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ヌコマタ博士の到着

 どれくらいこの生活が続くのだろうか。クレイの妻は、避難所でそんなことを思っていた。


 プレハブの二階建てアパートが建つほど広い部屋は、意外にも快適だった。といっても、物理的環境が原因ではない。擬似的に再現された外の景色は存外に気が紛れるし、掃除の人が来てくれるので家の外も常に綺麗だが、そういうことじゃないのだ。


 試合戦争に負けた部隊の家族であること。それが、なんの理由にもならないここでは、普通の家族として過ごすことができた。ここには同じ境遇の人しかいない。


「どうも〜」


 プレハブの前で、いたずらに、通りがかった人へ挨拶をする。


「はい、どうも」


 返ってくるのは笑顔。そして何ひとつ迷いのない、ふつうの挨拶だ。


 もしかしたら何かされるんじゃないかとか、この人に挨拶を返してもいいのかなとか、挨拶を返しているところを他の人に見られたらとか……そんなことを、少しも気にしなくていい。そんな人しかいないのだ。


 この共感されない感動を、分かってくれる人しかいないのだ。


 どれくらいこの生活が続くのだろう。どれくらいで、帰らなければならないのだろう。


「……ダメダメ」


 ひとり呟いた。夫はきっと、元の生活に返してくれるために頑張って戦っているのだ。ここで過ごすことが心地よくなってしまっただなんて、口が裂けても言えたものじゃない。


 ……ただ、何人かに声を掛けるのはいいかもしれない。この一件が終わったら、T.A.S.の雑用係か何かになって、また共に過ごせる生活を送らないか、と。


「なんだって!? なんでいったい……」


 驚愕の声が響いてきて、ハッとそちらを見てみれば、いつも搬入に来てくれている隊員を、数人が囲うようにしていた。


「い、いや、まぁ戦ってくれているのは分かるけど、どうしてテレビ禁止だなんて……」


「すみません。僕も教えて欲しいくらいで、何度聴いてもどうして禁止か言ってくれないんです。勝手な想像ですけど、最近ニュースが色々言うから、不安にさせないためなのかなって……」


