二重の呪い
私の名前は灰原愛、高校生だ。
私が通っている高校は偏差値でいうと上の方でわりとおとなしめの子が多い学校だ。
今日私はある計画を実行することになっている。
その計画のターゲットは前原誠、許されない男だ。
前原誠は私と同じ高校の同じ学年でクラスが違う。運動部に所属している。
彼はテニス部員で私の調べた所によると地区大会でベスト8に入る、そこそこの実力の持ち主だ。
今日は2月10日、バレンタインデーの4日前だ。
私は今日、前原誠にチョコを渡す。彼が学校から帰る途中を待ち伏せてチョコを渡すのだ。
別に告白しようというつもりではない。
私はあの男が嫌いだ。
私がチョコを渡す理由は他にある。
私が渡すチョコには毒が入っている。
私の家は魔女の家系――おばあちゃんがそう言っていた、もう死んでしまったが、だから家には色々な木の実や薬草、トカゲの干物など、魔術に使うような道具がいっぱい置いてある。
その中には、食べた相手に激痛を与えて苦しみながら殺すことが出来る毒物も含まれている。
それを昨日私はチョコの中に入れた。
そして、今日そのチョコを彼に渡すのだ。
私のチョコを食べた彼は苦しみ、激痛に身を悶えさせながら倒れてピクピク虫のように這いずり回って死ぬ。
いや、死にはしない。なぜならその前に前原誠の腹を私がナイフ――我が家に伝わる刃渡り15cmで柄の所に黒水晶がはまっている、昔先祖が生贄の動物の身体を儀式の時に切り裂くのに使ったナイフを使って切り裂き、彼の生肝を取り出しその生肝から滴る血を私が吸うのだ。
そうすれば、私の中に眠った魔女の血が目覚める。
そう、私は魔女になるために生まれてきた女。前原誠はそのための犠牲になる男だ。
前原誠は犠牲にならなくてはならない。
なぜなら、彼は私の愛する河内隆二君を侮辱したからだ。
3日前に彼は皆んなの見ている前で河内隆二君に向かって「お前は最低だ」とか「絶対に許さないからな」と言って、彼の胸ぐらを掴んだ。
それをクラスの他の子たちが見ている前でしたのだ。
かわいそうな隆二くんはショックを受けたような顔をして落ち込んでいるようだった。
私は前原誠を許さない。
計画の実行日を今日2月10日にしたのには理由がある。
もし14日にチョコを渡すとなると、バレンタインデーにチョコを渡すのはひと目を引きすぎる。その日は皆んな誰が誰にチョコを渡すのかに注目しているので、私の姿を見られては困る。
だからテニス部の練習が休みの今日、学校帰りの彼にチョコを渡すのだ。
場所は雑木林の前の人気のない場所だ。この辺りは薄暗くて人気もあまりない。
ここでなら他の人間に見られずに計画を実行に移すことができる。
私は今、彼の後ろから5メートルくらい離れながら後をつけて歩いている。
もうすぐ例の場所だ。
よし、今だ。
走って彼を追い越し、彼の前に回り込んで、そしてチョコを渡すのだ。
「前原君」
「えっ」
突然後ろからやってきた私に彼が驚く。
「これ、受け取ってください」
私がチョコを差し出す、毒入りのチョコだ。
「あー、バレンタインのチョコか。毎年バレンタインの前にチョコをくれたりする女子がいるんだよな。当日に渡すのが恥ずかしいからと言って」
前原誠が照れ笑いをする。
お前なんかにチョコを渡す女の気が知れない。いいから黙ってチョコを受け取れ。
「ずっと、好きでした。だから受け取ってください」
「しょうがないなあ。じゃあもらっておくよ」
そのままチョコを持って彼が立ち去ろうとする。
何やっているんだ、今食え、そうじゃないとお前の生き肝の血を吸えないだろう。
私は彼の手をつかむ。
「今食べてください。昨日徹夜で誠君のために作ったから誠君が食べて喜んでいる所が見たいんです」
「えー、今? しょうがないなあ、もてる男はつらいなー」
