第七話 4
戸田翔子は、カフェを出た後、一旦自宅アパートに戻り、小学校の前で拾った野良犬の愛犬マロを連れ出し、土手を散歩させていた。何故マロという名前にしたかというと、昔の公家のように、まあるい眉毛が目の上に二つあるからである。マロは、比較的大人しい子とはいえ、自分が留守にしているときは淋しがって吼えるようで、「どこかの部屋で犬の鳴き声が聞こえる」と苦情が大家に寄せられているようだった。アパートの掲示板には「犬猫を飼うことは禁止です!」と張り紙が貼られていたし、もう少ししたら、自分の部屋のドアに直接貼られるかもしれないと戦々恐々としていた。しかし、ペットを飼えるところに引越さなければならないと思いながらも、自分の苦しい懐具合を考えるとなかなかそういう訳にもいかず、かと言って、このままこのアパートに居座っていたら追い出される羽目になるだろうなと思案していた。そんなことを考えながら、さっき、カフェで田中の爺さんと交わした会話を思い出していた。
「田中さん、この間はありがとうございました!」
「ほう、なんのことじゃろうの?」
「友達の結婚詐欺のことですよ。居酒屋に解決の糸口があるって言ってたじゃないですか。あれ、本当にそうだったんですよ。居酒屋で友達と同じ男に結婚詐欺に会った女性に出逢えたし、結婚詐欺の犯人を知ってるかもしれない男性にも出逢ったんです。まだ、犯人は捕まえてはいないんですけど、きっともうすぐ解決すると思います」
「そうか、それは良かった。それはそうと、お主にも言わねばならぬことがある」
「はい? なんでしょう?」
「選択を間違えてはならぬぞ」
「選択?」
「そうじゃ。間違ったものを選んではならぬ」
「?」
「間違った選択をすると後悔することになりかねない。決して惑わされてはならぬぞ」
「は、はい……。でも、何の選択なんですか?」
「決まっておるだろう? お主が生涯をかけて探しておる大切なものじゃ」
「私が?」
「そうじゃ」
「大切なものはもう見つかりましたよ」
「絵本のことかの?」
「そうです」
「違う。もっともっと大切なものじゃ。それにあの絵本は今、手元にないだろう」
そう田中の爺さんが言うと、戸田翔子は困った顔をした。
「確かに、手元にないです。見つかったあの絵本も本物だったのかどうか分かりません。でも、もっともっと大切なものと言われても一体なんのことだか……」
「アヤツもそうじゃ。もう目の前に現れておるのにそれに気付いておらぬ」
「アヤツって、もしかして篠原さんですか?」
「そうじゃ」
「図書館で出逢う男に伝えてくれと前に田中さんが私に話してくださったことがあったでしょ? 大切なものは目の前に現れているから落ち込むなって。私、きっと篠原さんのことだと思って、彼にそう伝えました」
「そうか」
「でも、何が自分にとって一番大切なものか、見分けるのはむずかしいですよ」
「そんなことがあろうものか! 己の胸に手を当ててよく問うてみるがよい。答えは簡単じゃ。己の気持ちに正直になればよいだけじゃ」
そう言って、困惑し続けている戸田翔子とは対照的に、田中の爺さんは笑って答えたのだった。
戸田翔子はマロを散歩させながら、土手に沿って歩いていると、前方に人だかりがあって、何の騒ぎだろうと思って近付いてみたら、中古の小型家電製品のフリーマーケットが行われていた。ヘアアイロンが五百円、卓上加湿器が三百円など、リサイクルショップで買うよりも随分安価な値段がついていて、戸田翔子も興味津々で商品に見入っていた。




