで、取り消してくれませんか、ミィの命令。と、こんな風に言えば上手くいく気がした。だが。


 ひどく、抵抗感があった。


 目前の人間が、愛する人を酷い目に合わせたというのに、それでも騙すようなことをすることができなかった。


 敵としてではなく、同じ人としての一面を見たせいか。カイという人間の性格のせいか。あるいは――。


 姉によく似た、大きな丸い目を見る。


 ――ミィの事ばかりで全く考えられていなかったが、クロウディアの目的が達成されるということは即ち、ニコと結ばれて生きていくということだ。


 自分のミィに対する想いのために、ニコのオークラーに対する想いを踏みにじることを、忌避しているのか。


「…………どうしたの」


 クロウディアが、ニコとカイを見比べていた。


「い、いや、なんでもないっすよ……」


 分からない。不老不死なんてとんでもない技術を作ったクロウディアが、それを治す唯一の手段である気がする。だったら、ミィのために何でもするべきじゃないのか。


 こういうときばかり、ニコの容赦のなさが羨ましくなる。彼女という人間は、口先だけで同意して、後で裏切ったって何とも思わないはずだ。


 ――――何とも思わないなら、なぜクロウディアに対してそうしないんだ? ふと姿を現した疑問が、後ろ向きの思考を切断した。


 なぜニコは、自分に対してクロウディアが決して嘘をつかないと盲信したのか。


 なぜニコは、クロウディアを騙すようなことをしないのか。


 なぜニコは、クロウディアを殺せる瞬間に引き金を引けなかったのか。


 クロウディアがニコを愛しているように、ニコもクロウディアを愛している……。それで説明はつくが、それで片付けてしまっていいのだろうか。殺してしまおうとまで決意したのに、愛に逆らえないだなんて。


 カイであれば、どんなに必要だってリィラやミィを殺せない。だがそれはカイという人間だからだ。ニコも全く同じであるとは考えにくいが……。


 とにかく、ニコはほぼ間違いなく思い込み(バイアス)を抱えている。今までの話の信憑性が崩れてしまったという事だ。


 カイはクロウディアの方へ向いた。あまり感情を感じさせない、妹によく似た大きな丸い目を見る。


「クロウディアさん?」


「…………」


「ニコさんが、今回のこの戦争のことで、クロウディアさんが絶対にウソをつかないって言ってるんすけど、ホントなんすか?」


「…………ええ」


「そうっすか。よかった」


 口では平然と言えたが、内心、声が裏返るのを必死に抑えていた。


 ウソだ。


 ウソつかないという事が、ウソだった。どの件に対してなのかは不明だ。いくつなのかも。


 ――まさか、寄生虫についてじゃないか。


 追求するか。いや、このまま糾弾したってニコに嫌われるかもとシラを切るか、なにか想像もできないことをするかもしれない。


 もっと、将来に寄り添うならば……。


「あの、クロウディアさん」


「…………」


「もしも、謝ることがあれば早い方がいいんすよ。それもできるだけ」


 彼女はカイをじっと見つめている。無表情でもそれが、指摘に対する恨みではなく『人の話を聞くときの目』であることは分かった。クッキーの件で、図らずも信頼を勝ち取れたか。


「それがぜんぶ終わった後で分かったら、許せなくなっちゃったり、最悪なことになったりしちゃうんすよ」


 ちらとニコを見る。レインという少女に撃ち殺されかけた彼女は、その結末を分かってなお、部下を犠牲に差し出すようなことをした。


 いつかオークラーがレインのようにするかもしれないとしても、クロウディアを後ろから刺そうという決心は変わらないのだろうか。


 …………いや、これも、なにか奇妙だ。本当にこんなに回りくどい方法がベストだと、ニコはそう判断したのか?


「…………」


 クロウディアはどこともなくテーブルの上を見て、自らのなめらかな黒髪に手ぐしを通し続けていた。


 それからやっと、頷いた。


「……ごめんなさい。ニコ」


「え……」


「……ひとつだけ嘘をついたの」


 ニコは、ただ信じられないものを見る目で見ていた。


「……どんな嘘かは、まだ言えないわ。……謎を解くのにはきっと……そこまで邪魔にならないわ」


「…………そう、か」


 ニコもまた、テーブルを見下ろした。


 ――まだ言えないだって?