「ニュースなんかみんな話半分にしか聞いてないよ! 普通のバラエティとか見せてくれればいいじゃないか!」


「うぅん……あ、じゃあそういう番組だけ録画して見られないか、かけあってみますね。それならきっと……」


「あぁ……いや、なんか悪かったですね。強く言ってしまって」


「いえいえ! いいんですよ……」


 やり取りを見ながら、まいったな、と彼女は思った。


 子どもを退屈させない最終兵器が無くなっちゃったぞ、と。


「あの……」


 パタパタと走っていき、去ろうとした隊員を捕まえた。


「すみません。その、代わりの娯楽というか、そういう注文って受けてくれたりはしませんか」


「代わりの娯楽……?」


「例えば、ゲームですとか。ウチの子どもが欲しいと言ってるんですけど、そういうガジェットって高いですし……」


 そう言うと、彼は破顔した。


「あぁ。いいですね。きっと買えますから、それもかけあってみますね」


「ありがとうございます!」


 ペコリと礼をして、今度はしずしずとプレハブに帰っていく。


 しめた。これであの子もちょっとは明るい気分になるだろう。学校でどうだったかは分からないが、学校以外もないここでは退屈だろうし。


 自宅へと戻れば、彼女は顔をしかめた。子どもが指先を、変にボリボリと掻いていた。


「コラ。やめなさい?」


「だってかゆい……」


「もう。ゲームが欲しいって隊員さんに言ってきたのに――」


「えっ! ゲーム!?」


 すごい食い付きで、思わず吹き出してしまった。それでも子はその場でピョンピョン跳ねた。


「やった! え、あのゲームさ……」


「コラ跳ねないの。下の人に迷惑でしょ? それと……」


 母は子どもの手を取った。


「ボロボロの指じゃゲームできないよ?」


 その指の皮膚は、掻かれて薄くなっているようだった。


 ……ストレス、かなぁ。



――Okhra――

 観測室でカイを眺めながら、オークラーは考え事をしていた。


 さっき見てしまったニコの一糸まつわぬ姿を思い返しては悶々として、それどころじゃない、と振り切ってを繰り返している。


 いまは部下やカイたちや、なにより避難してきている隊員の家族たちのため、しゃかりきになるべきところだ。


 それを、こんな些事に乱されている。彼女はそう思いながらため息をひとつ。


 ……私はニコを愛している。彼女は私を愛している。それが分かった上で、いまだに私は許せないと拳を握っている。


 いつまでこんな簡単な問題を抱えているのだろうな。


「……集中しろ」


 自らに命ずる。オークラーは目前のカイの様子を見つめていた。


 順調に敵を倒してはいる。しかし、やはり戦闘に関しては素人だな。バッファを使っているから十分に判断する時間はあるだろうが、肝心の判断力が追い付いていない。


 ……危なっかしいな。


 前哨帯のファイマンより、下っ端の数が脅威ということで、訓練された敵ではなく、相手は一般的な暴力団や小型テロ組織といった犯罪組織の設定でやっている。


 テロリストの大半は戦闘の素人。セオリーらしいセオリーが無いから、むしろ厄介である。普通ならお互いに遮蔽物越しで撃ち合いをするのだが、たまに身体を丸ごと出してくる相手もいる。的ではあるが、じっと狙うだけ精密な射撃をしてくる。撃ったまま走ってくるヤツもいる。


 結局、どんな戦略も『捨て身で相打ちする』という無茶苦茶な行動に壊されてしまう。そういう手合いがいる前提で慎重にならなければいけないのだ。それ故に、時間のかかる道を迅速に辿らねばならぬのだ。だが……。


 壁の角に隠れているカイが、ホールで待ち伏せしていた五人ほどの男たちにマシンガンを撃たれていた。ふとテロリストの一人が柱から飛び出し、マシンガンをぶっぱなしながら肉薄する。


 カイは咄嗟にスタンバーストを放ち、弾丸の雨ごと暴走男を吹っ飛ばして壁に叩きつけた。そうして角から飛び出し――。


 ――残り四人が撃っていたマシンガンの弾が命中した。ARの時が止まる。


 カイは苦い顔でバッファを切り、頭を掻いた。


《すいませぇ~ん……》


「惜しかったな。だが、ああやって無茶苦茶をやって相手をパニックへ陥れる手口は、誰よりもお前がよくやっていることだぞ」


《うっす……》


「カイ、まずはとにかく、基本を守れ。よくある勘違いなんだが、基本は応用のための踏み台じゃない。『万能という意味での最強が基本』だ。高級な装備が強いように、堅実な基本は強い」


《なるほど……ためになるっす》


「基本を知ることは、相手の強みを知ることでもある。その上でされたら嫌なことをするのが応用であって、戦略だ。勝つためには卑怯という考えを捨てろ」


《おー……じゃあほんと、格ゲーっすね》


「かくげー……?」


 隊長が出した少し間抜けな声に彼は思わず吹き出して、いたずらな顔で笑う。


 世間知らずを笑われているのだろうと、恥ずかしいような気持ちもあったが、カイの笑顔が心地よくもあった。


 そのたびオークラーは今みたいに、少し顔を染めて仰々しく咳払いをする。


「こほんっ。ガジェットに頼りきりになる前に、まずは基本をもう一度だこっちに来い」


 そういうと素早く駆けてやってきた。まるで新米(ルーキー)で、オークラーも鞭撻に熱が入る。


「戦闘になったらちゃんと遮蔽物に隠れてだな――」


 そうして、授業が始まった。色々な基本の話で、隠れられるものの近くに陣取るとか、逃走経路は常に確認することとか、マシンガンの撃ち方、フラッシュグレネードやらスモークグレネードを投げるタイミングや……、敵の弾切れを知るための…………。


