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4・その男 ヴェイロン

 *


 取り外されて壁に立てかけられた、古ぼけた看板を見るたびに溜息が出る。

 材質だけは良さそうな木板には、無駄に達筆な字で『ウマ小屋』とだけ書かれている。


 魔物学部を卒業して『対竜研』に入職するのが決まった時、僕の”育ての親”と呼んでも過言ではない恩人から下宿として紹介されたのが、このふざけた屋号を掲げていた元宿屋だ。どれくらい前まで営業していたのかは知らないけど、イーリスはここで生まれ育ったそうだから、少なくとも12年前には潰れていたのだろう。


 しかし、何でまたこんな場所で宿屋を始めようと思ったのか?

 大体にして立地が悪過ぎる。仮に僕が宿屋の経営に乗り出したとしても、こんな場所に出そうとは思わない。大通りから外れている上に馬車駅からも遠く、迷うほどに入り組んだ路地裏に建っていては繁盛するはずもない。


 内装外装とも貧相ではないけど特別豪華でもない。

 すぐそこが城壁では陽当たりも悪く、良い景観を望むべくもない。

 

 そんな無い無い尽くしの末に廃業した宿屋を、若くして軍を退役したというバスティアン・ヴェイロン氏が不労収益を目的に買い取って賃貸物件にした、という流れである。


 若いうちにガンガン稼いで『早めに引退(セミリタイア)』して趣味に没頭する。実に羨ましい話である。そりゃあ、対竜研の研究技官は同年代に比べては実入りは良い方だけど、30代で悠々自適なんて生活は望むべくもない。


 そんな若くして賃貸物件のオーナーとなったヴェイロン氏が運営する『ウマ小屋』は、風呂トイレは共同ではあるが美味しい食事付きで、追加料金を払えば部屋の掃除から洗濯までもしてくれる。

 大家はダメ親父だが管理人は性格の良い美少女という、賃貸としては実に優良な物件である。

 そして現在、『ウマ小屋』に居住しているのは、


 1・大家のヴェイロン氏

 2・その娘さんで管理人を務めるイーリスちゃん

 3・飲み屋の姐さんヴィヴィ嬢

 4・堕落エルフのシェル女史

 5・そしてこの僕、ロディ・セリア


 以上、5名である。

 事実、女ばっかりである。


 女性ばかりが入居している理由を「大切な一人娘の健全な育成環境を構築する為に、女性限定の賃貸にしていたのです」と、ヴェイロン氏は真剣な顔で語っていたが、それは絶対に嘘だ。

 恩人とともに初めて挨拶に訪れた時の「え? 姉じゃなくて弟の方だったっけ?」と、心底嫌そうな顔をしていたのが忘れられない。


 あのおっさんは、イーリスの育成環境を構築したかったんじゃなくて、女の園を構築したかったのだと今は確信している。


 だけど、女の園では不純物たるこの僕でも、今ではそれなりの地位を築くことに成功しているんだ。

 僕には姉がいたのと、メイドを始めとした多くの女性に囲まれて育ったおかげで、女性に対する耐性・免疫・礼節、および常識が備わっていたのが女性陣に幸いしたのと、僕の持つ魔物に関する知識がヴェイロン氏の副業に大いに貢献しているからだ。


 ヴェイロン氏の副業……というか趣味。それは魔物退治を専門に請け負う『討伐者(バスター)』だ。

 僕らの住む大地、ユーラスティア大陸には、シカだウサギだイノシシだ、などのそこらで見かける野生動物以外にも、一般人の手には負えない危険な動植物が多数生息している。それらを総称して『魔物』と呼ぶ。


 魔物と聞いて邪悪で凶悪な存在を連想する人が多いけど、それは禍々しい外見や、伝説などに伝えられるイメージがそう思わせるだけであって、彼ら魔物にも彼らなりの生活があり、人間側から無暗矢鱈に手を出さない限りは、そうそう襲ってくる事は少ない。とはいえ、生活圏が被ってしまったり、開発の邪魔だったり、家畜が襲われたりと、魔物とのトラブルは枚挙に暇がない。


 よっぽどの大物との衝突、その最たる事案はドラゴン絡みだが、そんな国を揺るがすような災害級の魔物には王立軍が出動する。だけど、軍部が対応するまでもない案件は、リエッダ王国から認可を受けた『冒険者組合ギルド』に持ち込まれる。

 

 それは例えば水路の排水溝にスライムが詰まっただの、森に棲むゴブリンに洗濯物を盗まれた、などの些細な事案から、ダンジョンに逃げ込んだ邪悪な魔法使いから家宝のアミュレットを取り戻して欲しい的な一大事までも引括(ひっくる)めて、大なり小なりな相談事を受け付けた冒険者ギルドが『クエスト』として企画・立案し、それを『冒険者』と呼ばれる自由なスタイルで働く個人事業主が請け負うという仕組みになっている。


 そして、ヴェイロン氏は主に魔物退治をクエストとして請け負う『バスター』を副業(趣味)としている。とはいえ実質的に物件の管理運営はイーリスがやっているから、バスターが彼の本業(暇つぶし)と言っても差支えはないだろう。

