呪い
奈良の発掘現場で見つかった木簡には「呪」の一つ文字が墨書されていた。考古学者達は、当時日本に伝えられたばかりだった漢字の手習いをしたものであろうと結論づけた。発掘現場は紀伊国、現在の和歌山県を領地としていた某中納言の屋敷跡であると推定されていた。立派な礎石が中納言一族の往時における権勢を物語っていた。
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愛情の反対は無関心、愛情と憎しみは心の動く向きが違うだけで同じもの。愛情が深ければ、裏切られたときの恨みはさらに深くなり、激しい憎しみは人を狂わせます。飛鳥に都があった頃、私は田辺の中納言様を呪殺いたしました。当家の財の多くを投げ出し購った蠱毒が、貴方を流行病での残酷な死に至らせしめました。私は貴方を恨んで呪って殺して、それでも貴方を愛していました。
最初は両家の絆を繋ぐためだけ、政ごとの道具でしかなかった私と貴方の関係は、貴方が私の元に通っていらっしゃる毎に変わっていきました。貴方とお会いする数を重ねるうちに私の貴方への想いは深くなりました。唇を吸い愛し合う度に、心も身体も貴方で満たされました。
いつの日からか、貴方は私の元に通われなくなりました。歌を送り、文で私の想いを伝えても、戻ってはこられませんでした。私は、貴方の眼差しを、優しく触れる指を、柔らかな舌を、匂いを忘れることができませんでした。貴方が立部の家の姫の元に通われていると人伝いに聞き、私は鬼となりました。私は貴方を恨んで呪って殺しました。
貴方が亡くなった後、私は貴方の子を宿していることを知りました。もうその子も立派に成長して、ひととせ前に元服いたしました。目元は貴方と瓜二つ、顔を見る度に優しかった貴方を想い出します。この子には貴方の血が流れています。この子は、私が愛し、そして呪った貴方の魂の欠片を受け継いでいくのです。
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私は中学校に上がる直前から、頻繁に同じ夢を見るようになった。髪の長い和装の女性の夢だ。女性の顔は哀しげであり、どこか鏡の中の私自身に似ていた。歴史の授業で奈良の都の話を聞き資料画像を見たとき、私は妙な既視感に囚われた。しかし私が奈良に住んでいたという話は聞いたことがなかったので、それは気のせいだろうと思っていた。女性はいつも夢の中で、後悔しているとだけ私に話し掛けた。なにを後悔しているかは、わからなかった。
中学三年生になって、私は修学旅行で初めて奈良を訪れた。見学コースの中の博物館に展示されていた木簡の文字を見たとき、私はすべてを思い出した。これは私が書いたものだ。私が貴方を呪うために書いた木簡だ。私は過呼吸を起こし、その場に倒れ込んでしまった。気がつくと、救急車に積載されているストレッチャーの上に私は寝かせられて、市立病院へと搬送される途中だった。
約十年後私は結婚をして、すぐに子供を授かった。男の子だった。周囲は少し古風だと反対したが、私は譲らずにその子を幸彦と名付けた。初めて赤ん坊を抱いたとき、私にはすぐにわかったからだ。ああ、この子は貴方だ、貴方自身の名前でなくてはいけません。五つになった幸彦の目元は、貴方そのもの。懐かしい、愛おしい。ママ、抱っこしてキスしてとねだる貴方を私は抱きしめる。髪の匂いも記憶のまま。お帰りなさい幸彦様。ごめんなさい、貴方を呪い殺してしまって。
ニュースで、記憶は遺伝することがマウスの実験で確認されたと報じていた。でも私は知っている、それは逆。想いが遺伝子を紡ぐのです。千五百年の時を超えて、呪いは解かれました。もう後悔しなくていい。私は髪の長い和装の女性の夢をもう見ない。当たり前よね、あの女性は私自身なのだから。
「呪い」プロジェクト参加作品です。興味のある方は、他の「呪い」作品もご覧ください。
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