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希望荘の住人  作者: 早瀬 薫
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第七話 11

 居酒屋でそんな騒動が起こっているとは露知らず、今日も僕はななえ婆さんの部屋で、七輪で干物を焼いて食べていた。今日は、僕がスーパーの北海道フェアで買って来たホッケを、日頃夕飯をご馳走になっているお礼として持参したのだった。

「それで、あんた、ここへ来てから、どのくらい経ったんだい?」

「うーんと、一ヶ月と三週間くらいですかね」

「えーっ? まだ、そんなもんだったかい?」

「そうですよ、そんなもんですよ」

「もう随分前からいるみたいだね」

「そうですか?」

「うん。まぁ、馴染めて良かったよ。他のヤツらは一日ですぐ逃げ出したからね」

「そう言えば、十号室の幽霊は、昨日の夜も泣いてましたね」

「ああ、そうかい?」

「ええ。最初は怖いと思ったけど、慣れればそうでもないですね」

「そうだろ? 別に怖かないよ」

「でも、僕の部屋の両隣の人たちは、未だに謎のままです」

「まだ、一ヶ月と三週間だろ? そのうち、嫌でも遭遇するよ」

「そうなんですか」

「うん」


 それで、今日はスプリンクラーも作動させなかったし、無事にホッケを焼き終えてほっとしていたのだが、いざ食べようとしたら、また停電になった。

「この下宿、ほんとによく停電しますよね。どこかで漏電とかしてないですかね。こう何度も停電すると心配になりますよ」

「まぁ、漏電じゃないだろうけどさ」

 ななえ婆さんはそう言いながら、廊下に出て椅子に上り、落ちたブレーカーのスイッチを上げようとしているので、「僕がやりますよ」と言って、ななえ婆さんに代わり、スイッチを上げた。

「でも、なんで部屋ごとにブレーカーが設置されてないんですか? 違法のような気がするけど」

「この下宿は、建てられた当初は、六号室から十号室まで一続きの部屋だったんだよ。それを五つに分けたわけ」

「ふーん、そうだったんですね……。でも、電気代込みの家賃だから、メーターとかブレーカーを別にする必要もないんだろうけど」

「原因は分かってるんだよ」

「え? 原因って?」

「アイツに決まってるだろ?」

「アイツ?」

「うん、アイツだよ」

 ななえ婆さんはそう言いながら、七号室を睨み付けた。

 ええっ? もしかして七号室の住人が原因なわけ?

「しかし、ブレーカーを上げずにいたら、引きこもり解消になっていいかもね。電気なしじゃいられないだろうからさ」

「……」

「あ、でも、アイツだけじゃなくて、あたしらも困るか。でもさ、こう、しょっちゅう停電したら、あんたも大変だろ? いっちょ、文句を言いに行くか」


 ななえ婆さんは、ドタドタと足音を立てながら、七号室に近付きドアをノックした。僕はその様子をななえ婆さんの後ろに立って、恐る恐る見守っていた。けれども、一分経っても二分経っても、誰も出てくる気配がなかった。すると、痺れを切らしたななえ婆さんが、叫び始めた。

「てめえ、人をなめてんじゃねえっ! いい加減にしやがれっ! 引きこもるんだったら他所でやれってんだっ! 他人様に迷惑をかけるもんじゃねえんだよっ!」

 そう言いながら、今度はもっと力を入れて、ドアをゴンゴン叩き始めた。叩いても無駄なんじゃないかなと思いながら見守っていが、予想外にドアがぎいぃぃと音を立てて開いた……。

「ど、ど、どうも、す、す、すみません……」

 消え入るようなどもった若い男の声がした。七号室の主は、どうやら、申し訳ないという気持ちだけはあるらしい。ドアの隙間から見たのだが、暗闇の中で輝くパソコンのモニターと見られる液晶画面三台と、見たこともないような機器類が所狭しと部屋の中に並んでいた。こんな機械全部に電源を入れたら、そりゃ大量に電気を食うだろうと思えるような光景がそこに広がっていた。しかも、彼の足元には、まるで生きた蛇のように電気のコードがうじゃうじゃと蜷局を巻き、床一面たこ足配線地獄になっていた。しかし、目の前にいるその若い青年、のはずの生き物は、長期間風呂にも入っていないのか、物凄い異臭を放っていた。ボサボサの頭とまっ黒な顔をして目だけが異様に光り輝いていた。しかし、その異様な生物は、僕の顔を暫く眺めた後、目を大きく見開いて涙ぐみ、物凄い勢いで駆け寄って来て、僕の身体を力一杯抱きしめた、まるで、久しぶりに僕に会えて嬉しいとでもいうかのように!

 僕は、七号室の異様な生物に抱きしめられたまま、茫然と立ちつくしていた。


第八話へ続く

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