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希望荘の住人  作者: 早瀬 薫
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第一話 8

 その日もいつもと同じように、日がな一日、川縁で時間を過ごした。時が経ち日が暮れて来たので、また公園に戻ってブルーシートと段ボールで塒を作り、寝転がった。二ヶ月前に亡くなった三島のお婆ちゃんが大事にしていた愛読書を僕は貰い受けていた。彼女が大切にしていた本は恋愛小説ばかりで、七十五歳で亡くなった三島のお婆ちゃんは、いくつになっても少女のような気持ちを持った女性だったのだなと、亡くなってから初めて気付いた。僕も同じかもしれない。僕もいい歳して、毎日絵本を抱えて寝ているのだから。僕は塒の中で月明かりを頼りに、形見の恋愛小説を読んでいた。けれども、もうほとんど終わりに近付いていて、残すはあと八ページのみになっていた。これを読んでしまったら、当分の間、小説を読むことはないかもしれない。だから、時間を掛けてゆっくりと読んでいた。


 ふと、夜空を見上げると、この間と同じく、また満月が浮かんでいた。また、フラッシュバックが起こり、頭が疼いた。この間、沢野絵美の亡霊に出逢ってから、約一ヶ月経ったのだと気付いた。その時、あの晩と同じように、また公園の隅のベンチから女性の泣き声がするのに気付いた。僕はとっさに声のするほうに振り向いた。でも、やっぱり遠くて女性の顔まで確かめられない。僕は、この前と同じように、こっそり彼女に近付いた。そして、楡の木に隠れて、そっとその女性の顔を確かめ、再び驚いた。何度目を擦って何度見ても、やっぱり彼女は沢野絵美だった!

 僕の目からまた涙が溢れた。けれども前回のように、決して声は立てなかった。声を出そうものなら、また、彼女は僕の前から消え去ってしまうだろうから。それでもやっぱり彼女に声を掛けたい。彼女にずっと会いたかったと声を掛けたい。それなのに声を掛けられない。僕はただ黙って彼女を見ていることしかできなかった。目の前の沢野絵美は、この間と同じく僕と同じ絵本を読んで泣いていた。でもどうして、彼女はあの絵本を読んで泣いているのだろう? 泣くような場面なんてないのに……。僕を思い出して泣いてくれているのだろうか? 暫くの間、僕はそうやって彼女を眺めていた。夜が明けなければいい、このまま、時が永遠に止まればいいと思ったその時、どこかで「あら、どうしてここに?」と彼女に声をかける者が現れた。僕はびっくり仰天した。幽霊が一人から二人に増えたからだった。


「なんでこんなところに一人でいるのよ。しかも泣いてるじゃない! 夜はまだ外は寒いでしょうに。もう家に帰ったのかと思ってたのに、こんなところで道草してたのね。そんなに落ち込まなくても大丈夫よ」

「大丈夫じゃないかもしれない。だって、もう百回も、こんな目に合ってるんだもの」

「悲惨なのは私も同じよ。でもね、大丈夫。私が保証する。だって、目は肥えてるからね、これでも」

「美紗にそう言われると、なんだかちょっと嬉しいかもしれない」

「そうでしょう? 元気出しなさいよ。別に殺されそうになったわけじゃないんだから」

「そうだね」

「そうそう。あ、なんなら今から家に来ない? 今から家で一人焼き肉しようと思ってたんだけど、一人より二人のほうが楽しいから」

「え、いいの?」

「いいに決まってるじゃない」

「ありがとう!」

 二人はそう会話して、ちゃんと歩いて公園から去って行った。僕はその様子を呆然と眺めていた。


 もしかしたら、二人は幽霊ではないのだろうか? だって、「別に殺されそうになったわけじゃない」と言っていたし、「今から焼き肉する」と言っていた。幽霊が焼き肉なんて食べるだろうか? しかも後からやって来た女性はスーパーの袋を抱えていた。幽霊じゃなく生きた人間なのかもしれない、沢野絵美ではなく別人の……。

 でも待てよ? それならどうして、彼女は僕と同じ絵本を読んで泣いていたのだ? それに、どう見たって彼女の容姿は沢野絵美そのものじゃないか! あんなにそっくりな人間がこの世に二人と存在するのだろうか? 世界には自分とそっくりな人間が三人存在するという話を聞いたことがあるから、多分、存在するのだろう。いや、でもそのうちの一人はもうすでにこの世の人ではなくなっているけれど……。だけど、人間じゃなくて、幽霊だったら良かったのに! 別人じゃなくて、幽霊でもなんでもいいから沢野絵美本人だったら良かったのに! 僕は彼女にずっと会いたかったのに!!!

 そんなことを考えながら、それでも、僕の胸は高鳴っていた。彼女があの絵本を読んでどうして泣いていたのか、突き止めたい衝動に駆られていた。もう一度彼女に会って確かめたい、「あなたは沢野絵美さんじゃないのですか? 僕と離れ離れになって、それで悲しくてその絵本を読んで泣いていたのではないのですか?」と……。


 次の日の朝、僕は更生する決心をし、浮浪者仲間一人一人に別れの挨拶して、ビラを握りしめ、家守の爺さんの下宿に意気揚々と向かっていた。


第二話へ続く

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