 僕に下宿を手配してくれた恩人がいうには、ヴェイロン氏は二十代の若さで軍を辞した際、剣術指南か女王直属の近衛としてリエッダ王家が引き留めるほどの剣の達人だったそうだが……


「ふわぁ~良く寝たわ~」

 

 その達人が欠伸をしつつ、寝ぐせだらけの群青色した髪を掻きまわしつつ、ふらふらした足取りで階段を降りてきた。

 そして、まだボーっとした様子のヴェイロン氏は、ソファに座る僕を見て驚いたような顔をした。


「あれ、ロディ? 今日はまた随分と早いお帰りじゃないか。就職早々クビになったか?」

「クビになる訳ないじゃないですか。ヴェイロンさんが昨日の夜に”明日は早く帰ってこい”、って言ったんですよ」

「んんん? そうだったっけ?」


 悪い悪い、とヘラヘラ笑いながら、ヴェイロン(もう敬称を付けるのは止めよう)はカフェテーブルを挟んだ僕の向かいのソファに腰を下ろした。どこにでも売ってそうな安物のソファは、長身痩躯な彼のサイズに適合していない。

 そして、おっさんは無駄に長い脚を組んで、「イーリス、水くれ~」と催促してから「んで、マジでなんだっけ?」と、訊いてきた。

 ……へえ、殺意ってこういう風にして湧いてくるもんなんだね。知らなかったよ。


「本気で言ってるんですか? ワイワーム退治に行くから手伝え、って言ってたのはヴェイロンさんですよ」

「あ? ああ、そうだった、そうだった。うん、ロディ君が覚えているかどうかを確認したんだよ」


 ヴェイロンは、イーリスが運んできた水を一気に飲み干して「だっはっはっ」と、実に愉快そうに笑った。おっさん、まだ昨夜の酒が残ってんじゃないだろうか?

 溜息を吐いた僕の前には、湯気の立つティーカップが置かれた。立ち昇る香りからして僕の好きな銘柄だと分かる。一口含むと、爽やかな香気と程よい渋みがイラついた精神を解きほぐしてくれた。この紅茶は適正な温度を守り、正しい手順で淹れないと、なかなかこの風味は出ないんだ。

 「紅茶、美味しいよ」と伝えると、イーリスは手にした銀盆で照れ笑いを隠した。どうしてこのダメ親父に、こんな素敵な娘さんがいるのか本当に謎だ。よっぽど亡くなったお母さんが素敵な女性だったに違いない。だが、この謎を解き明かすのは後日に回そう。今はワイワームに集中だ。


「ギルドの手配書を読んで、僕なりにワイワームについて調べておきました」


 こちらに目を通して下さい、とまとめた資料をテーブル越しに差し出す。ヴェイロンは窮屈そうに身体をソファに沈めて資料を目で追い続ける。

 先ほどのだらしない様子からは一転、真剣な眼差しに思わず息をのむ。その鋭い眼光に達人の片鱗が垣間見えるようだ。


「……良く書けているな。いつの間に書いたんだ?」

「昨夜、ワイワーム退治の話を聞いてから直ぐにです」


 ふっ、自慢じゃあないが、僕は魔物学部を首席で卒業してるのだ。しかも、18歳で学部卒なんて、大魔法使いとして名高い魔導院院長エルディンガー氏以来の快挙なのだ。

まぁ、エルディンガ―院長は最難関の魔法学部卒で、僕は最軟関の魔物学部卒ですがね。


「いやぁ、本当に良く書けているな。感心するよ」

「恐れ入ります」

「ほれイーリス、こっち来て見てみ。ロディって凄ぇ絵が上手いんだぜ」

「絵? 見たい見た~い!」

「ほぉら~見てみ~本物みたいだろ~」

「わあ、すご~い細か~い」


 あの、見て頂きたいのはワイワームの図解じゃなくて、ワイワームを効率よく討伐する戦略の方なのですが。


「でもよ、ウロコと牙とか、ここまで細かく偏執的に書き込むのっては怖いっていうか、ちょっと異常性を感じないか?」

「それって書いた本人に聞きますか、普通」

「お兄ちゃん、絵が上手なんだね。今度、イーリスにも書き方教えて」

「おや、イーリス? いつの間にロディをお兄ちゃん、なんて呼ぶようになったんだ?」

「さっき!」


 ふぅうん、とヴェイロンは顎の無精ヒゲを擦りながら、僕の顔を見てニヤリと笑った。


「イーリスのお兄ちゃんって事はロディ、お前は俺の息子って事で良いんだよな」

「良くないし嫌ですよ。いや、本気で」


 真顔で言い返すと、傍で聞いていたイーリスが悲しそうな顔をした。


「やっぱりイーリスのお兄ちゃんになるのイヤだったんだ……」

「いや、違うよイーリス! そういう意味ではなくって!」

「おう、我が息子よ! 愛してるぜ!!」


 あのぅ、そろそろお時間もお時間ですし、ワイワーム退治に出掛けませんか?

すいません。第2話の『王都リエッダ』に若干の加筆を加えました。

大した描写では無いのですが、王都リエッダは湖に囲まれた天然要塞でもあり、地の利を活かした水路でもってゴンドラ輸送も行われています。上下水道の整備も進んでいるので衛生的です。

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