前原誠がチョコの包み紙を破り、中からチョコを取り出し食べようとする。
さあ、食え。
それを食った時がお前の最後だ。
私は隠し持っていたナイフを彼に見つからないようにひそかに取り出す。
「これが被害者の死体か」
「そうです」
「被害者の名前は確か……」
「灰原愛、近くの高校に通う高校生で16歳です」
「そうか」
刑事の町田鉄平が被害者の女性に被されたシートを持ち上げる。
彼女は苦しそうな表情を浮かべ、口からは血を流している。
町田はシートを元に戻した。
「それで、あっちの方にも死体があるんだったな」
「ええ」
「それで、そっちの身元は?」
「前原誠、灰原愛と同じ学校に通う高校生です」
「同じ学校か」
「そうです」
「偶然のわけはないか」
「たぶん」
新米刑事の木下洋次が何かを言いたそうな顔をしているのに町田が気づいた。
「どうした、何かあるのか」
「被害者の死因なんですが……」
「それは鑑識の結果が出てからだろ」
「そうなんですが、前原誠の死体がちょっと……」
「ちょっと、何だ」
「腹を刃物で切り裂かれているんです」
「何、どういうことだ?」
「分かりません。ただ、灰原愛の死体の近くに人間の膵臓と思われるものが落ちていたんです」
「それが前原誠のものだと言いたいのか?」
「たぶん」
町田が頭を掻いて、面倒くさそうな顔をする。
「やれやれ、今夜は残業だな」
「じゃあまたね」
「ああ」
河内隆二が家に帰ろうとすると、見知らぬ男が二人彼の前に現れた。
「今のは彼女ですか?」
「ええ、まあ」
不審そうな顔をする隆二に歳を取った方の男が警察手帳を見せる。
「ちょっと、話を聞かせてもらってもいいですか」
なぜ、刑事が俺の所に? まさかあのことがバレたのか?
隆二の表情が緊張する。
「はい、いいですよ」
「すぐにすみますから」
「それで、何が聞きたいんですか?」
「あなたは灰原愛さんをご存知ですか」
「はい、同じクラスですから」
「そうですか。彼女のことはもう……」
「ええ、聞きました。学校ではその事件の話題でもちきりですからね」
何だ、何を聞きたいんだ。
あのことは警察には絶対にバレないはずなんだから。
「灰原さんの家のことはご存知ですか?」
「知りません。彼女とはあまり親しくなかったので」
「彼女の家には色々な物が置いてあるんですよ、薬草や木の実やトカゲの干物とかね、他にも黒魔術の本だとか置いてありましてね」
「そうですか」
「他に彼女の部屋には色々な物が貼ってあったんですよ。たぶん写真だと思うんですが」
「どういうことですか」
「壁に日焼けの跡があるんですよ、何か貼ってあったような、でもそこには何も貼っていない、おかしいでしょ」
「……」
「誰かが壁に貼ってあった写真を持っていったと思うんですが、あなた知りませんか?」
「知りませんよ。それが僕と何の関係があるんですか」
「あなたが灰原さんとお知り合いなら、そのことを知っているんじゃないかと思いまして」
「さっきも言いましたが、彼女とはあまり親しくなかったんで」
「彼女がお守りを持っていることを知っていましたか?」
「いえ、お守りって?」
「彼女の死体が身につけていたお守りに、あなたの名前と写真が入っていたんですよ」
くそう、そんなものを持っていたなんて聞いていないぞ。
「それだけじゃないんですよ。その中に髪の毛が入っていて、たぶんあなたのものだと思うんですが」
「知りませんよ」
「そうですか。あなたが知らないのなら、彼女が一方的にあなたを知っていたのかもしれない」
「といいますと」
「灰原さんはあなたのことを、たぶん愛していたんでしょう。あのぐらいの年頃の女の子にはよくあることですからね」
「さっ、さあ、知りませんよ」
「そうですか、じゃあ聞きたいことは聞いたので、これで私たちは失礼します」
