第九話 2
ということで、その日の夜までに戸田翔子の荷物は、希望荘の十号室に全部運ばれた。リヤカーに荷物を載せ、僕は駅裏の彼女のアパートと希望荘を何度も往復させられた。老人四人は大して役に立たず、僕一人で運んだようなもので酷く疲れたが、でも、なんだか気分は明るかった。
そして、その晩、戸田翔子歓迎パーティーが急遽台所で開かれた。パーティーでは酒もふるまわれ、大家も蔵元の爺さんも五十五年ぶりに酒を解禁して酔いつぶれていた。大家や蔵元の爺さんやななえ婆さんの喜ぶ顔を見ていると、亡くなった人間が決して生き返った訳ではないものの、もう一度顔を見られて嬉しいという感情がふつふつと湧き上がってくるのをどうしても抑えられないという彼らの状況が、僕には痛いほど理解出来た。僕の恋人は沢野絵美で、戸田翔子はただの友人でしかない。けれども、戸田翔子の姿を目にしただけで気分が明るくなるのである。そういう自分を自覚したとき、嬉しくもあり悲しくもあり、複雑な心境になった。
しかし、歓迎パーティーとはいえ、実に気楽なものだった。中村誠は少々複雑な気持ちだったろうが、それでも嬉しいには違いないだろうし、秋川緑も浜本琢磨も住井真紀も田中の爺さんも僕も戸田翔子とは顔見知りであったし、何故今まで彼女がこの希望荘の住人でなかったのかと思うくらい、彼女はここの住人にすでに馴染んでいた。マロも無邪気にその辺を自由にウロウロし、秋川緑や住井真紀に頭を撫でられ、可愛がられている。
ただ、藤堂啓太は違った。藤堂啓太は、僕の誘いに応じて、このパーティーに参加していたが、何故だか彼は僕の身体に隠れるようにぴったりと寄り添い、まるで金魚のフンのように僕の後に付いて回った。僕は、戸田翔子に近付くと、藤堂啓太を彼女に紹介した。嫌がるかと思ったのに、彼は僕と初めて顔を合わせたときのように、戸田翔子の顔をじっと眺めていたかと思うと、また大きく目を見開き涙ぐみ、突然、戸田翔子にしがみ付いた。戸田翔子は物凄くびっくりしていたし、僕もそれを見ていて慌てたが、戸田翔子は、藤堂啓太がついこの間まで引きこもっていて、久しぶりに部屋から出て大勢の人と接触していると知り、嫌がらずにそのまま彼を抱きしめていた。何故だか、藤堂啓太は僕と戸田翔子だけに心を開いているように見えた。
「でも、すごい! ホームページ作成で生活していけてるんだから、すごいじゃない! 引きこもってることを引け目に思わなくたっていいよ。だけど、ホームページを作るのにも絵心がいるというか、センスが必要よね」
「は、は、はい。い、い、いろいろ、な、な、悩みます」
「でもね、僕は彼の作ったホームページを見せて貰ったんだけど、センスが良くてびっくりしたんだよ。翔子ちゃんも一度見せて貰ったらいいよ」
「わー、見たい見たい。そう言えば、うちの店長がホームページを作り変えたいと言ってたし、藤堂君を紹介させて貰おうかな」
「うん、是非そうしてあげて。あ、でも、藤堂君、どうする? いいよね?」
「は、は、はい」
「あ、そう言えば、秋川さんは広告会社のネット部門で働いてると言ってたな、たしか……。ホームページ作成の外注はしてるのかな。でも、最初は翔子ちゃんのお店の店長に紹介してもらって、慣れてくれば秋川さんにも仕事を紹介してもらえばいいんじゃないかな。とにかく彼女に一回訊いてみるよ」
「あ、あ、ありがとうございます」
そんな会話を藤堂啓太としていて、僕はあることに気付いていた。前々から思っていたことではあるのだが、何故だか、ここの住人は、みんながみんなどこかで繋がっていて、必然的にここに集められているような気がするのである。そんなことを考えていて、僕は田中の爺さんが呟いた言葉を思い出していた。彼は、今朝、戸田翔子を希望荘の玄関で見付けて、「これですべてのピースが揃った」と訳の分からぬことを言った。しかも、僕が初めて田中の爺さんに挨拶したときも、「おお! お主! やっと来たか! 待っておったぞ!」と言った。それを言われたときの僕は、田中の爺さんのことをただの気の狂れた老人としか思っていなかったが、今考えれば、僕や戸田翔子がここに住むことになるのは、田中の爺さんにとって想定内の出来事だったに違いない。
戸田翔子がここに住むことになって、大家をはじめ、ほとんどの住人が喜んでいたが、何故だか田中の爺さんは難しい顔をしていて、今も一人で食卓についている。実は、僕も田中の爺さんと同じ心境だった。さっきから、どうしてだか、あのいつも僕を悩ませる火事の光景が頭に何度も思い浮かんでいた。もしかしたら、すべてのピースが揃ったことで、本当にこれから何かが起ころうとしているのだろうか? しかも良いことではなく、悪いことが起こる気がしてならない。その不吉な予感は、きっと当たっているに違いない、そんな変な確信が何故だか今の僕にはあった。




