第八話 6
結局、僕はその日の夕方まで、神保町をうろついていたが、やはり成果はなく、トボトボと帰路についた。このまま下宿に帰る気もしないので、橋のたもとにいるだろう峰岸爺さんを訪ねようと思った。到着すると、峰岸爺さんはやっぱりみんなで酒盛りしていた。浮浪者は悲惨という世間一般の概念はここでは通用しないようだった。
「あ、篠原の兄さんじゃないか! 久しぶりだな!」
峰岸の爺さんと仲良くしている牧原の爺さんが言った。
「はい、ご無沙汰してました。みなさん、お元気で何よりです」
そう言って僕は牧原の爺さんに持参の酒を渡した。
「おう、そう言えば、兄さんはあの家守の爺さんちの下宿にいるんだってな」
「ええ、そうなんです」
「居心地はどうだい?」
「まぁまぁです」
「そうか、そりゃ良かったな。がしかし、家守と蔵元の爺さんはまだ喧嘩してるのかい?」
「ああ、はい。毎日のように喧嘩してます。五十五年も喧嘩が続いているだなんて、二人の間には相当なしこりがあるみたいで……」
「そうか……、あれから、五十五年も経ったんだな」
「あれからって?」
「大喧嘩が始まった日のことだよ。俺はさぁ、あの人たちより、十は下だからよ、あのとき、まだ中学生だった。たまたま学校帰りに希望荘の前を通ったら、その大喧嘩に遭遇したんだよ。それはもう酷い喧嘩だったよ。二人が血まみれになって倒れていて、二人とも病院に運ばれて行ったんだけど、手当した後、二人とも牢屋に放り込まれたらしいよ。あのときも、ななえ婆さんはあの現場にいて、必死になって喧嘩を止めてたよ。まぁ、当時は、ななえさんもまだ若くて、綺麗な人だったけどな」
「綺麗な人だったんですか!?」
僕は、ななえ婆さんが綺麗な人だったということが信じられなくて、素っ頓狂な声を出してしまった。
「おう、綺麗な人だったよ。お世辞抜きでね」
「へー」
「家守さんの亡くなった奥さんも綺麗な人だったな」
「そうなんですね」
「まぁ、二人は姉妹だから、二人揃って綺麗なのは、当たり前なのかもしれないけどさ」
「えっ!? 姉妹!?」
「おう、そうだよ」
「ほんとに?」
「なんだ、知らなかったのか? ななえさんは家守の亡くなった奥さんの姉さんなんだよ」
「そうなんですか! ああ、だから、ななえさんは今希望荘に住んでるんですね……」
「そうだろうな。でも俺も、家守と蔵元の爺さんの喧嘩の理由はよく知らないんだよ。ななえさんは知ってるだろうがね。でも決して口を割らない。思い出したくないんだろうな」
「そうなんですね……」
「それにしても、幾つになってもあの二人は元気だな。あんなに大声で喧嘩したら、疲れ果てるだろ、普通は……。いい加減、周りの迷惑も考えりゃいいのに……」
「はぁ、そうですね……」