「そうですか」
「では、これで」
町田が木下と一緒に去る。
「おい、景子。俺の所に警察がきたぞ」
隆二が大声で喚き立てる。
最上景子はそれを黙って聞いている。
おろかな男だ。警察がやってくることになるだろうことは、前に彼に話していたはずだ。
なのにこんなに取り乱すなんて。意外に肝っ玉が小さいのね。
「大丈夫よ。警察には何も分かりはしないわ」
隆二の肩をやさしく撫でる。
「大丈夫じゃないよ。あいつら、灰原の家から無くなったことに気がついているんだぞ」
うるさい男だ。こんなことなら前原誠と付き合っていた時の方が良かったかもしれない。
私は前原誠と付き合っていた、でもテニス部の練習に時間を取られてばかりいて、私とのデートをほっぽりだす誠に嫌気がさして、前から私に好意があった河内隆二と付き合うことにしたのだ。
「無くなったって、何のことを言っているの?」
「灰原が部屋に張ってあった、俺の写真や俺について色々書いていた日記とかのことだよ」
「ああ、それね」
私が彼女の部屋から盗んできたのだ。警察が彼女の部屋を調べた時に部屋中に貼ってある河内の写真や彼女の日記を見たら、二人に関係があると考えるのが普通だろうと思ったから、二人の接点になりそうなものは処分したのだ。
「私が捨てたわ」
「何でそんなことするんだよ」
「もうしてしまったことはしょうがないわ」
「……もう余計なことはするなよ!」
「分かったわ」
隆二は怒りながら帰っていった。
彼は怯えていたのだろう、だから騒いで怒っていたのだ。バカみたい。
「最上景子さんですか?」
年配の男性が私に話しかけてきた。
一緒にいる若い男が警察手帳を見せる。
隆二が言っていた警察って、たぶんこの二人ね。
「はい、そうですが」
その後、私は刑事たちと話をした。
刑事たちは私が灰原愛と中学時代に同級生で仲が良かったことを突き止めていた。だから私に灰原愛のことを聞いてきた。
私が「高校に入ってからはあまり親しくしていない」というと「彼女が人を殺そうとしていたことはご存知ですか」と町田と名乗った刑事が私の目を見ながら聞いてきた。
たぶん私の反応を見たかったんでしょうが、彼女が前原誠を殺そうとしていたことはすでに私は知っていた。だから、刑事の目を見ながら「知らない」と言ってやった。
「そうですか」と残念そうに言う町田。私は隆二と違ってヘマはしない、残念だったわね。
「では、他の女性を殺そうとしていたのかもしれませんね」と言って町田が立ち去ろうとする、「えっ、女性? 男性じゃないんですか」と私がつい聞いてしまった。だって彼女が殺そうとしていたのは前原誠のはず。彼は男性だ。
「どうして男性だと思ったんですか?」と町田がするどい目つきで私を見ながら言う。刑事は私を疑っているようだ。
「だって、学校ではその噂でもちきりですもん。灰原さんが前原誠を殺したんだって」と私が誤魔化して言うと「そうですか」と町田がつぶやく。
刑事の話によると、灰原愛は妄想に取り憑かれていて、男と女に毒をもって彼らが苦しんで生きている間に彼らの腹を切り裂き、中から生き肝を取り出してその血をすすると魔女になると思っていた。
男の方の名前は前原誠で女の方の名前が最上景子、つまり私だということだった。それは彼女の日記を見て警察が知ったのだという。
彼女の部屋には二重底の引き出しがあって、そこに隠してあった日記にそう書いてあった、刑事はそう言った。
刑事たちが帰った後、私は心を乱されて、息苦しくなり、ベッドに横たわってその日は早めに寝ることにした。
具合が悪い時には早く寝た方がいい。明日の朝には心が落ち着いて具合が良くなっているわ。
次の日の朝
「景子さんいますか」