 …………と、熱が入って色々と詰め込んでしまったが、カイは熱心に聞いてくれた。


「特殊部隊の戦闘ってこう、めっちゃ撃ってなんか無双するってことじゃないんすよね。意外っす」


 オークラーは苦笑いをする。


「迅速な制圧は確かに理想だ。だが普通はそうそう映画みたいな戦い方はできんからな。普通側に立ってみて、相手の弱点が見えたか?」


「距離を詰められて横移動されたらもう無理っすね。しかも、あんなのに」


 カイが窓の外のカジェットを指差した。するとオークラーは満足そうに頷いた。


「合格だ。今回はCQB(近接戦闘)しか教えていないが、それはカジェットで一気に距離を詰められるからこそ、だ。時間があればもっと突き詰めて、せっかくなら対スナイパー訓練もしたいところだな」


「おーっ。もうぜひぜひ、お願いします!」


 随分とあの闇は薄くなっていた。乗り越えるのが早いようで、オークラーとしては安心するばかりだ。


 通信機越しにカイが見せたあの闇は、もう二度と見たくないと思っていた闇だった。


「なぁ、カイ」


「ん?」


「私が、ついている」


 そう言うと、彼はちょっと驚いた顔をして、照れたように目をそらした。


「コラ。変な反応をするな」


「い、いや、そういうんじゃなくてもキレイな人にそう言われたら照れる……じゃないっすか」


「一途じゃないのか」


「一途っすよ。何があっても、絶対にミィを救います」


「頼れるリィラも、頼りないがニコもいる。不安があるか」


「ありません」


「よし。背筋を伸ばしておけ」


「はいっ」


 彼はピンと背を伸ばした。


 そのとき、ニコとリィラがいる研究室からパァンと音が鳴り響いてくる。さっきから気軽に爆弾Ppを爆発させているらしく、リィラを行かせるべきじゃなかったと後悔していた。


