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希望荘の住人  作者: 早瀬 薫
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第七話 3

 翌朝、僕はいつもより早く起き、希望荘を出た。中村誠よりも早く起きて下宿を抜け出さねば、また何をされるのかたまったもんじゃないと思ったからだった。昨日、救出されてから、僕は中村誠のタンスを粗大ゴミに出してやった。今まで大目にみてやっていたのに、今回ばかりは絶対に許さん、ざまあみろと思ったが、引き続き用心しておかなければ、いつ何が起きるかわからない。この間は、どこからともなく突如として現れて、首を絞められたんだから! 全く、狂っているとしか思えない!


 僕は、通りを歩いていて、早朝から開いていたカフェに入った。カフェに足を踏み入れた途端、見知っている顔、数個が一斉にこちらを向き、僕はびっくりして目をパチクリさせた。

 まず、カウンターの中に浜本琢磨。カウンターの端に真紀という女の子。そして窓際のテーブルに戸田翔子。そこから少し離れたテーブルに田中の爺さんが座っていた。僕は、戸田翔子を見つけた途端、やばい!と思って、くるりと踵を返しその場を後にしようと思ったのだが、僕に気付いた浜本琢磨が、「あ! 篠原さん! 来てくれたんですね! どうぞ、ここに座って下さい!」と嬉しそうに僕に声を掛け、カウンターを指差した。仕方がない、何も頼まずにすぐに店を出るのも変だし、コーヒーを一杯だけ飲んだら、店を後にしようと思った。しかし、真紀という子、いつも浜本琢磨にばれないように後を付けていたのに、今日は堂々と彼の店にいるんだなと不思議に思った。僕は、浜本琢磨が指差した真紀という子の隣りの席に座った。すると、驚いたことに、その真紀という子は僕の顔をじっと見つめていたかと思うと、その後、突然叫んだ。

「篠原先生じゃないですか! お久しぶりです! 住井真紀です! 新しく入居した人って、篠原先生だったんですね! びっくりしたぁ」

 そう声を掛けられて、僕も驚いて彼女の顔を穴が開くほど見つめたのだが、名字が住井だと知って、彼女が高校三年生の時に自分が担任だったことをすぐに思い出した。確かに彼女の顔と声には覚えがある。しかし、女の子というものは、学校を卒業して二、三年経つと、こんなにも綺麗に大人っぽく変貌するものなんだな、顔をチラ見しただけじゃ分からなかったはずだと驚いた。住井真紀は、このカフェの隣のコンビニでアルバイトしていて、今朝下宿で浜本琢磨と顔を合わせたときに、彼に招待されて初めてこのカフェに来たと話していた。コンビニのアルバイトが始まる時間まで暇つぶしをするらしい。一方、戸田翔子と田中の爺さんは常連客でしょっちゅうここに来ているそうだ。そうか、なるほど、もしかして住井真紀は念願叶って恋愛が成就したのかもしれないし、戸田翔子が田中の爺さんのファンであるのは、ここで知り合ったからなんだろうなと思った。

 しかし、それにしてもさっきから戸田翔子は、僕のことなんかまるで存在していないかのように無視していて、ほっとしていいのか悲しむべきなのか、複雑な気持ちになった。そんなことを考えていて、ふと時計を見たら、ここへ来てから一時間も経っている。僕は、やばい!と思って、会計をしてすぐにカフェを出た。一刻も早く、戸田翔子から離れなければ、いつ中村誠が出現するやもしれぬ。けれども、やっぱり僕は甘かった。カフェを出た途端、僕は誰かに足を掬われ、すっ転んだ。もう本当に、ものの見事にひっくり返った。足を掛けた人物は、言わずと知れた中村誠だった。中村誠の顔は怒りに震え、紅潮している。僕は、彼が何か言葉を発する前に、一目散に走って逃げた。一キロくらい走って逃げ、区立図書館へ飛び込んだ。すると中村誠は、諦めたのか安心したのか、それとも戸田翔子のほうが気になったのか、僕が図書館に入るのを確認すると、どこかへ去っていった。僕はそれを見て安心したが、実は、僕は、今日は最初から図書館に来ようと計画していて、それで早起きしたのだった。


 僕は、図書館に入るなり、真っ直ぐ貸出カウンターへ向かった。

「あのぉ、ちょっとご相談があるんですけど」

 僕は、そうカウンターの中の人間に声を掛けた。

「はい、なんでしょう?」

「今、僕、ここの図書館の本を借りているんですけど、借りている本を譲って貰うことは出来ないでしょうか?」

「はぁ?」

 そう言って、その女性司書は訝し気な顔をして僕をずっと睨んでいるので、僕は、何故その本を譲って貰いたいのか、一から説明していた。すると、それを全部聞き終えた女性司書は、こう言った。

「なるほど、事情はよく分かりました。でも、その本を寄付してくださったご本人様ならともかく、残念ながら第三者にお譲りすることはできません。しかも貴重な本ですし……」

「やっぱり、そうですか……。分かりました、諦めます……」

 そう言って、その場から僕はすごすごと離れたのだが、彼女は僕を余程気の毒に思ったのか、後から追いかけて来て、僕にそっと耳打ちした、「全く同じ本を見つけてくださったら、こっそり交換して差し上げなくもないですよ。ルール違反ではありますけど。勿論、誰にも内緒にしてくださるということが大前提です。これがばれたら、私も首ですから」と。僕はその彼女の言葉を聞いて、嬉しくなって「えーっ! ほんとですかっ!」と大きな声で叫んでしまっていた。女性司書は慌てて「しーっ!」と僕を嗜めた。


 そんなこんなで、僕はさっそく都内の古本屋巡りをして、「宇宙からきたコロボックル・初版本」を探すことにした。取りあえず、神保町へ向かう。神保町は、東京のみならず世界でも有数の古本屋街で、約一八〇軒もの古本屋が犇いている場所である。しかし、一軒一軒当たってみるなんて、気が遠くなりそうな話だなと思ったのだが、やるしかないのでやるのである。僕は、あのカバーの裏に書かれていた文章をたまたま読んでしまったがために、「宇宙からきたコロボックル・初版本」をどうしても探さなければ、気が済まなくなっていたのだった。


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