「あ、あの、待ってください」


「…………」


「え、寄生虫の件とかは教えてはくれないんすか?」


「……ええ。つまらないでしょう」


「つまらないって……で、でもっ! それで人が死んじゃったら……ってか、もう死んでる人いるんすよ!?」


 つまらないというだけで、これから――下手すれば――この世界のほとんどの人間が死ぬことになるのか。寄生虫の感染力も、あとどれくらいのタイムリミットがあるかすら不明なのに。


「……大きな壁もあるの。……それがなくなるのなら、駆虫薬(くちゅうやく)を作ってもいい」


 ぞくりと寒気がした。それはニコも同じだったようだ。


「駆虫薬を――虫下しを、まだ作ってないというのかね?」


「……ええ」


「な、なにを考えているのだ! それで自分が死んだら、誰にも止められないだろう!」


「……あなたなら止められる。……それに」


 クロウディアの目には、なんの感情もない。


「……あなたでも無理なら、止める必要もないわ」


 その言葉に感情はない。他の人間の生死には、まったく興味がないのだろう。


「だ、だったら、その壁、どうにか解決できませんか」


 もしクロウディアに薬を作らせることができたならば、これ以上に早い解決法はないはずだ。これ以上、犠牲者を増やすわけにはいかない。


「さっきの言い方的に、もし解決できたら薬、作ってくれるんすよね?」


 彼女は時計を見た。


「……ええ、そのつもり。……あなたはきっと必要になるから……計画を少し前倒しにするわ」


「えっ。まえ、前倒しって何を……」


 そして、携帯を取り出し、どこかへとコールを始めた。同時にニコがカイの腕を小突いて囁く。


(カイ君、喋るなよ)


(え……)


(相手がどことも分からん。前哨帯とT.A.S.の繋がりをバレたくはない)


(……うす)


 クロウディア側の画面は見えない。声で察するしかなさそうだ。


 すると、ザワザワとしたどよめき(・・・・)が聞こえてきた。雑踏ではなく、困惑の声といった感じだ。


[い、いったいどうしたことかね!]


[静粛に! みなさん、いちど落ち着いてください。信号の不調と思われます。静粛に……]


 そこは公的な機関のようだ。まるで裁判所とか――。


 ――――国会?


「……わたしはクロウディアです。……正式な法改正の要求があります」


 彼女はこちらを(おもんぱか)ってか、カイたちがいないかのように話し始めた。


[これは、アレではないかね? 前哨帯とかなんとかのアレでは!]


「……はい……前哨帯の、(あるじ)です」


 それまで盛り上がっていた声たちが、一瞬で立ち消えてしまった。


「……では要求を。……姉妹婚(・・・)を認めてください」


[し、姉妹婚? 彼女は姉妹と言ったか? 姉と妹で結婚……?]


[ふん。認められるわけがないだろう]


 クロウディアは悲しげに目を伏せた。


 だが、予想外という様子は少しもなかった。


「……みなさまの身体は、いま、爆弾となっています。……ですから、認めてください」


 するとまた、静けさ。


 そのあとで、ふと数人の笑い声がした。


[そんな無茶苦茶な。我々をさらって、どこかで改造でもしたというのか]


「……寄生虫によって、感染するようにしました。……いまはどの生物でも爆弾となります……」


[なんだなんだ。まるっきりデタラメじゃないか! お前たちは何をそんなに怯えているんだバカバカしい!]


「…………」


 クロウディアがふと目を上げる。


 ニコは、しきりに首を横に振り、声にならない声で言っていた。


 ――よせ。クロウディア、よすんだ。


「……ごめんなさい。それでも」


 彼女は、携帯を何度か撫でるようにした。


「……ふたりの未来に、邪魔なものはいらないわ」


 それから、ひどく歪んだ作り笑いをした。


 急に携帯から、やや甲高く、くぐもった音割れが響き、一瞬で静寂に収束した。


 それは、いつか病院の窓から聞いた〝人間の爆発音〟と同じものだった。


 頭がほとんど真っ白になったカイは、彼女の、なんでもなかったような表情を見ていた。


 ほんとうに、なんでもなかったみたいに、一仕事終えたようでもなく、まるで話題と話題の境目みたいな顔をしていた。


 あぁ――――だめだ。


 きっとクロウディアは、ただちょっと、人としての成長が遅かっただけなのだろう。天才性など見ぬふりして寄り添えば、きっと、幸せにニコと暮らす世界だってあったのだろう。平和に終わる未来もあったのだろう。