「なにしてんすかね……」


「なんにせよ、味方の安全確保に間に合うならいいさ」


 お互いに廊下の向こうを見ていると、ほとんどがなり声がどこかへ連絡しながら近付いてきて、全裸のニコが飛び出してきた。


 あまりにも急なことでカイもオークラーも固まり、それからふたり同時に素早く振り返った。


「どわぁ!?」


「な、なんだ!?」


「ちょっと裸で失礼するよ! 汚染された防護服のまま出てくるのもなんなのでね!」


「服くらい着ろヘンタイ博士!」


 リィラの声がしてひと安心だった。一瞬、彼女に何かあったんじゃないかと不安になってしまったが、杞憂だったようだ。


「ニコ! お前ってやつはいつも……!」


「なんだい、この胸にむしゃぶりついてたクセに!」


「や、やめないかっ! まずは服を来てこいこのバカ!」


 二人の性事情を話題にされて、カイは居心地が悪そうだった。


 少し振り返る。一糸まとわぬ彼女の身体はあの時のままで、また心を乱された。


「んもう。ふたりとも、かわいい女の子の裸くらい見慣れたまえよ! 緊急事態だというのに!」


 急いで戻っていったと思えば、裸に白衣型の上着を着て、前をしめるだけというありさまだ。はち切れそうな胸元と、その谷間を見せられ――。


 ――人をそういう目で見ることなどなかったのに、コイツのせいでまったく――。


「いいかね、解析した試料を……もとい、爆薬となったプロトを空気中に投げたのだが、なんと発散現象でさえ爆発すると分かった! これは大変なことだぞ!」


 肝がさっと冷える感覚があった。


「発散……蒸発でか? ということは……」


 発散とは、Ppが体外にこぼれたら熱となって消えてしまうあの現象のことだ。


「そうだ。火を付けられるどころか、〝かすり傷ひとつで大爆発する〟ということなのだ。たかだかささくれ(・・・・)が、グレネードのピンとなっているのだよ!」


「それじゃあ、爆発する可能性はこれでふたつ、か」


 ニコの笑顔を見ると爆発する。


 そして、少しでも怪我をすれば爆発する。


 ……そんな無茶苦茶な。同じことを思ったか、カイは頭をかいた。


「で、でも日常茶飯事じゃないっすか、そんくらい。たかだかそんなことで……」


「そんなことで爆発するからまずいのだ! 人生でほんの少しも傷つかない期間の短さを知らんのか!」


「じゃあどうするんすか」


「その連絡はもう済んだよ。全員を個別に収容するしかないのだ、感染(・・)の疑いがあるものは、一人残らず」


 その予想外の言葉に、場の空気が変わった。


「――感染だと?」


「確定するまでは黙っていようと思ったが、まぁあとは顕微鏡で覗けば済むことだ。いいか、添加剤の正体とはね――」


 そう言いかけたとき、観測室の扉が開いた。


 彼女は白衣の中にスーツのベストを着ており、片手に旅行カバンを、もう片手をポケットに。少女であるリィラと同じくらいの低身長だ。


 ニコが呼びつけたヌコマタ博士というのはおそらく、この仏頂面なのだろう。


 突然の訪問にも関わらずカイは表情を崩した。


「あ、こんにち――」


「あ"ぁ"? なに見てんだ」


「え、ごめ、ごめんなさい! ……え? ごめんなさい……?」


 なぜかいきなり噛み付かれ、カイは訳の分からない謝罪をした。


 なんだコイツは……前哨帯(テロリスト)の一味か……?


「おぉ! 来たね!」


 ニコが彼女の前に出て、手で指した。


「彼女は寄生虫研究家のヌコマタだ。そう、添加剤の正体とはね――」


 ニコはパンと、手を叩いて合わせた。その顔は、笑っていなかった。


「――寄生虫(・・・)に違いないのだよ」


 その瞬間にまた、和らぎかけた空気が変わった。


 ヌコマタは訳が分からないといったふうに。オークラーたちは、現実から剥離していくように。


 人間を爆弾に変えるものの正体が、寄生虫だと?


 生物であって、感染して、広がっていくものであると、本気で言っているのか。


 カイたちの顔色も見るが、同じく衝撃を受けたようで赤黒(あお)くなっていた。


「さて、よろしくたのむよ、ヌコマタ君」


「ニコ博士。来る途中から訝しむ気持ちが勝ったので言うが、直々に呼び出しとはどういうことかね。まさか、寄生虫で釣ったか」


 呼び出しただけでこの言いぐさだ。ニコはよほど信用がないのだろうか。


「いいや、ちゃんと寄生虫研究で力を貸して頂きたい。今までにない症例でね」


 ニコがそう言うと、ヌコマタは鋭い目を丸くしてきらめかせた。


「まぁ……寄生虫かどうかはキミの目からも見て判断して貰うが」


 ヌコマタの目が元に戻った。


「奇妙に聞こえるだろうが、ガジェットと寄生虫の中間の存在のようでね。これがどうにも……。まるで思考実験だよ」


「なんだ。悪ふざけか?」


「冗談のようだが本当だ。わたしの笑顔を見ると体内プロトを連鎖的に燃料化して、人体ごと爆発させるのだ。宿主を殺すならいっそパイル現象に頼った方が楽だろうに、わざわざそんな回りくどいことをしてきたのだ」


「確かに、パイルでスパイク化させる種はいるが、燃料化でジェット化などという存在はいないな。テロ行為のために改造した、か? どこのバカだ。寄生虫ちゃんを苦しめるヤツは」