河内隆二が景子の家にやってくると景子の母が、「あの子、まだ寝ているのよ。ごめんなさいね。起こしてくるから、ちょっと待っていてね」と娘を起こしに部屋に行った。
トン、トン。
「景子起きなさい、隆二くんよ」
返事がない。景子の母がドアを開けて中に入ると、そこには恐怖にゆがんだ顔をした景子の死体が転がっていた。
2月9日
私は灰原愛、今日友達、いえ友達のふりをしていた最上景子と一緒にチョコレートを作っている。
彼女にはバレンタインデーの練習のためにチョコレートを作るから手伝ってといってある。
彼女が生クリームと混ぜているチョコレートにはすでに私が毒を入れてある。家にあった中で一番強力なやつだ。それを食べて明日前原誠は死ぬ。
私は彼女がチョコレート作りに夢中になっている間に彼女の飲み物にこっそり毒を入れた。
彼女は私が飲み物に毒を入れたことに気がついている。
彼女が私の部屋に勝手に入って、私の日記だと思っているものを読んで、今日私が彼女の飲み物に毒を入れることを知っているからだ。
私が冷蔵庫にバターを取りに行くと、景子はこっそり私と彼女の飲み物を入れ替えた。
彼女は私の飲み物にも毒が入っていることは知らない、それは偽の日記には書いていないからだ。
私がバターを持って戻ると景子が素知らぬ顔で私の方を窺う。私は知らないふりをして飲み物を飲むと彼女はにやりと笑い、自分の毒の入った飲み物を飲んだ。
彼女のコップに入っている毒は前原誠に使うのとは違い、効いてくるまで時間がかかる。
おそらく3日後の夜あたりに彼女の身体はじわじわ弱っていき、最初は具合が悪いと彼女は思うだろうがそうではない。心臓の動きを弱くし、徐々に身体の動きを奪うのだ。おそらく朝までには彼女の命は尽きていることだろう。
私は彼女の家に真夜中に侵入して、彼女の身体をナイフで切り裂き、中から生き肝を取り出してその血をすするのだ。
その時に、私は人間から魔女に生まれ変わり、この灰原家の本当の跡取りになるのだ。
彼女が私に隠れて前原誠や河内隆二君と付き合っているのは知っている。彼女は私が知らないと思っているだろうが大間違いだ。
私がいつものように河内隆二君の後をつけていると――別にストーカーをしているわけではない、ただ彼の後ろ姿を見守っていただけの時に、泥棒猫の最上景子が現れて、彼と、……彼と、キスをするのを見たのだ。
それで私は彼女を生贄に選ぶことにしたのだ。
後は彼女と前原誠を殺して儀式を終えれば私は本物の魔女になる。
そのときにこそ河内隆二君を――最上景子に騙されたかわいそうな彼を、私の魔法の力で正常な心を取り戻させて、私のものにするのだ。
「これで準備はいいわね」という景子に、私は「うん」と答えた。
2月9日夕方
これでうまくいったわ。
灰原愛は私の飲み物に毒を入れたと思っているけれども、彼女の飲み物とすり替えて置いたことには気が付かなかったようね。
念の為彼女の飲み物には彼女の家にあった毒物――彼女の家にある本に書いてあった毒を入れておいた。
それはすぐには彼女を殺さない。なぜなら彼女には前原誠を殺してもらわないといけないから。
彼女に死んでもらうのはその後だ。
だから、毒の効果があまり強くない、飲んでから1日後あたりに効き目が出てくるあの干したイモリのしっぽを削ったものを入れておいた。
彼女はこれでおしまいだ。
前原誠が死に、灰原愛が死に、邪魔な人間はすべてこの世からいなくなる。
これで私は安心して暮らすことが出来る。
ああ、そうだ。
彼女の部屋から河内隆二の写真と日記を隠さなくてはいけないわ。
万が一、あれが警察に見つかったら、彼と私が警察に疑われることになる。
それは困る。
だから、明日灰原愛が前原誠を殺している時間に彼女の家に侵入して、写真と日記を回収しなくちゃならない。
それさえすめば後は問題はないはず……。