 だがいま、その選択肢は過去に置いていかれてしまった。


 あとは、誰が裁くかだ。


「……通信は切ったわ。……声を発しても問題ない」


「――――なんてことを――なんてことをしたのだ!」


 ニコはほとんど食い気味に机を叩き、立ち上がった。


「……あなたは、彼らの暴露を楽しんでいたのでしょう」


「偉ぶっているバカのケツを叩くのが楽しいだけだ! あれでも国の中枢だぞ! その意味が分からんのか!」


 クロウディアは、だんだんと、その目をうるわせた。


「……怒ってる……の?」


「当然だ! たったいま国家が崩壊したのだぞッ!」


「……ごめんなさい……あなたを怒らせるつもりは……」


「なにを……い、いや、わたしのことではない……だろう」


 クロウディアの泣き顔を見て、ニコが、だんだんと怯んで腰を下ろしていく。


「駆虫薬は……」


 カイが呟いた。とんでもないことが起こったのは分かっている。だがせめて、世界が救われなきゃ――。


「――壁は解決しなかったわ」


 ――震える声が、希望を打ち砕いた。


「そ、そんな! だって、もう邪魔なものは……」


 彼女は答えない。ニコから嫌われることに怯えすぎて、それどころではないようだった。


「――革命の時だ」


 誰が言ったか分からず、カイどころかニコもクロウディアも固まった。


「――なぁみんな! 国会が、上層に居座っていたヤツらが死んだ! 革命の時だ!」


 クロウディアの背後の方にいる、見張りの一人だった。その抑えたような、だが上擦った震え声は、まるで宝くじでも当たったかのようだった。カイはそれを、じっと睨み付けていた。


 ――人が死んで嬉しいかよ。


「あとは、クロウディア様がどうにか、へへ、してくださるんだ」


 すると、クロウディアが振り返って「……うるさい」と冷たく呟いた。


「は、はい! すみませんでした。へへ……」


 彼は有頂天のまま、真っ直ぐに立った。そわそわと、身体のどこかしらを小刻みに揺らしながら。


「……馬鹿な奴らだ。テロで勝ち取った政治が、テロに転覆させられるとも知れずに喜んでいる」


 ニコは見張りに聞こえない程度の、ため息混じりの小声を出した。


「……ええ、そうね。……本当にどうしようもない人たちなの」


 クロウディアが頷いた。主として部下の能力不足がよく見えるのだろうか――。


 ――――待て、待て。何かがおかしい。


 クロウディアは正規軍の根回しによって前哨帯の主となった。ニコから科学者であると聞いていたので、カイは無意識に『王座に座るだけの傀儡(かいらい)と、テロリスト内で実際に取り仕切る正規軍の配下』という構図を完成させていた。


 しかしクロウディアが暴走、前哨帯を掌握した。もし想像していた構図なら、部下たちの手腕で簡単に失脚させられただろうが、そうではなかった。ジョージという男さえ、前哨帯に金を流す役割の存在でしかなく、クロウディアのコントロールという任務を完全に失敗していた。


 つまり、前哨帯内の政治を取り仕切っているのはクロウディア本人ということになる。


 末端であるあの見張りは、彼女を『クロウディア様』と呼び、この先の政治をどうにかしてくれるような期待を寄せていた。それは絶対的な信頼だ。それだけ信頼されるような実績を彼女が積み上げたのか?


 周りのメンバーを見る。みなどこか嬉しそうにソワソワとしていた。これから爆弾による意味のない巻き添えで、自分が死ぬかもしれないというのに、少しも動揺はない。


 怯えて濡れた綺麗な瞳が、怒られた子どものようにニコを見つめていた。


 彼女には、他人のことが少しも分からないという。


 ならばクロウディアは、前哨帯のメンバーにどうやって忠誠を誓わせたんだ。


「――洗脳したんですか」


 カイの言葉に、クロウディアの真っ黒な瞳が向いた。ニコの宝石のような瞳もまた、カイを見つめていた。


「ニコさんは、あなたが人の気持ちが分からないと言った。本当にそうなんですか」


「…………」


 見えた、嘘のサインが。


「前哨帯の人たちを洗脳しましたか」


「……ええ」


 これは事実だ。観念したのか、クロウディアはただ正直に返事をした。


 すると、ニコの(かす)れた笑い声。


「そ、そんなバカな。だって、クロウディアは……そんなこと……」


 だがカイは、クロウディアから決して目を離さなかった。


「――ニコさんを、洗脳しましたか」


 クロウディアは目を伏せ、誰も視界にいれないようにした。


「……やめて…………」


 初めて、呼吸に苦痛を混ぜた。


「……おねがい。…………やめて……」


 怯えて、小さくなっていくようなクロウディアの前で、カイは背筋を伸ばし、ただ、彼女を見下ろしていた。


「おれが言うか、あなたが言うかです。いま、決めてください」


 よく耳を澄ませていなければ聞こえないほど、小さな小さな、囁き声がひとつ。


「…………したわ」


 静かなテーブルに、ニコの浅く荒い呼吸だけが響いていた。

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