第九話 5
中村誠は秋川緑の部屋のドアをノックした。秋川緑は「はーい」と言って、応対に出たが、中村誠は随分たくさんの本を腕に抱えていて、それを見た秋川緑は「それ、どうしたの?」と訊ねた。
「ほら、この間、秋川さんと居酒屋で話し込んでたときに、金魚の飼い方の本が欲しいと言ってたじゃないですか。これ、ペットの月刊誌で返品になったヤツを会社から持って帰ったんですけど、良かったらどうぞ」
「あらー、ありがとう! ちょうど今、コーヒーを淹れたところなのよ。一緒にどう? 浜本君みたいに上手には淹れられないんだけどね。昨日、翔子ちゃんが持って来てくれたケーキも食べ損ねてたから、今から食べるの。一緒に食べる?」
「いや、僕はケーキは……。コーヒーは是非頂きたいですけど……」
「あ、そっか。甘い物は得意じゃなかったよね。じゃあ、コーヒーだけでも」
「はい。では、お言葉に甘えて」
浜本琢磨は、秋川緑の部屋に入り、金魚鉢の出目金を興味深く眺めていた。
「でも、ごめんね。この本、タダで頂いちゃっていいのかしら」
「いいに決まってるじゃないですか。返品処理にもお金がかかるし、貰ってくれたら助かるんですよ。真紀ちゃんになんか、建築系の雑誌とアート系の雑誌を毎月山ほど渡してるんですから」
「そっか。そう言えば、この間、真紀ちゃんが中村君に貰ったと言ってた建築系の月刊誌を見せてくれたんだけど、真紀ちゃんは、普通の建物の設計じゃなくて、アート系の変わったものの設計をやりたいって言ってたわ。だから、ガウディの設計した建物がいっぱいあるバルセロナに行きたいから、お金を貯めてるんだって言ってた」
「ふーん。僕も実は建築関係に興味があるんですよ。だから、本当はそっちの部門に移りたいんだけどな」
「そうよね。中村君て、意外と趣味趣向が真紀ちゃんと似てるよね。中村君も真紀ちゃんもお洒落で、しかも、真紀ちゃんは、女の子なのに甘い物が好きじゃないみたいだしね。中村君が、今作ってる雑誌ってどんな雑誌なの?」
「ゴシップばっかりの雑誌ですよ」
「そ、そうなの……」
「でも、今、僕はゴシップじゃなくて事件を追ってるんですけどね」
「え、事件って?」
「ほら、最近、巷で話題になってる放火事件」
「ああ、そう言えば、この間も一晩で立て続けに六軒も燃やされてたわね」
「そう、ソイツの尻尾をもうちょっとで掴めそうなんです」
「えーっ! 中村君て、刑事みたいなそんな危ないことをしてるの?」
「しますよ」
「そうなのね……、でも、深追いしすぎて返り討ちにあわないようにね」
「はい、まぁ、うまくやりますよ」
秋川緑は、中村誠のコーヒーカップが空になったことに気付くと、コーヒーをもう一杯注いだ。
「しかし、翔子ちゃんがこの下宿に移ってくるなんてびっくりだったわね」
「ええ、まぁ」
「あ、……この話題には触れないほうが良かったかしら」
「いや、いいですよ。もう綺麗さっぱり吹っ切れましたから」
「そう? それならいいけど」
「本当は、最初から見込みなんてないだろうなと思ってたんですよ。だから、彼女の好きだった男に似てる篠原さんに嫌がらせしてたんです。最低ですよね……」
「まぁ、最低かも」
「わぁ、そんなにはっきり言う?」
「言うよ」
「落ち込むなぁ」
「ごめん、ごめん」
そんな話をしていると、急に中村誠が落ち着きが亡くなったので、秋川緑は、「そういえば、中村君て、ヘビースモーカーだったよね? 前の彼氏が置いて行ったヤツだけど、使っていいよ」と灰皿を差し出した。
「これって、もしかして、永井先輩のですか?」
「そう。彼の物は引越のときに全部捨てたと思ってたのに、これだけ荷物の中に紛れ込んでて、未練たらしく今まで持ってたのよ。でも、中村君にあげるよ」
「いらないっすよ。でも、秋川さんがいらないんだったら、貰ってあげてもいいけど」
「そう? じゃあ、貰ってくれる?」
「いいですよ」
そう中村誠が言うと、秋川緑は満面の笑みになった。




