第八話 11
その後、急に辺りが暗くなり、満月が雲に覆われ始めた。もしかしたら、これから雨が降るのかもしれない。僕は、戸田翔子をアパートまで送っていくことにした。アパートへ無事、戸田翔子を送り届けた後、やはり空から雨粒が落ちてきて、雷も鳴り始めた。僕は、足を速めた。そのとき、僕の傍を不気味な生き物が「うぉおおおおーーーーーっっっっっ!!!!!」と叫びながら、走り抜けた。この熊のような不気味な生き物は、きっと希望荘の佐々木吉信に違いない。僕は初めて佐々木吉信の全貌を目の当たりにした。長く伸びた黒髪と髭、黒ずんだ白いTシャツにジャージのズボン。藤堂啓太と似たような風貌だったが、佐々木吉信には人間の言葉が通じないような威圧感があった。ほんの少しの間ではあったが、僕は、その佐々木吉信の姿を見て、震え上がるほどの恐怖を感じていた。希望荘に纏わる最後の謎は、今までとは桁違いのスケールだった。僕は、雷鳴を聞きながら、路地で蹲った。
また、火事の光景が頭の中を占領していた。頭の中で人々が泣き叫びながら走って逃げている。その中で人一倍大きな声で泣いている男がいた。僕はその男を振り向かせ肩を抱いて、彼の顔を見た。すると、その男の顔は、先程見たばかりの佐々木吉信とそっくりな恐ろしい顔をしていた。僕は「わぁあああ」と驚き、叫んでいた。
それから、どうやって、希望荘に辿り着いたのか分からないのだが、気付けば朝になっていた。僕は自分の部屋の布団に寝ていて、傍には眠そうな田中の爺さんが座っていた。
「おお、起きたか?」
「田中さん、なんでここに……」
「それはお主が心配だからに決まっておろう」
「そうですね。心配だから、ここにいてくれたんですね」
「さようじゃ。それでは、ワシは、自分の部屋へ帰るとするかの」
そう言って、田中の爺さんは自分の部屋へ帰ろうとしたのだが、そのとき、ちょうど、玄関に来客があったのか、「ごめんくださーい、誰かいませんかー?」と若い女性の声がした。田中の爺さんは、「仕方がない、ワシが見て来よう」と一階の玄関に降りて行ったが、僕も一緒に後ろから付いて行った。玄関に辿り着いて、そこに立っている女性の顔を確かめると、なんと戸田翔子だった。彼女は仔犬のマロを連れていた。
「あ、田中さんに篠原さん! お早うございます!」
僕と田中の爺さんは呆気に取られた。
「朝っぱらから、ごめんなさい。昨日のお礼を篠原さんにどうしても言いたくて、来ちゃいました。昨日は本当にありがとうございました」
そう言って、戸田翔子はケーキの箱を僕に差し出し「田中さんも食べてくださいね」と笑った。
「そんな、お礼なんて良かったのに……。でも、ケーキは大家さんも秋川さんも浜本君も好きだから、後でみんなで食べるよ。ありがとう」
と言って、ふと振り返ったら、後ろに大家とななえ婆さんと蔵元の爺さんが立っていて、僕は腰を抜かすかと思うくらいびっくりした。しかも、三人は目を見開き、一言も言葉を発せず、硬直したように突っ立っている。僕は「みなさん、どうかしましたか?」と声を掛けたのだが、やはり誰も何にも言わない。すると、全員が涙を流し始めた。僕はびっくりした。そして、もっとびっくりすることを大家は言った、「幸子、生きてたのかい?」と。
そして、田中の爺さんは呟いた。
「これで、すべてのピースが揃った」
第九話へ続く