 寄生虫に『ちゃん』を着けて呼んだ……。


 オークラーはヌコマタという人から目が離せないでいた。もしかしたら、心労(ニコ)がもうひとり増えるかもしれない。


「あるテロリストのボスだ。それで……どう思うね」


「既存の寄生虫ちゃんと既存のガジェットと組み合わせた……とは違うのか」


「それだけだとガジェットの自己複製ができんのだよ。未知の方法で生体をガジェット化させたとしか思えん」


「どうあれ、生物である以上は繁殖・持続する。そのために寄主から何らかの栄養を受けるはずだ。プロト、バフィノ、果てはニューロンに取りついて発火の信号だけを食う、というのもある。人間を燃やす機能が後天性の獲得であれば、待機宿主――つまり寄主を一時的に『ちょっとした乗り物』にするだけかもしれん。するとかなりマズイ」


「マズイのかね? それならばほとんど栄養は取られないように聞こえるが」


「だからだ。特定の栄養が著しく減るなり症状が出るなりした方が、寄主は見つかりやすい。そうでないなら『特殊な検査法』を確立する必要が出る。さらに言えば、ライフサイクルにおいて寄生虫ちゃんは現在の宿主の次の宿主――前者を中間宿主、後者を終宿主というが――を探す場合がある。それで万が一にも終宿主となる動物を見つけた場合、そこから一気に感染が広がる」


「なるほどねぇ。ま、ともあれ全てが分かればルートも分かる。業者か土地を調べてたどり着けるだろう。と、いうことで、それを解明するため智恵を貸して頂けるかね」


「言われずとも」


 ニコは奥の部屋を指差した。


「宿主はいるが、最終手段だと思ってくれたまえ。Ppを別に貰っているので、それである程度のことは分かった」


「用意がいい。サンプルは十分だ。住プロトとなると、かなり種は限られるな……」


「そうだろうそうだろう?」


 ヌコマタはポケットに手を突っ込んだまま、オークラーとカイを品定めするように眺めた。


「……おおかた、その女と男は隊員だろうな。それで……」


 そして、目線だけ下ろしてリィラを見下した。


「このガキはなんだ」


「あ?」


 リィラがポケットに手を突っ込んで、ヌコマタのすぐ目の前までゆっくりと迫る。


「誰がガキだ」


「他にお子様は見当たらんがな」


「鏡見たことねーのかぁ? チビガキぃ」


「文句でもあんのかこの野郎ッ」


「ナメてんじゃねぇ!」


 同時に互いで胸倉をつかんだので、オークラーがヌコマタを、カイがリィラを掴んで引きはがした。


「……結構だ。そう腕を掴まんでいい」


 ヌコマタが身体ごとひねって掴む手から逃れた。


「ったく。これだからよぉ」


「まぁまぁ……」


 リィラをカイが落ち着かせている。


 ……いかんな。致命的に相性が悪い。それに気付かず笑っている辺り、さすがニコと言わざるを得ない。


「笑っている場合じゃないだろう。お前が集めた人員を、お前が管理しないでどうする」


「そう言われてもねぇ。計画に使えるか邪魔かしか興味ないんだ」


「行き当たりばったりのどこが計画だ」


 あるいは、アマべの一件で心を開くことを諦めたか――。


 そうだと思えば、このロクでなしの言動も少しは許せた。


「仕方ない。わたしから紹介するとね、ヌコマタ君。彼女はリィラだ。ガジェットについて、ここにいる誰よりも詳しく知っている」


「自分が主にしている研究対象を忘れたのか?」


「最近ガジェットが面白いからそう名乗ってるだけだよ。もっとも、今から熱心にやって彼女に追いつけるとは思わんがね」


 とても信じられないといったように、醒めた目でリィラを見下していた。


 それに対し、リィラは不敵に笑った。


「動物を追っかけるためのトレーサーっつったらPG社のDeParaTシリーズでしょ。直に信号を発信するやつなんだけど、小さいわりに頑張ってて、割と遠くまで追えるんだよね。でも、寄生虫を対象にしたトレーサーはなかった。だからアンタらヌコ研が『周波数バフ探知式追跡機』を作った」


