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希望荘の住人  作者: 早瀬 薫
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第九話 6

 戸田翔子が引越してきてから、約一ヶ月が経とうとしていた。峰岸の爺さんのフリーマーケットで集まっていた子供たちに聞かせて以来、中断していた童話の続きを僕は書いていた。物語はいよいよ佳境に入り、めでたしめでたしという展開にすんなり向かうかと思っていたのに、なかなか筆が進まない。姫はどうしてだか、約束の場所に現れず、僕の予定とは裏腹に違う場所に行きたがっていた。僕がこの物語を全コントロールしている筆者であるはずなのに、誰かが僕に乗り移ったかのように、物語が勝手に違う方向に行こうとしている。姫は約束の場所ではなく、敵国の城、つまり密かに付き合っている恋人の王子の城に向かっていた。このままでは物語は混乱するばかりである。しかし、姫は、自分に味方をしてくれている王子の家臣にうまく城に入れて貰い、そこで王子を待つことにした。ところが、その晩、雷が城に落ちて火事になり、城は崩れ落ちて多くの人が命を落とした。そのとき、姫も命を落とし、約束の場所で待っていた王子は、慌てて城に帰るも、燃え上がる城の前で一人取り残されて泣き崩れるという展開。書いていて、なんだこりゃ?と思ってしまった。これじゃあ、童話じゃないじゃないか。戸田翔子が言っていたように、このままだと本当にロミオとジュリエットのような悲劇で終わってしまう。僕は、どうしたものかと机の前で頭を抱え込んでいた。

 すると、タイミングよく、田中の爺さんが目の前に現れた。手には饅頭を山ほど抱えている。なんでも、戸田翔子が引越の挨拶代わりにくれたらしい。田中の爺さんは、「そう、難しい顔をせんでもよい。戸田翔子がお主に渡してくれと言っておったから、とりあえず、これを食うがよい」と言った。戸田翔子はさっきアルバイトに出掛けたらしい。田中の爺さんの言葉通り、一休みしようとお茶を淹れ、彼に差し出した。田中の爺さんは「せんべいも美味いが、この栗饅頭もなかなかの味じゃのう」と顔を綻ばせた。


「ところで、お主は何をそんなに悩んでおるのじゃ?」

「やっぱり分かりますか」

「当たり前じゃ! お主のことは、すべて分かっておる!」

「また、訳の分からないことを」

「とにかくワシに話してみるがよい」

 田中の爺さんがそう言ったので、僕は「書いている童話をハッピーエンドにしたいのに、どうしても火事になって、みんな死んでしまうんです」と言った。

「あの、田中さんに話したことが無かったんですけど、僕、時々、幻覚のように火事の光景が頭に浮かぶことがあるんです。それに、肉親が亡くなったとき、どうしてだかいつも火に纏わることが関連していたから、そのときの僕の気持ちが、無意識に物語に現れてしまうんでしょうか?」

「いや、そうではない」

「?」

「お主の気持ちとは関係がない。それは事実だからじゃ」

「はぁ?」

「実際に起こったことだからじゃよ」

「ええっ!? どういう意味ですかっ!? それと僕が書いている童話と何の関係があるんですかっ!?」

「実際に起こったことだから、覚えておったというだけのことじゃ。肉親の死と火が関わっておったのは、お主のことを案じての警告であったに違いない。お主は、この希望荘の鍵を握る人物なのじゃ。これから起ころうとしていることを食い止めねばならぬ。それがお主の使命じゃ」

「使命!?」

「人はのぅ、前世で起こったことを後悔しながら死んでいくものじゃ。そして、その後悔を二度と繰り返さぬ覚悟で生まれ変わっててくるのじゃ」

「僕の頭の中に浮かぶ光景は前世で起こったことだと言うんですか!?」

「そうじゃ。いよいよ炎と対決せねばならぬ時が来たのじゃ。この希望荘は、やがて火事に見舞われ住人が死ぬ運命にある。それを何としてでも食い止めるのが、お主の使命なのじゃ。その使命が果たされたとき、お主の書いておる童話の結末は、満足のいくものになるであろう」

「えええええーーーーーっっっっっ!!!!!」


 僕は、その場で気絶するかと思うくらい驚いた。

 田中の爺さんは僕にそう言い放つと「ふおっ、ふおっ、ふおっ」と高らかに笑い、茫然自失の僕を残して部屋から去って行ったが、今まで言いたくても言えずに我慢していたことを、やっと全部ぶちまけてすっきりした!みたいな顔をしていた。しかし、そのおかげで、僕は大混乱に陥った。

 とにかく、早急に頭の中を整理しなければならない。何を一番重要視して、何を一番にやらなければならないか? 田中の爺さんは人の命に関わる重大なことを僕に告げた。まず一番重要視しなければならないのは、もう誰も死なせてはならないということだろう。もうこれ以上大切な人の命を失う訳にはいかないのである。希望荘に住む全員が今や僕にとって、大切な人たちだった。その人たちの命を守るために、僕は是が非でも火事を食い止めねばならないのである。それが一番にやらなければならないことだった。

 火事と聞いて、火事の要因をあれこれ考えはじめたが、頭の中は整理できるどころか、考えれば考えるほど余計に混乱した。だって、よく考えたら、希望荘に住むみんなが火に関わるようなことをしているではないか。浜本琢磨はアルコールランプでコーヒーを淹れているし、秋川緑の部屋には発火の原因になりそうな金魚鉢が置いてあるし、中村誠はヘビースモーカーだし、藤堂啓太の部屋もたこ足配線地獄だし、ななえ婆さんはしょっちゅう七輪で干物を焼いているし、しかも、ここの住人だけでなく、隣の蔵元爺さんも一斗缶でゴミを燃やしている! みんながみんな怪しいじゃないか! 一体誰を見張ればいいというのか? 怪しくないのは、大家と佐々木吉信と住井真紀と戸田翔子と自分? でも、僕だって台所のコンロを使って普通に料理している。大家や住井真紀や戸田翔子だってそうだろう。佐々木吉信はどうなのか知らないけれど……。

 そんなことを考えていて、ふと、肝心なことを忘れていたことに気付いた! 僕に火事を食い止めよと言った田中の爺さん自身が、火の点いた蝋燭で瞑想していたではないか! 気が付けば、僕は、「ふざんけんなよっ!」と大声で叫んでいた。 


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