「そんなもの、製品のカタログを見れば分かることだ」


「あの欠陥も、カタログに載ってたっけ?」


「む……」


「空気でもPpでも、流体の速度が早い場所を追うには難しい。あっという間に探知圏外に出ちゃうんだろ? 理論値より、ずっと短い範囲で」


 ヌコマタは答えず、自分のカバンに手を伸ばしかけて止めた。どうやら図星のようだ。


「それ、タッチレスチャージャー使ってるからなんだわ。供給クロックの脈流が、その先の高周波で稼働してる精密機器に直に干渉してるわけ。だから高周波回路にすんなら供給が多少面倒になっても実線で繋ぐか、脈流を打ち消す容量を作っとかないといけねーんだ。ノウハウないくせに背伸びすっからこんな初歩ミスすんだよ。ホライズンに委託しろよ。ったくさぁ」


 その仕草はもはや、一端(いっぱし)の工場長のようだ。


 ヌコマタはニコの顔を見た。ニコはただ、両眉をピョコピョコと跳ねさせた。


「……蠕虫(ぜんちゅう)の調査において使用するトレーサーはいいだろう。では原虫(げんちゅう)は?」


「えーっと、小さい方だよな? ってか、おっきいのがゼンチューで合ってる? で、小さいのがゲンチュー?」


「そうだ。小さい方が原虫だ」


「ん~。んー……? 聞いたこと無いけど。あるの?」


「あるものを答えるのは簡単だが、無いものを答えるのは難題だ。道理でニコ博士が自信満々に紹介するわけだ」


 リィラは、絵に描いたようなどや顔になった。


 比較的、和やかだ。今なら挨拶できるなと判断したオークラーが一歩前に出た。


「第四十七部隊隊長のオークラー・ポルピュラーです。そこのニコ(ロクでなし)の協力者です」


「ハッ! ニコ博士をロクでなし呼ばわりか。気に入った!」


 なるほど。どう接すれば良いかはだいたい分かった。


「おれはカ――」


「誰だテメェ……?」


「あ……すんません……」


 カイは謎の返り討ちにあった。何がいけなかったのだろう。


 さて、とニコは手を叩く。


「――挨拶も終わって、ちょうどいいタイミングだ。どうだね、みんなで寄生虫の正体を見ようじゃあないか。リィラ君のおかげで、爆薬がどのように爆発するかが判明した。あとは、安全だと分かった顕微鏡でのぞくだけでいいのだからね」


 ニコが先導を切り、ヌコマタもそれについて行く。カイもそれを見て行こうとするのを、リィラが腕を掴んで止めた。


「ちょ、ちょっと待ってよ。あの部屋ってほら、虫をまき散らしたんでしょ? 戻ったらあぶねーって」


 さっきまで居たはずなのに、虫と分かった途端にあの様子だ。


 それに対しニコは、特に大きな反応もなく淡々と言った。


「今回の虫は住プロト吸虫に分類されるのだが、さっきも言ったようにサイズが大きい。デカさ故に空中を漂い続けることはない。すぐ地面に落ちるからね」


「でも、身体に入ったらやばくね?」


「そうだねぇ。出入りした靴を履いたまま、あぐらをかいたりするような危機管理と姿勢の悪いヤツは危ないだろうが……」


「殺虫タオルの程度の備えもないとはな」


 ヌコマタが言ったと思えばカバンを置き、中から一枚の分厚い布を取り出した。見ようによっては玄関マットのようだが、横にボトル容器と、コントローラーと思われるパネルが付いていた。


「規則一、汚染室内で物に触れていい身体の箇所は手と足だけだ。規則二、出る際には手と足をこれで拭け。寄生虫ちゃん感染の予防ルールだ」


 マットをボンと置いてから、彼女は腰元に手を伸ばした。


「あの部屋で鼻をかいてみろ。コイツで撃ち殺すぞ」


 ヌコマタは懐から拳銃を取り出した。オークラーは反射的――というより、もはや本能的にその銃を奪う。そのあとで、リィラが銃に驚いて一歩退き、カイがリィラをかばって前に出た。


「テメェ――!」


「――職業病でな。規則三、火器厳禁だ」


 ヌコマタという人は本当に学者なのだろうか、と獣のような顔を見ながらオークラーは思っていた。


 その顔が、すっと落ち着いてまた仏頂面。


「…………職業病なのはこっちもだ。これで言うことを聞かない奴はいなかったのでね」


 ただの脅し用、か。それはそうだろうな。少し手慣れた抜き方だったが、訓練で得たものでないことは明らかだ。恐らく彼女は、現地仕事(フィールド・ワーク)での護身用に持っている。


 射程距離というアドバンデージを使わない銃は、ただの使いにくいナイフでしかないことさえ知らないのだろう。


 カイの少年みたいな目線を受けながら、銃をヌコマタへと返した。それから微笑んで、リィラへと手を伸ばした。


「じゃあ、行こうか」


 少女は口をとがらせてプイと前を向いた。


「び、ビビってねーし!」


 少女を先頭に、五人で研究室へ入っていく。


 中は想像通りの研究室だった。博士と聞けば思い起こす、様々な機器が並ぶ部屋だ。ただひとつ、ある空いた机の上が焦げと傷だらけで、その周辺のガジェットもまた点々に傷ついているところを除けば、だが。


「さぁさぁ。なぜ顕微鏡で見るなんてシンプルなことを後に回したかと言えば、スペシャリストに見てもらうためさ。映像なんかより分かりやすいだろうからね」


 テキパキと準備を進め、ニコはパワーボタンを押した。


 ディスプレイに映し出されたのは、Pp色の光と、小さな粒たちだ。まだ倍率が小さいのだろう。


「心の準備はいいかい? ご対面の時間だ――」


 画面が粒たちへと、一気に迫っていく。


 それは影の粒から、その細部の凹凸にピントが合っていき――。


「うわ……」


 最初に声をあげたのはリィラだった。カイも手を口に当てている。オークラーだって同じ気持ちだ。


 モニターには、小さな節足の虫が映し出されている。合計で六本の足を持ち、四本を試料容器の底を歩くのに使い、もう二本を口の横から牙のように突き出していた。


 寄生虫と言うので、ヒモのような形を想像していただけに、ひどい衝撃があった。


 これが――人の体の中に住み着くのか。


 寄生虫を目前に、ヌコマタの眉間にシワが刻まれた。


「……なに? ニコ博士。視点を移動させろ」


「いいとも」


 画面が移動し、他の虫が映り込んでは過ぎ去っていく。見た目には同じ虫しかいないようだが、たまに、小さな丸い玉も映りこんだ。


「いや……そんなバカな。この一種類だけなのか?」


「わたしにも、そう見えるねぇ」


「あの、小さい丸いのは何すか?」


 カイが言うと、ヌコマタは画面から目を離さず「卵だ」と呟いた。


 そうか。卵も体内を……。思わずゾッとしたのは自分だけじゃないと、オークラーはリィラを見て少し安心し、そっとくっ付くように隣に立った。


 ヌコマタが咳をひとつ。


「この寄生虫ちゃんの名は――ナラカム・レガイオだ。住プロト吸虫の一種で、プロト(Pp)を食って成長、卵を産むと『嫁入り道具』と呼ばれる習性で、卵を前足で抱えて他の宿主(しゅくしゅ)へ感染しようと構える」


 そして彼女は腕を組んだ。


「代表的と呼べる機能は、それだけだ。外に出るのも宿主を傷つけず自力で歩いて這い出るような種だ。つまり――燃料化どころか、人体に危害を及ぼすことさえないと言っていいだろうな。少なくとも、生存戦略で得た機能ではな」

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